コップの割れる音

批評が表現なら、それがインプロデュースに、終始してはいけない。

批評の本質は、対象への愛である。

コップが落ちて割れた時に、それがコップにとっての自己表現だったと誰が言えよう。
コップが落ちて割れたのは、それが起きるに至った、なにかがあったからだ。

そのなにかをじっくり観察して、表現するのが批評だ。

結局表現者は常に、批評をやっている。

対象への愛を持って接するなら、苦いコーヒーの中に、砂糖を少し入れて、差し出すのが、マナーである。

愛は結局マナー。
リアクションだけなら、独りよがりでいい。
愛が嘘であると言えば、嘘であるけれど、本当のことなんか誰にも分からない。

僕は心理学者を信じない。
人がどう動いたら、そこにこう言う心理があったかなんて誰にも分からない。
結局心理学も、偏見を植え付けるだけだ、

理解しようとした誠実さだけ買われるならいいけれど、誠実でなくていいと言う態度を先に取った相手に、誠実さを見せる義理は本来ない。誠実が媚に変わってしまうのは、蛮勇が狂った世界で幅を効かせるからである。

最後に私が蛮勇に対し、匙を投げた際の、コップの割れる音を聞いて頂きたい。

『友達に捧げる歌』

私には、メル友がいない。
友達や仲良しなんて作ってなんの意味がある。
やりたいこと、目的があるなら、そこに向かって歩を進めばいい。

他人は便利な時にだけ使えばいい。
人を便利屋として使うのは、最小限に抑えるのが、マナーだ。

キスしたいなら、キスしたい。
手を握りたいなら、手を握りたい。

全部最小限の浪費に抑えたい。

たったそれだけのために、メールでピコピコ友達アピールをするなんて、バカバカしいじゃないか。

「不誠実」

好きなことやって、そのすべてに責任を持ちたくない。

他人を支配したり、奴隷にしたり、利用して、自分だけは美味しい思いをし続けたい。

真面目に生きてるやつを揶揄い、笑いの対象にして、女たちに愛されたい。

バカなことばっか、好き放題やって、いざと言う時は、いい服を着て、受けそうなことを言いたい。

笑って欲しい。笑われたくない。自分を犠牲にすることは、絶対に嫌だ。

そう言う自分が悟られないように、適当に建前は繕う。

それを骨から信じて、間に受けてるやつ、態度で間に受けている様子を現してるやつ、自分から舐めて欲しいと言っているようなものだ。

あー、虐めてえ。うまく自分の手を汚さずに、それが出来たら、最高やねんけどなあ。

後、うんこしたい。いつでもどこでも、うんこしたい。
食べて寝て、好き放題やりたい放題やって、したい場所で、したい。
したい時に、できる場所で、うんこしたい。

あーあ、そのために一所懸命頑張んなきゃ。あー面倒だなぁ。

…女が欲しい。そんなことばっかやってたら、モテなくなった。
あー女だきてえ。どっかで作んなきゃ。

よっし、そのために、ガンバロー。

頑張れねえやつは、だめだ。真面目に生きれねえやつは、だめだ。
いくらでも好き放題バカにして、舐め切ってやる。

反抗してきたら、殺してやる。成る可く、自分の手を汚さずにな。

あー、うんこしてえ。うんこして、うんこしたやつ、誰かが始末してくれたら、最高なのになぁ。

あー死にたくねえ。死んだら、嫌な思いする。
苦しいって絶対。
俺、苦しい思いしたくねえよ。
力まずに、死にたい。

ガチで、尾崎豊とか、聴きたい。
後、うんこしたい。

あー怒鳴り手ェ、誰かと喧嘩しテェー。

コカコーラとか、飲みてぇ~。
ヤクザと連んで、悪いことしてぇ~よ~

タバコ吸って、酒飲んで、うんこしてえ。

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