波紋
食べてすぐ横になると
牛になって
川まで来ていた
晴れたら洗濯をして
布団を干そうと思っていたけれど
雨も降り出して
残っているものもない
これからの人生どうなるのだろう
いや牛だから牛生か、なんて
細かいことが気になるのに
川辺の草を見るだけで
よだれが出てくる
気がつくと隣には
一緒に牛になった君がいて
川面の波紋を眺めている
言葉で伝えなければいけないことが
たくさんあったはずなのに
側にいるだけで
不思議と伝わっていく
食べてすぐ横になると
牛になって
川まで来ていた
晴れたら洗濯をして
布団を干そうと思っていたけれど
雨も降り出して
残っているものもない
これからの人生どうなるのだろう
いや牛だから牛生か、なんて
細かいことが気になるのに
川辺の草を見るだけで
よだれが出てくる
気がつくと隣には
一緒に牛になった君がいて
川面の波紋を眺めている
言葉で伝えなければいけないことが
たくさんあったはずなのに
側にいるだけで
不思議と伝わっていく
会員でない方は会員登録してください。
コメント
牛、といえば、ぼくは十牛図が好きなんです。
あの何とも意味不明な感じが、たまらなく「詩」で。
たもつさんのこの詩を読んで、十牛図を見ているような気分になりました。
牛になりたいと思ったことはありませんが、案外いいですね。
君の立場なら、こんな風に書いてもらえたらずっと側にいたいだろうと感じます。
牛になったら乳牛も乳が出なくなると屠殺されるのは嫌です(^^;
でも、たけだたもつさんの手にかかるとゆったりとした川沿いの牧場の情景が浮かびます。
@大覚アキラ
大覚アキラさん、コメントありがとうございます。
恥ずかしながら、十牛図なるものを初めて知り、調べてみました。
禅の入門書とのことですが、なかなかに面白いですね。おっしゃるとおり、詩、ですね。意味はわからなくても、字を目で追うだけでもわくわくしてくる。もっと読み込んでみようと思います。
@たちばなまこと
たちばなまことさん、コメントありがとうございます。羽田さんという、実際に牛の世話を生業とされている方が詩を書いていて、時々牛の詩も書かれます。わたしはイメージの中の「綺麗な牛」しか書けませんが、たまにドライブなどをしていて牛を見かけることがあると、なんか、ずっと見続けられます。言葉がなくても成立するする世界は確かにあって。
@レタス
レタスさん、コメントありがとうございます。食べられるために愛情を注いで育てるとか、メンタルやられそうです。いろいろな人の手を経て私たちは「綺麗なお肉」を食べることができる。命と命を育む手と命を終わらせる手に感謝。
@たけだたもつさん
人はある意味において悲しい存在ですね。
魚、野菜、米や空気、水までも生命を持っていると感じるのです。
消費というよりも循環と言ったほうが良いのかもしれません。
たけだたもつさんのおっしゃられるように
生産者や精肉業者に感謝の念を改めて抱きます。
ありがとうございました。
@莢豌豆
莢豌豆さん、コメントありがとうございます。
楽しんでいただけたようで何よりです。
人には人の生活があって、牛には牛の生活があって、交わりながら、交わりそうで交わらなかったり。言葉を使えるのは便利だけれど、意外と不便なものなのかもしれませんね。