046

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落書きがアートと
呼ばれるようになったのは
いつ頃だったろう

分るとは言わない
分かったふりもしたくない
惹かれるかどうかだ

わたしにとっての本物は
あなたにとっての我楽多
それでいいのだと思う

表現したければすればいい
勘違いの翼を広げればいい
鳥のふりではなく鳥になればいい

飼い主などいない
鳥籠なんて真っ平だ
恍惚と不安の空を飛び回ればいい

たとえ傷ついても
一度でも飛んだからには
もう人には戻れない

けどね

投稿者

東京都

コメント

  1. そうですよね。長谷川にとっての本物は、誰かにとっての我楽多。表現は、勘違い。…ようは、惹かれるかどうかであります。

  2. @長谷川 忍 さん
    >コメントありがとうございます
    詩作って本当に因果な趣味だと思います。
    そこに、さらに厄介な「写真」という趣味を加えてしまった。
    どつぼ、ですね(笑) 
    もう死ぬまで抜けられないと思うと苦い笑いが込み上げてきます。

  3.  この作品、好きです。^ ^
     nonya 様の、若々しい人間味が…。ああ、詩と共にあるひと…
    なんだなぁ…と強く感じました。

  4. @リリー さん
    >コメントありがとうございます
    若々しいなどと言っていただいて、光栄です。
    若い頃書いていたものと比べてだいぶ辛気臭くはなっていますが
    凝り固まりたくはないと思っています。
    インチキアートを見て回るのも若さ対策のひとつです(笑)

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