聖徳太子
芸術の持っている官能への従順は、女性の持っている生理感覚への従順へと混同されがちである。
僕はブライアンウイルソンとイエスキリストと、モーツァルトがお気に入りだ。
彼らにはそれぞれ、女子供の持っている幼稚と見前違えかねない言動があった。
道端でうんこしている女性がいても彼らなら、怒ることをしないだろう。
これがブラームスや大バッハ、ベートーヴェンなら、どうか?
厳格であることが、美しく見えることが良くある。
聖徳太子は、抜群のプロポーションと、生理感覚の歪みのなさ、官能への抵抗のなさを湛えながら、その持久力と集中力によって、悪いものは悪いと意見しただろう。
道端でうんこしてしまう女性が、もしいたら、それは生理反応を抑えられない稚拙を孕んでいる。それが官能に正直である場合、クリエイターが仕掛けた思想がこの子達には見えない。
人間の持っているエロスを縛り付けることを良しとしないことが、現実生活でもそれを態度で表していいことと混同されてしまう。
イエスキリストの話がどれだけしっかり練られ、まとまっていたとしても、水帆らしい格好をしてすべてを赦す心を謳う以上、舐められ放題舐められることは当然なのだ。
人間の持っている無限大のエネルギー、想像力によるエロスを縛り付けることなく、学力と見聞、知性により、性衝動、暴力衝動を優しさと慈愛のステッキで上手にあやし、マナーと調和を守って、その中で生きていくことを最大の本文と出来る丈夫男。
男性的な美意識を嫌味なく発揮できる芸術家は、聖徳太子だけだ。
理性と論理。これを最高のバランスでエモーショナルと織り交ぜ、発揮出来るのは現代では解読できないミステリアスがあったとしか思えない。
聖徳太子の旨とした文明と法の規則ごととルールを元に作る音楽。
それをしっかり研究し勉強していけば、東洋的な思想を持ったバッハミュージックのようなものが作れるのではないだろうか?
西洋に対応する、規則ごとを持った日本の音楽はいまだにこの国にない。
なにをやればいいかわからない人々。彼ら彼女たちのために日本的な美意識に貫かれた規則ごとを持った音楽が必要なのです。
七曰 人各有任 掌宜不濫 其賢哲任官 頌音則起 奸者有官 禍亂則繁 世少生知 剋念作聖 事無大少 得人必治 時無急緩 遇賢自寛 因此國家永久 社禝勿危 故古聖王 爲官以求人 爲人不求官(憲法十七条七条原文)
この中に音楽があるのです。この波動とエネルギー。これはまさに無限大宇宙。字体から、意味。貫かれた思想。文章マナーに至るまで、研究し、勉強すればするほど、興味深い。それが厩戸の耳の王子。日本のキリスト。彼は慈愛を良しとしなかった。現実的な手段を選んだ。そのために法であり論理規則が必要であると考えた。キリストとどちらが偉大かという論議はおいて、偉大な方。我が国が誇れる唯一無二のお方です。
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