空き家

 長男の叔父が相続して二十五年間
 空き家だった 母の実家
 高台にあった大きな日本家屋は
 今年になって売却された

 剪定されない樹木と荒畑
 雑草の茂る庭の一角で
 亡くなった祖母を忘れじと香る
 水仙
 縁側で腰掛けている 
 おじいちゃんと私
 あの時、けぶるように咲いていた菜の花は
 いつだったのか?

 「のんちゃん、ママが待っているからもう帰りなさい」
 私を見る 祖父の穏やかな表情は 
 いつの時代を生きていたのだろう?
 「うん。もうじき帰るよ」
 そう答えた
 私の母の四回忌は、過ぎていた

 半世紀以上を連れ添った妻が病に伏すと
 あとにのこされた おじいちゃん
 高層マンションで長男夫婦との同居生活に
 やがて 高いところに月のある夜
 
 彼は、遥かな山頂にむかって
 雲にとざされた尾根から尾根へと駆けめぐり
 誇りは何処かへぬぐい去られ
 細く長い叫びをあげる山犬の様であったのかも知れない
 尾根の岩の上で遠い仲間の 
 同じ遠吠えを感じたとき
 肩先をすぼめ ピンとはね上がった耳は次第に垂れ
 目の光がやわらいで何と優しく
 悲しげな事だろう

 徐かに彫まれたる景色の
 私と二人きりだった おじいちゃん
 きっと あの家で、
 あの庭をみて暮らしたかったのだ

 

投稿者

滋賀県

コメント

  1. こんにちは。コメント失礼いたします。大切な思い出を詩にして下さり、ありがとうございました。長く住んでいた家というのは、たくさんの思い出とともにその人の心の拠り所、その人の大きな部分を土台として支える存在だなと、自分も実家の家が取り壊されてなくなった時に感じました。
    自分の家でなくても、幼い頃によく行っていた家がなくなるのは、もう誰も住んでいなくても、寂しいものですね。

    年月を経ていつかはなくなるものですが、お祖父様の、長年連れ添った妻や家の喪失の悲しみが、リリーさんの山犬が山頂で遠吠えする細やかな描写から、より切なく伝わって参りました。
    「雑草の茂る庭の一角で
     亡くなった祖母を忘れじと香る
     水仙」
    とても印象的な表現でした。
    私も水仙を見ると祖父母を思い出します。なかなか家の周りには咲いてないのですが、水仙が咲く季節、香りも探しに出かけたいなと思いました(^^)

  2. @ayami
       さまへ

     読んでくださって、ご感想のお言葉をお寄せいただきどうもありがとうございます!
     とても嬉しいです。(^^)
     母方の叔父は、実家で祖父を独り住まわす事が出来ないから、週末なると実家に二人で
    過ごしていました。荒畑にレンゲが咲き乱れて、そこを歩く祖父が、肥料にし尿ビンの尿をまいていました。なんとも切ない光景でした。
     祖父母の愛した家と庭。其処に想いをのこす叔父や叔母。「空き家」というのは、やがて取り壊されてしまうまで、いろんな人の生の名残が宿っている場所なのですね。
     なんだか寂しくなって…書いてしまった作品でした。共鳴いただけて嬉しいです。^ ^

  3. 心情と情景がリンクしていてとても切なく美しかったです。今は空き家でも、たくさんの思い出や想いがそこに詰まっていて、山犬の描写に胸迫る思いがしました。

  4. @ザイチ
       様へ

     こんにちは。お読みいただきまして、ご感想のコメントをお寄せくださり
    とても嬉しいです。どうもありがとうございます!(*´꒳`*)
     この作品、実はWEB詩人会に一度公開してから、取り下げております。
     その時の原稿は第四連の三行目からが、

      高層マンションで
      長男夫婦との同居生活にやがて
      感情を荒げるようになって

      きっと
      あの家で、
      あの庭をみて暮らしたかったのだ

     でした。読んでくださった方からの「平凡な詩だ」という批評と、詩友からの
     
      感情を荒げるようになって

     という表現に全体との違和感を感じる、などの助言を受けまして。
     「感情を荒げるようになって」とは、認知症における様々な症状の事で
     ありますが。それを、どのように表現すれば良いのだろう…!と悩みました。
     試行錯誤して改稿しました原稿を、今回再度公開させていただいたのです。
     ですから山犬の描写へのご感想のお言葉は、特に嬉しく思いました。^ ^

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