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何度も捨てようとして
捨てられなかったガラクタを
長々と引き摺りながら
早咲きの桜の下を歩く
まだ冷たさを宿した風に
背中を押されるままに
歩道に散らばった花弁を
踏みにじりながら歩く
潔く花弁を捨てて
鮮やかに若葉の衣を纏い
桜は次の季節を
生き抜こうとしている
約束どおり季節は巡るが
約束どおり私は歩けない
果たせなかった約束は
ただのガラクタになる
本当は捨てたくなくて
捨てるふりだけしているガラクタを
長々と引き摺りながら
早咲きの桜の下を歩く
引き摺るガラクタの先端は
六丁目の坂の下まで伸びて
もはや振り返っても
見えなくなっているというのに
コメント
“踏みにじりながら歩く”と
あえてネガティブなことを描くことで語り手の繊細さや優しさが滲みます。
自分も落ちた花に心惹かれます。
@たちばなまこと さん
>コメントありがとうございます
ちょっと辛気臭かったかなあと反省しています。
写真に引っ張られ過ぎたようです。
桜は葉を茂らせた状態が本来の姿なのかもしれません。
本来の自分に戻すための断捨離、必要です。
引き摺った未練のあとような桜の花の情景と「何度も捨てようとして」というこの詩の心情がぴったりとはまっていて、情感たっぷりですね。「約束どおり季節は巡るが、約束どおり私は歩けない」ここもすごく沁みてきます。詩の流れと情景の流れが一体となって、胸迫る思いでした。
@nonyaさん
“潔く花弁を捨てて” とても気に入りました。桜は散り際が美しいと思っています。ガラクタを引き摺りながら踏みにじられる… 情景描写が見事です。素敵な作品ですね。
@ザイチ さん
>コメントありがとうございます
散った花弁に心情を重ねてしまうのは人の常ですが
花にとっては散ってからが始まりなのかもしれません。
「春」は人の弱さにするりと入り込んで
人の心をもてあそぶのが好きなようです。
@レタス さん
>コメントありがとうございます
お褒めの言葉、とても有難いです。
私も「散ってこそ桜」と思っています。
去年は新宿御苑でたくさんの桜の花弁に降られました。
美しくて哀しい季節がまたやって来ますね。
@nonyaさん
私は埼玉なので元荒川という川沿いに桜の名所があります。
そこで弁当を持って行き楽しみたいと思っています。
花筏(はないかだ)が見事です。nonyaさんも桜を楽しめますように…
この詩はよくわかるな。ガラクタは、今も、私の部屋の中に埋もれています。「六丁目の坂の下まで伸びて」。このフレーズ、いいですね。
@レタス さん
今年はどうやらお花見ができそうです。
いつかは、お話の花筏を見に行きたいものです。
@長谷川 忍 さん
>コメントありがとうございます
歳を重ねると自分が引き摺っているガラクタが
ありありと見えるようになるみたいです。
まあ、付き合っていくしかないようですね。
「六丁目の坂の下」は私にとっては
とてもリアルな風景でもあります。
@nonyaさん
それはいいですね。
私もお弁当を持って川沿いの桜を観にいく予定です。