認識

【第一部】認識のペトラルカ
 
識別されている認識分子は
識別する機構であり
制御されており
認識されるだけの分子と考えられている

その認識の実体は
違いを認識することによると考えられる
そして特異的に同定されている
興味深いことには

異なる認識分子が存在している
それでも識別していることが分かってきた
類似した構造物を

同様な認識分子は同定されている
それでも認識している可能性が示唆されていた
伝達された構造物を
 
 
*ペトラルカ風ソネット abbc acca cde cde
 
 
【第二部】私達は何を見ているか
 
 私達は視力が余りにも発達した動物なので、見えていることが真実だと思ってしまう。しかしそれは私たちの脳の中でのリアルであり、現実のリアルではない。
 ここに1枚の黒と白で描かれたぼやけた写真がある。多くの人には気味の悪い模様にしか見えない写真だが、私は一人の人物の内部構造と、これから起こるであろう様々な苦難を見ることができる。これはレントゲン写真だ。
 風景写真なら多くの人が同じものを見るだろう。これは山だ、これは海だと。しかしそれとて山や海を知らない人には見えないものなのだ。赤ん坊にはただの模様にしか見えない。
「錯覚」は人間の視覚を疑う証拠として有名な現象だ。例えば黒い山影からぬっと現れた巨大な満月と、天空で澄んだ光を放つ孤独な月が、実は全く同じ大きさであると信じることはできない(写真を撮って定規で測ってみるまでは)。
 私の知り合いに霊能者がいるが、彼は事も無げに「ほらそこに霊がいるよ」と指を指す。そう言われると何か背筋を寒いものが流れるが、むろん私には見えない。しかし彼にはごく当然のリアルなのだ。統合失調症の患者が天井に這う虫を見ているのと同じように。現実がどうであれ、彼らの脳の中で同じ現象が起きているのは間違いなさそうだ。
 私たちはフィルムに撮した映像をスクリーンに投影するように、網膜に映った映像を脳に投影している、のではない。そこにはもう一つ別の装置が介在する。「認識」という装置だ。
 その装置にインプットされた映像からは、好みの情報だけが取り出され、不要な情報は捨てられ、さらに必要とあらば存在しない情報も付け加えられ、それからアウトプットされる。つまり私たちは「自分の見たいものだけを見ている」と言うことができるのだ。
 同じ物事を見ても、他人のリアルと自分のリアルは違う。そしてそれはむしろ有意義なことだと私は思う。他人のリアルに基づいたアート、つまり映画、絵画、音楽、文学、そしてもちろん詩も、自分のリアルとの差や、同一性の程度を感じることで楽しめるものだと思うからだ。
 
 

投稿者

愛知県

コメント

  1. 第一部はほとんど理解できませんでしたが、ペトラルカという方がいるんですね。第二部の方は、養老孟司氏が「唯脳論」で同じようなことを言われていました、我々は脳で世界を認知し、またつくっているので、脳の中に住んでいるような、うろ覚えですみません、というようなことです。確かに人間は唯物論者が多いですし、自分もそうだと思うのですが、カラスなどは紫外線が見えるので、カラスから見たら全員黒ではないというのと同じように、錯覚のような感じで見えないものが見えている人はいると思いますし、また共感覚とか、別の五感が優れている詩人や作家、アーティストは多いと聞きます。記憶を総動員して読みましたが、的を得ていないかも、すみません。

  2. >timoleonさん、いつもコメントありがとうございます。私はせっかく再開したこの詩人会で、ずいぶん昔に終わってしまった旧詩人会でできなかったもやもやしたものを、出してみようかと思って参加させて頂きました。この作品も「詩なのかよオイ」と内なる声が言っていますがおかまいなしです。第二部だけではさすがに投稿するのがはばかられましたので第一部とセットにして、全体として詩であると無理やり主張しております。第一部は私が興味を持っているある技法の一つの例でして、自分では「詩のレディメイド」と呼んでいます。詩のレディメイドがすでにある技法かどうかは定かではなく検索しても良く分かりませんでした。レディメイドは言うまでもなくデュシャンが提唱した古典的な現代美術の様式です。それを古典的なソネット様式でやってみました。第二部はそのまんまですが、確かに養老さんなら同意してくださるだろう内容となっています。timoleonさんのお話も興味深かったです。

  3. たかぼさん「泉」ですね!「詩のレディメイド」興味深いです、確かにありがとうございます。

  4. これはメデカル ポエム?メデ詩ン?
    イタリアのほうがイギリスよりカチっとするようでDr.タカボ氏のこの作品に合いますね。
    目をつむろうと夢の中ではあんがいはっきり見えますので、見えるというのはそういうことでしょう。僕は夢も現実もどっちもただの電気的信号の出来事なのではないかなんて馬鹿な妄想をすることがあります。のび太の夢、みたいな全部夢ってね。
    まぁそれでもどの道自我があるので精一杯やっておりますがね。ただそうだと隣に寝てる人とビジョンを共有することはむつかしいな。

  5. >王殺しさん。コメントありがとうございます! また言われちゃったな〜って感じです。さて私は王さんにはまたそのうち、詩でお返ししなくては。

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