お花見
部屋の中に桜が咲いて
僕ら三人は
お花見をすることにした
見上げるだけでも
綺麗なのだけれど
せっかくだから、と
レジャーシートをひいて
君が作ったお弁当を食べた
それからちょっぴりお酒を飲んで
娘は普段は飲めないジュースを
心ゆくまで堪能した
そしてシートの上に寝転び
そのまま三人で寝落ちした
手を繋ぐことが
こんなにも温かいのだと
じんわりと心に届く
目が覚めると
桜の木はどこにも見つからない
君も娘も
最初からいなかったように
部屋には誰もいない
僕の体があるのかどうかさえ
もうよくわからない
桜の花びらだけが
数枚床に落ちている
確かに桜は
この部屋で咲いていたのだ
コメント
前回の作品が「花見」そして今回が「お花見」。その二つの題の違いに意味があるのかないのかは分かりませんが、作品のテイストは少し違いますね。前回も今回も「別離」のイメージが共通していますが、前回は現実感が強いのに対して今回はそれが希薄です。咲き始めた桜の存在感の強さが前作、散っていく桜の幻のような儚さが今回の作品に表わされているのかなと思いました。
昔読んだマンガの中に、このような感覚を、感じていたような、そのような感覚を、現在の子供たちも、どこかで感じているのだろうか、それとも、そのような感覚は、あのころのわたしたちだけのもの、なのか、さくらのはなびら、風にのり、空へ。
幸せで、…最後は切ない。ほのかな夢だったのかもしれませんが、夢の描写がとても幸せそうで、そこを読んでいるだけで、こちらも良い気分になりました。今年も、桜が咲き始めていますね。
@たかぼ
たかぼさん、コメントありがとうございます。4月からの新しい生活にドタバタしてしまって、返事が遅くなってすいませんでした。
「花見」ではなく、「お花見」とすることで、なんとなく、行事のような感覚を出してみたかったのだと思います。生きていく、って儚い行事なのかもしれません。
@坂本達雄
坂本達雄さん、コメントありがとうございます。4月からの新しい生活にドタバタしてしまって、返事が遅くなってすいませんでした。
どれ、とは具体的にすぐには思い出せませんが、漫画、映画、小説などでかつて読んだり見たりした光景の蓄積のような気がします。そのような作品のイメージって、おそらく年代を超えて伝わっていくのかもしれないかな、って感じたりもします。
@長谷川 忍
長谷川忍さん、コメントありがとうございます。4月からの新しい生活にドタバタしてしまって、返事が遅くなってすいませんでした。
幸せなイメージだけを持って生きる人がいて。胸が締めつけられます。
近所の保育園の桜が満開になりました。元年台風で残った一本です。