バード
高いところから
もっと高いところを眺めてる
いつまで鳥は飛び続けるのだろう
なんで鳥は空を目指すんだろう
高いところから
おもちゃの町を見下ろしてる
落ち着いてしまえば
空なんて飛べないのな
気の利いた言葉をさがして
あかりが灯るまでここにいる
なにも生まれないの
こんなふうに呼吸をしても
なにをやってんのかなあ
子供でも生めたら
なにか埋まるのだろうか
ありがとうが言えない
いつまでも
不在に苦しんでいる
宇宙には様々な
星があるという
銀河があるという
見えないな
見えるのは青空だけだ
空をいく鳥たちだけだ
まぶしいけれども
他にはなにもない
僕が愛した君はいない
そして君が愛した僕も
もうどこにも
陽は落ちた
高いところから降りよう
今日も生き延びた
地面を歩こう
町のあかりは
復興を祝う
人間は続く
ありがとうが言えない
人間だから
鳥のように飛ばない
コメント
鳥瞰として見つめた切なさと、地に足をつけたことで悟る切なさ、二つの感情を想ってみました。「復興」という表現を、自分だったらどう捉えるか…。そのことを、今も迷っています。
「復興」という言葉はいつも誰のためのものかと思います。普通ならば「復興」する必要はないし、「復興」というのは更新はされているだろうけど何も帰ってはこないだろうし。
例えば町。ほとんどの町は歴史とともに徐々に築かれたものだろうけど、「復興」ではある日に突如現れたような、神社も、校舎も、役場も、住宅も、みなおニューで刻まれたものを見つけるのは難しいです。
もちろん「復興」を祝わないわけじゃないです。個人的な感覚です。