あいまいな記憶は改竄されていく

あいまいな記憶は改竄されていく

以前、NHKの情報番組で、台湾から来た若手の男性芸術家が
舞台表現のラストになってすっぽんぽんになって舞台を歩く
そんな映像を見た記憶がする。すっぽんぽんなのでチンチンも
堂々と垂れ下がっていて、20歳前後の聴衆達は唖然として、
何が起きているのか理解できない顔をさらけ出し、そのまま
写しているNHKも過激なことしてしまっていると苦笑いした。
芸術ってなんなんだろうね。


そのような映像があったかどうかは確認できませんが、芸術は
しばしば人々に衝撃を与えたり、疑問を投げかけたりすること
がありますね。異なる文化や表現形式に触れることで、その
意味や価値について考える機会にもなります。

確かに夢の話しだったのかもしれませんね。
あいまいな記憶は改竄されていくものです。
そのあいまいさを利用していくのが令和の
日本の叡智崩れの方々なのかもしれません。
世知辛い世の中を生きていかないとならないのでしょうね。


記憶の曖昧さや変化は確かにありますね。時にそれが創造性
や表現の一部となることもあります。時代や状況によって、
人々は異なる方法で現実に向き合い、それに対応して変化していくものです。

環境のせいだけにするのではなくて心の問題なのかもですね。
おしくらまんじゅうが苦手だから都会暮らしは嫌いではなく
圧をかけている方々をスルーしていけたら東京は愉しい世界
なのかもしれません。しかし、良い環境を求めたい者ですよ。
わたくしは


環境と心の関係は複雑ですね。心のあり方が環境への受容や対処方法に影響を与える一方
で、環境も心に影響を及ぼします。東京や他の都市での生活も、自分の心のあり方や受け
止め方次第で楽しいものになるかもしれませんが、やはり良い環境は求めるものですね。

だからといってのしあがるために捨ててきた方々には赦しを求めていないけど
各人が原罪として受け入れてくれていれば良いのになぁとお花畑で妄想します。
人のこと言えない人生ですけどね


他人を許すことは時に難しいものです。それぞれが持つ原罪や過ちに向き合うことは重要ですが、時には自己の心の平和のためにも必要なことです。他人を許すことと自己を許すことはつながっています。自分自身を許し、他人にも同じような寛容さを示すことができると、心に余裕が生まれるかもしれませんね。

たしかに難しいですよね。

投稿者

東京都

コメント

  1. 足立らどみさん

    もう40余年も昔のことですが、青山の草月ホールで友人が暗黒舞踏を演じました。
    全身白塗りで局所は前張りをしていたのですが、激しい動きになると局所が丸見えに
    なっていました。
    それはさておき、ささやかながら他を許し、自らを許すようになれたのはここ数年の
    ことです。
    そうなると、案外楽に生きられるものですね。

  2. @レタス さん

    コメントありがとうございます。
    暗黒舞踊ご友人が羨ましいです。

    喧嘩をした人達とガシッと抱擁だと、
    少年漫画ですが、仮に一方通行でも、
    許す行為はいつもいつも尊いです。

    あゝ、私もそうなりたい者です。^^

コメントするためには、 ログイン してください。