人間だから

人間だから

いじめがあることは仕方ないのではなく、いじめはいいものだからあるのです。

世の中にあるもので良くないものはひとつもないのです。

神様は良くないものをひとつも生み出していない。

殺人はいいものだから、ある。
強姦レイプはいいものだから、ある。
いじめもいいものだから、ある。

殺人を犯した人間が殺して良かったと思うなら、殺した人間として正解。
強姦レイプを犯したものが、それをやって良かったと思えたら、強姦レイプを犯したものとして、正解。
いじめをした人間として、いじめて良かったと思えたら、いじめた人間として正解。

殺人を犯されて良いと思えたら、殺人を犯される人間として、正解。
強姦レイプを犯されたものとして、強姦レイプを犯されて良かったと思えたら、強姦レイプを犯されたものとして、正解。
いじめられて良かったと思えたら、いじめられた人間として正解。

抵抗して闘い、反撃して良かったと思えたら、抵抗して反撃した人間として正解。
結果は全て関係ないのです。
無視し黙認して良かったと思えたら、無視して黙認した人間として、正解。
加担して加勢して加害を深めた人間として良かったと思えたら、加担して加勢して加害を深めた人間として正解。
抵抗せずに服従し、従い続け敗れることを選んだのなら、抵抗せずに服従し、従い続けて敗れる人間として正解。
認めないまま認めずにいる。諦めずに抵抗し続け、受け入れることができないままで通すなら、認めないまま認めずに、諦めずに抵抗し、受け入れることをしないままで通す人間として正解。
それを責めるのも責めないのも、責めて怒られるのも、責めずに味方して褒められるのも正解。

しかし、それを良かったと思えるかどうか?
顔の表情に現れるもの。それが人間の質なんじゃないかな?

お釈迦様は全てを肯定する。これが本当の寛容。
キリストもそうです。

人間は善悪を作る。都合がある。都合勘定をする。それが欲望なのです。
それで書いた詩が
「よかった」
という詩なのです。
救わなくて良かった。救われなくて良かった。そういうことも人生は往々にある。
認められなくて良かった。認められて良かった。それもまたある。

主張して生きるとは難しいことです。主張してしまうと、都合勘定の世界にアンチを唱えているかのようで。何故主張してしまうかというと、自分の都合が認められないからというそれだけなんですよね。

欲望がひとつも認められていない。
奪うしかない。それで革命を選ぶんだと思う。そこら辺がスローガンの起源なのではないか?
品がいいものではないけれど、それもまた仕方ないものであり、いいものだからあるのです。
下品なものも、歪んでいるものも、すべていいものだから、あるのです。丸と三角と四角。すべていいものだからある。おかまゲイ、同性愛。アブノーマル。すべていいものだからある。非合理的なものも、すべていいものだからある。宇宙が爆発することも、地球が消滅することも、すべていいことだから、そうなる。

しかし、それでも都合勘定を優先したいと思うのなら、それが人間なのです。人間の欲望は果てしない。
カレーを食べたい。レトルトを食べたい。レトルトは体に悪い。それでもレトルトを食べたい。レトルトの味が本格的なカレーより意外といい。言いづらいけれど、いい。

「よかった」

生まれてきてよかった。
人に喜ばれてよかった。
嫌われてよかった。
笑われてよかった。
笑いものにされてよかった。
怒られてよかった。
いじめられてよかった。
仲間外れにされてよかった。
無視されてよかった。
不登校を選んで、よかった。
親に責められてよかった。
反抗してよかった。
復讐して、仕返しをしようとして、それが叶わなくてよかった。
拘置所に入れられて、精神病院に入れられて、薬漬けにされて、犬扱いをされて、騙されていい気になって、可愛がられて、病院から出て、障害者になって、文才が認められて、多数の賞を受賞して、新聞雑誌に少し載って、よかった。よかった。よかった。
人と会えて、よかった。
人と話せてよかった。
よかったよかったよかった。本当によかった。

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