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落書きがアートと
呼ばれるようになったのは
いつ頃だったろう
分るとは言わない
分かったふりもしたくない
惹かれるかどうかだ
わたしにとっての本物は
あなたにとっての我楽多
それでいいのだと思う
表現したければすればいい
勘違いの翼を広げればいい
鳥のふりではなく鳥になればいい
飼い主などいない
鳥籠なんて真っ平だ
恍惚と不安の空を飛び回ればいい
たとえ傷ついても
一度でも飛んだからには
もう人には戻れない
けどね
落書きがアートと
呼ばれるようになったのは
いつ頃だったろう
分るとは言わない
分かったふりもしたくない
惹かれるかどうかだ
わたしにとっての本物は
あなたにとっての我楽多
それでいいのだと思う
表現したければすればいい
勘違いの翼を広げればいい
鳥のふりではなく鳥になればいい
飼い主などいない
鳥籠なんて真っ平だ
恍惚と不安の空を飛び回ればいい
たとえ傷ついても
一度でも飛んだからには
もう人には戻れない
けどね
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コメント
そうですよね。長谷川にとっての本物は、誰かにとっての我楽多。表現は、勘違い。…ようは、惹かれるかどうかであります。
@長谷川 忍 さん
>コメントありがとうございます
詩作って本当に因果な趣味だと思います。
そこに、さらに厄介な「写真」という趣味を加えてしまった。
どつぼ、ですね(笑)
もう死ぬまで抜けられないと思うと苦い笑いが込み上げてきます。
この作品、好きです。^ ^
nonya 様の、若々しい人間味が…。ああ、詩と共にあるひと…
なんだなぁ…と強く感じました。
@リリー さん
>コメントありがとうございます
若々しいなどと言っていただいて、光栄です。
若い頃書いていたものと比べてだいぶ辛気臭くはなっていますが
凝り固まりたくはないと思っています。
インチキアートを見て回るのも若さ対策のひとつです(笑)