桃の悲惨漬け
天井から見下ろすような形でテーブルが映っている
スリッパをはいた足音が近づいてくる
色の白い細長い指をした女の手が缶づめを「コトン」とおく
☆☆☆☆☆
「この場所に夜の八時に来て」
「わかった」
彼女は何かを間違えたのかもしれない
場所はもう使われていないビニールハウスだった
カビが生え、あちこちが痛んでいる 補修はされていない
どこからか硬い金属音がした
たぶん缶づめを開ける音だ
☆☆☆☆☆
白い指が缶のふちを慎重になぞり
丁寧にひとさし指にキズをつける
その美しいキズから
缶づめの中に血が
一滴、二滴
その赤いろはシロップの上でしばらく漂ったあと
まるで
最初からなにもなかったみたいに
みんなのなかに溶け込んだ
☆☆☆☆☆
「mosimosi」
「もういる」
ハウスの中では僕の声は妙に歪んでいた
☆☆☆☆☆
立ち上がって入り口の方に向かった
引き戸の下に桃の缶づめが置いてあった
拾い上げて中身を覗き込む 汁だけしかのこっていない
ハウスの壁面に汁をぶちまける
インチキな甘い香りがハウスの中に立ち籠める
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着信音が鳴る
「もしもし」
「誕生日おめでとう」
「ありがとう」
「~歳の目標は?」
「詩集を出すことだよ」
「そう」
今日は誕生日じゃなかったし、詩集を出す予定もなかった
詩なんか書いたこともなかった
「ハッピーバースデー」
ハウスの中に横たわり、目を閉じた
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