わたしの曲
ついさっきまで呼んでいたものが
もう今は呼べない何、何
そこに名は無い
ついさっきまで叫んでいたことが
もう今は台所の鼻唄、子らのかごめ唄
そこに主義は無い
そうしてここに
無傷なままの強い悲しみと
ため息の無い若い寂寞と
拳を握らぬ高い怒りと
それを名付ければ心地よい歌は聴こえてくるだろうか
歌われたことの無いわたしの曲にぴったりの
ついさっきまで呼んでいたものが
もう今は呼べない何、何
そこに名は無い
ついさっきまで叫んでいたことが
もう今は台所の鼻唄、子らのかごめ唄
そこに主義は無い
そうしてここに
無傷なままの強い悲しみと
ため息の無い若い寂寞と
拳を握らぬ高い怒りと
それを名付ければ心地よい歌は聴こえてくるだろうか
歌われたことの無いわたしの曲にぴったりの
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コメント
名もない、主義もない、まさに自分のための歌かと、思って、読みました。ありがとうございます。
書かれなかった詩が最高傑作だったり、思いつかなかった発明こそが人類の栄光だったりするようです。
奥様の台所での鼻唄にはもしかしたら話してもしょうもないという諦念やら気付けんかった怒気やらの主張が織り込まれてるかもしれません。気分がよいわっていうほのかなアピールならいいが。。
僕は料理が好きなんですが「これ何?」って聞かれていつも名前が言えません。名前なんか些細なんだよ食えばわかる!と言い返します。うまけりゃいいが。。
という事々はさて置き、人の奥にある感情や知覚を言葉にすべて言い表すことはむずかしいけれどそれが書けたとき最高傑作ができるのかもしれません、が、そうすると書くことがなくなってしまうので、も少しわたしの曲探しをしていきたいなと思います。
日々を生きていると、名付けられない出来事や、風景、歌、心持ちが、浮かんで、溜まって、沈んで、淀んで…。その繰り返しですね。でも、名付けられないからこそ、という想いもあります。その想いがあって、何とか生きている、暮らしている、というのかな。…すみません、上手く言えない。
てぃもさん、ありがとうございます。名もない、主義もないものの中に、ひとひらの真実(と言う言葉は好きではないですが)と思えるものを掬い上げられたら、また詩を書けるのかなあなんて。
王さん、ありがとうございます。
「人の奥にある感情や知覚を言葉にすべて言い表すことはむずかしいけれどそれが書けた」と感じられるように詩を書いて行きたいですね。書き方は様々、読み方も様々でしょうけれど、名もなきものを名付け(言葉にし)、小さきもの弱きもの、その他諸々を色んな方法で表現できるようになりたいなぁ。
長谷川さん、ありがとうございます。
すごくよくわかります。名付けようのないもの(有形無形の)にこそ、大切なものが宿ってるんじゃないかという仮説を検証するために生きて暮らして交わっている気がします。
第一連は、時間的な経過と、ものごとの大切さとは別の強度(で伝わるかな?)が移ろいゆく様を表現してみたつもりです。