限界の先を夢見る
あの人の まなざし深く静かな
群青色は列をなして
宙を見つめている
人類の亡んだ地球の岸で、
あの人の亡霊が釣りをしている
風はそよそよと光り
空には雲が
ぽっかりぽっかりと浮かんでいる
これが本当の平和な自然か
か?
大昔には私が居た。
あの私
私の好きな言葉は
「行雲流水」
「放てば満ちる」「足るを知る」
「これも運命 天の自由」
できるだけ これらの言葉を
忘れ去らないようにしたいけれど
と妄想をする私の現在に
あの人の亡霊は
問い続ける
「愛は命を救うか」
一概には言えませんね
ぽぅっ と闇に灯るほのかな声
「魂という命は、絶対ではないけれど
大切であることには変わりない愛だ」
あの人の亡霊は
宙を
通り越して
本当のことなんて分かりっこないが
一個のパンが一瞬だけ命を救った
コメント
“地球の岸”って素敵です。
人類が滅んだ映画やゲームは良く目にしますが、この世界の続きをもっと追いたくなります。
「限界の先を夢見る」初出 日本WEB詩人会
@たちばなまこと
たちばなさん コメントありがとうございます。
ふふ。地球の岸 、人類が滅んだ頃(どれ位先のことか、何億年後か不明でしょうが)にも 海があるとは限りませんが、岸があるとすてきかなぁ、と思いまして。その岸で、こっくりこっくり?とかしながら、あの人は釣りをしている風景。ね^^
ふふ、この詩の世界をもっと追いたくなってくれて、想像などをしてくれたことを貴重に思います。嬉しい。
ああ、たちばなさん、ありがとうさま☆^^
こんばんは。
世界を追って
地球の岸があって
釣り人の風景があって
そこに変わらない一個のパンがあればいいな
でも その光景は
結構シビアに思えました。
や、よく分からない感想ですが
好きでした。
足るを知る、という言葉は、気持ちの奥に持っていたいです。あの人の深いまなざしを、想ってみました。
@wc.
wc.さん コメントありがとうございます。
こんばんは、拝礼。
まぁ、この詩の その世界はこの詩の話者の「私」の「妄想」なんですが。
「妄想」ではない「この詩の現実世界でも」「あの人の亡霊」は存在しているんですね。
話を少し変えますが。
毎年、未だにやってるテレビがありますね。そのテレビ番組のキャッチフレーズが、「愛は地球を救う」でしたっけ?
ある人がそれについて言ってました。「『愛は『地球』を救う』じゃないだろ?!『愛は『人類』を救う』なら分かるよ?!」と。
なので、この私が書いた詩では、「愛は『命』を救うか」と「命」を「救うか」と言っています。
(別に、地球や宇宙にとって、人類なんか滅んでも、痛くもかゆくも無いですよね。人類が滅んで痛いのは人類だけです。)
なので、「一個のパンが一瞬だけ命を救った」という現実が、そう現実だけはある。飢えた子供がそのパンで数時間か一日とかは生きたし、生きるだろう、というですね。宇宙の時間から見れば、ほんの一瞬ですよね。
すみません。頭が あつくなっちゃった。
でも、「限界の先を夢見る」んですよね。この詩では。
それでも、「魂という命は、絶対ではないけれど 大切であることには変わりない愛だ」ということです。
しかし今、私は、この言葉を思っている最中です。本当に大切なものは私にとっては何なのか、と。一生勉強の私です。ふふ。^^
@wc.
wc.さんへ 追記。
wc.さん、ああ、この詩を 好き と言ってくれて、ありがとうさま☆^^
@長谷川 忍
長谷川さん コメントありがとうございます。
うん、この詩の中の「あの人」は、私にとって一人のモデルが在ります。
そして、「あの私」と「あの人」というのもあります。
でも まあ、もっと広い意味で言えば、「あの人」が色々な「あの人」であってもいいと思っています。つまり、「あの人」は、あの人やあの人やあの人、といったふうに。
足るを知る、というのは、実際に私こしごえが好きな言葉の一つです。でも、好きなだけで、なかなかこの言葉のようにはいかないですね。まあでも、ある部分では、この言葉の通りに出来ている部分もありますが。具体的な例を一つあげれば、靴下などの消耗品は穴があいたりゴムが伸びたら新しいのを買いますが、それ以外の、「服は一生分あるから基本的には、もう買わなくていい。」というですね。
あとこの言葉で大事なのは、精神的なこともそうですね。(今の今、具体的ないい例が浮かばないけど)例えば、こうしてつながっていられるだけで満足しよう、とかですかね。
まあ、長谷川さんは分かってるだろうけど、私がこの言葉について どう思ってるかというのが、以上のことなどということです。
この詩にあげた好きな言葉は、上記と同じく、こしごえが実際に好きな言葉です。ふふ、好きなだけかもしれませんが、それらの言葉を時々何かの時に思うと、それらの言葉にも助けられるんです。
長谷川さんが、この詩から色々に思ったり、あの人の深いまなざしを 想ってみてくれて、嬉しいです。
長谷川さん、ありがとうさま☆^^
行雲流水、良い言葉ですね。「あぶくも」の座右の銘にさせてもらおうかしら。
ところで、「足るを知る」はその昔人生のある時点で本当にそうだよなぁと思うことがありまして、それ以来、京都の龍安寺の石庭の裏にある「吾唯足るを知る」と刻まれたつくばいを心に忍ばせております。
@あぶくも
あぶくもさん コメントありがとうございます。
行雲流水という言葉を何で知ったのか。・・・・・・今の今、思い出した限りでは、脳科学者の茂木健一郎さんと禅僧の南直哉(みなみ じきさい)さんの(主に対談形式の)共著『人は死ぬから生きられる』中に「行雲流水」という言葉が出て来たんだったかなぁ?、と。まあこれは、確かな記憶ではないですが。。
私は、特定の宗教を信仰はしていませんが、お坊さんのすてきな言葉は好きです。まぁ、その言葉を好きなだけで、言葉通りのことをキッチリとは実践できてはいませんけどね。^^;
足るを知る、もいつの間にか知った言葉です。
あぶくもさんが、足るを知る、という つくばいを心に忍ばせていることが すてきですね♪^^
あぶくもさん、この詩と向き合ってくれたりして、ありがとうさま☆^^