SOMEWHERE FARAWAY
月日は胡乱な亡者。大河の流れの始まるところを誰も知ることがないように、時の流れに終わりも始まりもない。私たちはコピーアンドペーストを繰り返す永久機関が産み出す亡者。昨日通り過ぎていった亡者も、明日通り過ぎていく亡者も、同じ貌で泣き笑い響めきながら霧散する。櫂も無き泥舟に乗り、ただ沈みゆくのを待つ者。タンクが空になったバイクに跨り、痩せさらばえた骨身をただ風に擦り減らす者。誰もがみな亡者に過ぎず、亡者の群れだけが再生産され続け、終わることのない死が繰り返される。私もまた、既に亡者である。知らぬ間に病に感染し、ただひたすらに「ここではないどこか」に飢え、人影もない海辺を彷徨う憐れな亡者。廃墟の天井に張った蜘蛛の巣のフラクタルな美しさを愛でているうちに、春が訪れて世界が燃え上がり、ホログラムじみた蜃気楼には白磁の如き女の腰の艶めかしい曲線が浮かぶ。この指先だけでも触れることが叶うならば、喜んで全てと引き換えにしよう。私を蠱惑する者がリリスでもサキュバスでも構わない。震える手で鷲掴みにしたアスピリンを齧り、裸足のままで襤褸を纏った私は、月の光に誘われて廃墟から飛び出した。
The End of the Dead / Girl in a red / Crown on her head
破った紙切れに書き殴った預言を、コンクリートの柱に貼りつけて。
コメント
春とは、芽が「はる」ことだと言う、そしてそれは反宇宙に於いては、反世界の芽が「はる」ことでも、あるのだろう、つまりそこでは、女の白い肌が、わたしの指に、ふれようとする。
@坂本達雄 さん
なんかお返事しなくてはと思ったが、
なんと返せばいいのか全く思いつかなかった・・・
反宇宙では、言葉が反転する、返さない言葉、が、帰って来る世界、詩の言葉が、自由であることを、反転するとき、規定された言葉が自由である。思いつつ、思いつつ、帰って来る。
@坂本達雄 さん
反宇宙はともかく、
「春」に着目していただけたのは幸いでした。
この詩はそこが起点だったので。
誰も指摘してくれないからさびしくなって白状しますが、これは一応、松尾芭蕉「奥の細道」序文のオマージュみたいな感じで書きました。