どんこなます
俺の息子が生きてりゃよ
今ならメジャーでホームラン打ってるよ
あんな赤いユニフォーム着てなあ
治郎さんの最近のくちぐせ
そうだね僕もそう思うよ
治郎さんはこのごろ
その息子以外
昔に戻ってしまったようで
一緒に亡くなったはずのばぁさんが
ゆうべ作ったという
どんこなますを帰りにもってけと言う
もってけよ
旨いんだからばぁさんのなますは
正月だけじゃもったいないんだ
お前にももったいないんだけどな
治郎さんの潮に焼けた笑い顔
笑う背に夕日が落ちる
いまだ何もない海っぺり
治郎さんの家があった場所
沖のカモメも赤い空に黒く
治郎さん送ってくよ
あ、ああ
他に車など見えぬ復興道路を
山道へ入ってく
もう海の匂いはすっかりしない
暗い道に止める
虫の声もカエルの声もない
治郎さんおやすみ
おおまたな
僕はあるはずのどんこなますを
大事に助手席に置いて
治郎さんが慣れない手で
暗い玄関を開けて入るまで
バックミラーでみている
コメント
王くんの視点って繊細だよね。震災の名残りを描くものって(自分は直接体験したことがないから本質はわからないけど)、やっぱり心が痛むし、センシティブになる。ただこの詩からは寂しさとか諦めとかだけじゃなくて、絶妙な距離感から優しさが滲む。どんこなます、調べてみたけどオレ苦手な感じだなあ。
じつは僕も箸をつけたことがない。
酢の物はニガテだしドンコは骨が多くて。
王殺しさん、優しい眼差しですね。
認識する息子の死と、ばぁさんの対比が鮮烈で、そのどちらにも接する僕の眼差しが優しくて。
こんな風に震災を見つめる伝え方に恐れ入ります。
まあ優しいんだかなんだかはようわからんのだけどね。
震災をここへきて伝えたいのかもわからないなあ。
食べたことないですけど、味わい深いタイトルが、一筋縄でいかない音がありますね、方言やその土地に根付いたものの言葉には、生命力と受け継いできたものの重さを感じます。
僕も食べたことないのでおあいこです(なんとなく味は想像できますが)
実はいちご煮でも海宝漬けでもこれは食べたことのあるどんこ汁でも何でも海のものだったらよかったのです。でも”どんこなます”という響きがどうにも気になってしまって。響きがまさに三陸の雰囲気だったもので。
どんこなますという言葉の音だけがここでは詩なのかもしれないなぁ。
あと蛇足を承知で今日知ったことを書くと、僕がいつも見ているのはカモメじゃなくてウミネコだそうだ。え、そうなの。まぁカモメはたつ鳥(渡り鳥)だからよいか。
この詩から「僕」の愛を感じます。すてき。
あ、念のために申しますが、この詩の内容に思いやりがあってその詩の強度がすてきということです。言葉足らずですみませんでした。
じつ言うと野球談義をする治郎さんを僕は知りません。
ただ復興住宅がもと住んでいた海のそばとはとんと離れた山の上に開かれ、そこに多くの海の民が住んでいるのはもちろんよく知っています。
僕は感情を代弁してもらいたくて、いやその役をまるっと代わってほしくてものを書くのかもしれない。
それはあの震災のことではなくて、普遍的にあるのだろう感情のことです。
泣きましたです。