河口へ
私鉄電車を乗り継ぎ、急行の停まらない駅で下
車する。少し歩くと、川に出る。川の先に飛行
場がある。時おり旅客機が上空をゆっくり過っ
ていく。対岸は工場地帯だ。土手を下りてすぐ
のところに、ビジネスホテルがある。水が見た
くなると、ホテルに泊まった。
年が明け、巷も落ち着いてきた週末の宵、久し
振りにホテルを訪ねた。何をするというわけで
もない。駅前のお店でビールを少し飲み、川べ
りを歩いた。ホテルでシャワーを浴びて後、再
びビールを飲みつつ文庫本を読んだ。Nという
作家の短編集だ。小説と散文のあわいにある、
都市の、寂しい奇譚。読書に疲れると、窓から
川を眺めた。工場地帯のいくつかの光が規則正
しく点滅している。
夜半に目覚めた。
作家のことをぼんやり考えていた
彼は空襲で自宅が焼けた時
その様子を克明に日記に記録したのだという
冷徹とも執念ともつかぬ眼を想像してみる
作家自身が物語であったのか。
早朝の土手を歩いてみた。日曜日の町は人の姿
も少なく、閑散としている。厚い雲が上空を覆
っている。空と川面の境が曖昧だった。土手下
では、再開発が始まっていた。古い家並みが次
々に取り壊されていく。ホテルもいずれなくな
ってしまうのだろう。飛行場へ続く敷地の手前
に、小さな祠を見つけた。河口が広がっていた。
コメント
たんたんと映る情景が昔の映画、原節子さんや笠智衆さんが出ていたような、の色合いを感じました。
作家の現れるバースでは、作り手としての憧憬やあらためて矜持みたいなものを感じます。
いつの世も辺りは変わっていくということと、自分のいる場所、誰もが(もちろん僕も)気づくそんな情景の切り取りかたが好きです。
文形が整えてあるのだと思うけれど、スマホで見てしまったので(というか今はスマホしかない)、行変えがずれてしまって残念なことをしてしまった。
スマホ横にして読みました。
声高に何かを伝えるのではなく、訥々と淡々とのあわい。何を感じるかは別物だとしても読み手の自分も同じ場所に置くことができる。こういう感じの詩、好きです。
あ、ほんとだ>スマホ横
写真も大きく見えてよいです。
この詩の話し手が体験していることをまるで私も体験しているような感じが読むごとにします。
作家自身が物語であったのか、というところに ああ と感じ入ります。
そして、最後のほうで、そこに住んでいたであろう人々の生活が変化していくさびしさと生命力。
飛行場へ続
く敷地の手前に、小さな祠を見つけた。河口が広がっ
ていた。
という終わり方に、なんだか未知のなんとも言えない再生への希望も感じます。
好みです。このような小さな旅の情景や情感を切り取ったようなジャンルの詩を「ロードポエム」とでも名付けたいと思います(検索したところロードポエムという言葉はなかったので)。
王殺しさん
スマホですと、たしかにちょっと読みにくいですね。気づきませんでした。…編集してみました。
小津安二郎監督の映画は好きです。意識はしていませんでしたが、ご指摘の通り、多少の影響があるかもしれません。無常観のようなものを書きたいという気持ちはありました。それと、視覚的に描きたいという気持ちも…。
あぶくもさん
無声映画の感覚が、あったかもしれません。町の風景の中にそっと溶け込んでいくような。時々、こういう町歩きをします。東京の下町が多いかな。
こしごえさん
無常への想いが、根底にあったと思います。世は、時の流れとともに移り変わっていく。町は再開発で、古い界隈が取り壊されていく。作家の物語も、また…。詩の中に出てくる「祠」は、失われていくものへの鎮魂、そして、再生、両方への祈りがあったのかなと、こしごえさんのコメントを拝見し、あらためて考えました。
たかぼさん
ロードポエム、よく書きます。旅の詩や、散歩詩…。風景の中に身体を委ねているのが、好きなんですね。人と人の間に営みがあるように、風景と人の間にも営みがあるのではないか。そう思う時があります。