散歩
何も為すことなく
点滴が一滴ずつ
ぽとりぽとりと落ちていく
時を刻むでなく
残り時間が垂れていく
次から次へと
時間が生成されていく幼い頃
ぼくは国道の脇で
トラックやバスや自動車が通るのを
ただただ見つめていた
ときどき専用軌道を走る玉川電車には
少し目が光ったかもしれぬ
ぼくが育った上馬は
世田谷の真ん中で
玉電もバスも渋谷行だった
およそ百年前
植物の大採集家・牧野富太郎夫妻は
そのど田舎に住んでいた
およそ八〇年前
渋谷・道玄坂に住んでいた
英文学者・詩人の西脇順三郎は
上馬なんて突っ切って
雑木林や野原突っ切って
成城だの
砧だのに
散歩に行った
見知らぬ草草を愛でながら
およそ二〇年後
すでに家々や
アスファルトに囲まれていた
小さなぼくは
植木鉢を物干し台
(ベランダなんてことば知らなかったな)
に並べて
見知らぬ草を愛でていた
名もわからぬまま
乳児や幼児が
なんでもうごくものに
興味をそそられるように
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