嫌い Definitely
言葉が好きなのに、日常的に使う言葉に無頓着なのは、思い病むべきことなのだろうか、
他人から何か言葉を投げかけられた時、自分だけが正解みたいな風をしている人が嫌いだ。だからこうやってゆっくりと、吶々としか言葉を羅列できないというのに、
たとえば詩人は、普遍的な感情にたくさんナルシシズムから芽生えた飾り付けをくくりつけているだけなのだから、ほんとうはペンネームなんて使って隠れる必要はないのに、そのほんの少しの自惚れを否定されるのが怖いから、言葉の影に隠れる。
誰か助けてよ、とずっと思っているのに、何から助けてほしいのかもわからない。それは思春期故の未来の不透明感とかではない。いつから私はこんなに弱くなったの、という気持ち悪い文章は、真っ直ぐな意味では受け取らないで。口癖になってしまった、たすけて、は、周りのひととは使い方の尺度が違うから、どうやら言葉に無頓着みたいに見えるだけ。
私は、他人から何か言葉を投げかけられた時、自分だけが正解みたいな風をしている人が嫌いだ。きっと嫌いだ、
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