マーブル学序説
まだ産まれていなくて 生きていて そして死んでいる
この世は模様でできている
この世の最小構成単位は模様である
時間とは
水に広がるマーブル模様のような
世界の変化する単位である
過ぎ去るものではない 変化するもの
例えばマーブル模様の一つが恐竜だとして
恐竜は過ぎ去ったのではない
変化して私たちの模様の中にある
そのように 私たちも失われることなく
模様が変わるように混じり合い新たな模様となる
生きていて 死んでいて そしてまだ産まれていない
(第一章 超模様理論 より)
コメント
個人的なことなんですけど、昨日模様が出てくる詩を書きました。小さな頃からずっと模様が好きで、この詩を読めたことで模様についてまたひとつ素敵な事実を教えていただきました。
タイトルからとても素敵!と思いました。
>たちばなまこと/mikaさん。模様の出てくる詩を書かれたのですね! それは奇遇なことでその詩もぜひ読んでみたくなりました。コメントありがとうございました。
水に広がるマーブルとは美しき油膜か。
はたまた儚きあくたか。
この世の全ての事象や歴史はすべてカオスな坩堝に。
10000年前の生と現代、今ここにある生、同じく死、誕生、これから10000年経ったときどんな意味があるのだろう。あるのだろうか。
たしかに恐竜も三葉虫も人間もおけらもみみずもあめんぼもみんなみんな・・・
もしかして最近騒がれているvirusも我々とただただ交じり合った存在なのだろうか。もちろんそうだろう。virusはそもそも我々の一部だろう。
ああ、次の章が気になる。
>王殺しさん。王殺しさんは完全に理解されているようなので「マーブル学 超模様理論」の単位を授与させていただきます(^^)コメントありがとうございました。
時間とは、過ぎ去るものではない。変化するもの。失われることなく、混じり合い新たな模様となる。…ちょっと、目から鱗が落ちるような心持ちがしました。生きて行く勇気が湧いてきました。
>長谷川 忍さん。とても嬉しいコメントありがとうございました。
学生のころに「時は流れない」、っていう哲学者の言葉に触れたときの衝撃を思い出しました。誰の何ていう本だったかは不真面目な学生だったから覚えてないんですが、あれからずいぶん歳をとって、流れない時の存在をなんとなく実感できているように思える瞬間が時々あります。ほんとうになんとなくで、錯覚と言われたらそれまでのささやかな感覚なんですが、恐竜も同じ感覚を抱きながら絶滅していったのかも、なんて考えると楽しいです。
素敵でした!
>あまねさん。「宇宙際タイヒミューラー理論」とか「超ひも理論」とか、近頃は数学や物理学もほとんど哲学と言ってよいような理論になってきていますね。内容が理解できなくても名前だけで想像力が刺激されてワクワクしてしまいます。私たちにとって当たり前の時間という概念や感覚も、本当のところはその実体が分かってなくて、しかし私たちは確実に時間にふりまわされていますよね。「時は流れない」という哲学者は私たちの支配者の実像を垣間見ていたに違いありませんね。素敵なコメントありがとうございました。
たかぼさんの詩を読むと、インテリっていうとイメージ悪いかもしれないですが、自分の中に知性を感じます、自分はインテリではないので、コンプレックスも含めて、まったくわからない言語でなく、言葉は理解できているのに、その深淵にまだ未開の知があって、そこを覗くような、ここでいうと模様という単位が変化していく、という。言語化できないものが、記号化されて明滅しているような、信号のようにも感じました。
>timoleonさん。深く読んで頂いてありがとうございます。私自身は「本当に時間って流れているんだろうか?」という疑問を持っています。で、それが滑稽な疑問かと思いきや、現代物理学の最先端の一つである「ループ量子重力理論」では、たとえ人間が時間を感じたとしても実際には「時間は存在しない」とまで言い切っています。それはともかく、私はこういった物理学の言葉の中にも詩が隠れているのではないかと思っているのです。素敵なコメントありがとうございました。
興味深い遺伝子の次元を語り、自分を含む生命の不思議を思います。
>服部剛さん。生命、時間、宇宙。この世には沢山の驚きと意味が溢れていますね。コメントありがとうございました。