則天去私者としての私

則天去私者としての私

致死率の低いコロナワクチンの害も実はそれなりにある。

私の知り合いで、コロナワクチンを7発も打ち続けて、周りにも周囲にもマスクをしろと言い続けている人がいる。
木の上に登る時にまで、マスクをする。
目の前でマスクは意味がないと言った私の前で、一瞬マスクを外していた自分について
「いけね、マスク外しちゃった」
と語る。
人間の脳味噌がどう出来ているかは人それぞれ。ただ、一つだけわかるのは彼が正直者だと言うことだ。
目の前にマスクいらないと思うと話す私に、マスクをしていない自分への良くなさをのべる時、彼の中で誰と向き合い、誰と話し、なにに対し、正義を述べているのかと言うことは、見えない。
彼の中にいるもの、それは神なのです。その神というのは、言いつけを守り、規則を守らせてお行儀をよくさせてくれるなにか? なのです。
私と話しているように見えるし、私と向き合っているように見える。
彼の中にあるのは、言いつけを守らせて支持してくれる人。それが常に必要なのです。
何故必要か? 欲しいものがあるから。それが女性です。
女性は言いつけを守り、素直に要求に従ってくれる人には贖えない。お金を運ぶ努力をしているから。
人を好きになることは単純です。目の前にピーナッツがある。これを好きかと言われて、好きと思うことは単純です。嫌いになることも単純だ。好きか嫌いかもそれほど大事なことだとは思えない。

致死率の低いコロナワクチンを7発打って大丈夫なら、周りにも周囲にも安全性を勧め、マスクを薦めるのは仕方がない。彼は歌を歌い、本も売れる。確かに金になる能力者なのです。
もう一人の女性は、論理的窮地に追い込むと、コロナウイルスで死んだ利用者がいたと抜かす。
他の利用者に尋ねると、そんな人はいない。
頑張って働いてお金を貰えば、その対価は支払われる。従った人間。従わせた人間。反発して逃げた人間。
お互いの時間を有益にするために、記録がある。

彼岸者を説得するのは、難しい。悟り続ける人間は、個人願望を脇に置いて、真実と向き合えるが、悲願者は、個人願望を最後までまっとうすることを天命と考える。
天が決めた命、それは貴方が決めた命ではないか? それが承認欲求の本質です。

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