イタリアの植物学者

イタリアの植物学者

イタケーの地より思い出すものは
酒場のアルコールではなくて
それもおびただしい乳房の圧迫の夜ではなく
信じられている限りは
ブドウの木に関するものであり
山葡萄の品種に関する新たな知見であるのだ
石灰岩の多い山腹の斜面の乾いた場所から
根は半分以上も露出している
あくまで細い根の先は
小石と小石の間にどこまでも伸びている
果実の表皮は太陽光の程度によって
うすいものから非常にこいものまでがある
味もまたさまさざまであり
女の乳房のように
わたしの経験をはるかに凌駕するのである
そして渋みと言うものは
これはそもそも人間の舌に感知されることを
設定されているのであろうか
しぼられた果汁の色も同じく
匂い立つこの季節の迫力ある全体像と言うべきもの
わたしの手は女の喉を診察する
ここに見えるものは
ひとつには嘘つきの城であり
もうひとつはカミソリをあてることも
おそろしくあばきたてる
世界のうまれる時の声
わたしの息子を二人も産んだこの女の
植物的であり動物的であり
水晶の光の反射する今夜の月光のあてどなく
研究のための顕微鏡を
美しい神の機械とするおそろしく
真剣な
花粉がこぼれる。

投稿者

岡山県

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