月が綺麗ですね
苦痛は再現出来ないと書いたのは
多分村上春樹です
他に本が家になかったから
痛みは主観的なものです
ないといえばない
最期に悲しかったのは彼が幸せだったこと
私達が耕した畑を踏み荒らし
腹を空かしたカラスを放ち
収穫に火を点けながら笑ったこと
絶望も悲しみも苦痛もあるべきもので
ないといってはいけないのです
嘘が何かを知ることになるだけだ
私の人生は苦痛に満ちています
おそらく人よりもかなり不幸でしょう
それを隠さないのは誠意なんです
彼は笑っていました
雨が降って川が溢れた時にも
日照りが続いて子供が死んだ時にも
彼はただ面白かったのです
魂の行先が地獄だと気が付いて
自分を救わない世界が終わればいいのに
私はただ茫然と燃え尽きていく空を見ました
私には人の心がありません
彼と運命を共にして死ぬ筈だったから
苦痛もまた目に見えないものなんです
震えている私の肩を抱いて
もう大丈夫だと言ってください
失われていくもののために泣かせてください
奪われたもののために悲しませてください
与えられなかった幸せを思い出すことはできません
自分が何をしたか
彼はこの世を去る前に悟ったでしょう
私を遺していってしまった
彼は私を殺さなかったし
私も彼を愛しています
月は綺麗だと思うのです
コメント
悲しいです。人を責めるような内容です。まとまりがないわけではない。うまくまとめることはできている。
心理学的には病を感じる内容。表現作品としては、後味が悪く、治療のようなものの必要性を感じます。対処でなく、根治療法のような。彼と指す人間の内容とそこにある背景が見えない。非常に80年代的なもの。村上春樹的なものを感じます。責めている部分と、センチメンタルな感傷。意味を読み解き、複雑に紐解く過程で、少しつまづいてしまう。
語り手として、読み手に希望や救いを与えたい、与えようという誠意を感じづらいのです。それが辛い。
まとまりがあるということはそれだけ努力した結晶のはず。その矛盾に、腑に落ちない辛さを感じました。
@荒川濁流
コメントして下さり、有難うございます。
作中の「彼」が生きることに対して、社会の中で、どんな風に真摯で、真面目で、誠実であったかを、
描くことは出来ます。その方が簡単で、共感を得やすいし、詩作品として褒められます。
読者は作品には現実ではなく、夢を望むものです。夢からままならぬ現実に立ち向かう気力を貰う。
描かれた理想の姿が真実であろうとなかろうと、大事なのは読後に救いや希望を抱いて生きられるかどうか、です。
パンの耳かじりながら休日を割いてなぜこんなことを一生懸命書いているかというと、
これが荒川さんの仰っている「根治」へ向けての一つの手段だからです。
彼は主のくせに、そんな風に夢を見ているうち、狂ってみんな滅ぼしてしまった。
「私」が最後まで死なずに存在していることが、希望です。
素人の手習いで、何言ってるんだろうかなぁと思いつつ。また作品でお会いできることを楽しみにしています。
“それを隠さないのは誠意なんです”というこころ、いいなと思いました。
タイトルと最終連のリンクの仕方にうなりました。
情に流れているというか、ムードに寄っているように感じたのです。海が来て流されそうな時に、2本の足で必死で流されまいとする。その時に、意地っ張りとか、アンチテーゼのようなものが。詩の中に見つからなくて。それが大人の悲しさだよなって僕は思ってしまいました。少し一本調子で、引っ掛かりがなかったのが、綺麗過ぎてアニメっぽかった。昔の大人だと、棍棒で憎い相手と男女問わず必死で闘うようなところがある。そういうのが詩の中に欲しかったのです。内容は、寂しいけれど、とてもオシャレだと思います。
@たちばなまこと
これは、実を言うと癌と認知症で亡くなった父の思い出話なんです。
子供は、家庭を持ってから詩を書くこともギターを弾くこともしなくなった彼の、
一番の創作物だったんじゃないかなぁ、と思いながら書いています。
いつも、読んで下さって有難うございます。
@荒川濁流
闘いというか、争うのが苦手なのです。(笑)お話によっては、「彼」が殺される時もあります。
こん棒で殴られるうちに、自分が悪いのだと教え込まされてしまった可哀想な子供たちの話でもあります。
私が生きていることが唯一、笑い続ける彼に対して、反旗を翻せたことかも。
彼は自分に対してすら負けちゃったんですよね。結局。たったひとつのこった、むなしいゆめではないたしかなもの、彼は今私でもあるのです。
生きてる、というのは大事なことですね。
愛したという記憶の中に幸せはあります。きっと次があります。人生は何度でもやり直せますよ。
@荒川濁流
有難うございます。寒くなってきたので、風邪など引かないよう、荒川さんもご自愛下さい。