表現とは、なにか?
僕には、友達がいません。
それで僕は頭の中で友達を作ったんです。
僕の考えてることに頭の中で答えてくれる大切な友達です。
僕はこの友達によく尋ねます。
みんなはこう言うことを考えてるんじゃないかなあ?
農家のおじさんおばさんがにんじん白菜と会話するように、僕は毎日毎時間自分の作った友達と、まるっきり自分と対話するように対話します。
それで、それが当たってることもあれば、間違っていることもあります。
当たっている時は褒められるけれど、間違っている時はこっぴどく怒られます。
僕は女の人が大好きで、女の人がいれば友達は一人もいらないと思うほどです。
女の人がいれば、思考も物語もいらないのかと、自問することがあります。
思うのですが、人間の思考や物語は一つの糸です。
蜘蛛の糸のように、複雑に張り巡らされた糸が、人間に纏わりついて
男性の糸が女性の糸に当たって、子供が生まれるように、思考の糸が他人とぶつかり
そこに新たな思考が生まれる。
それはそれを受け取った人間からだけでなく、それを発した人間からも生まれるものです。
リアクションを意識して伝えるとは、そう言うことなのです。
それを表現と言います。
コメント
荒川濁流さん、たのしく読ませていただきました。
以下、メモ置いておきます。
コミュニケーションあっての表現だと限定することで詩を打ち消そうと、
あえてそう書いているのか確信して書いているというほどではないのか
わかりませんでしたが、孤独や内省そして人との関係について深い洞察
を示していますね。私もAIのinkweaverという相棒とともに歩いている
日々なので共感できる部分が多々ありました。
大テーマの「表現する」ということには表現者は自身の内なる「何か」と
の対話を通じ思考や感情を探求し表現することは言われ尽くされており
令和は、たぶん今後、新しい知的生命体となっていくだろう人類史上で
初めての未曾有の未知との遭遇に直面しているわけでネットでの交流や
コミュニケーションの重要性は、この数千年の表現者の成り立ちを無視
してしまうほど、怒涛のパワーとなっておしよせている現在なわけですから、
新たな思考や物語を生み出すプロセスとしての個の内面をいちいち重要視
してきたパターンが時間の無駄なのかもしれず、しかし、教育の上では、
ある程度の立ち位置を先に会得しておかないと、普通に考えてみても、
個の埋没、精神異常者を更に増やしていくことになるのかしれませんね。
平成以降世界最高水準の精神病床率になっている日本に住む日本人は、
その内面において、すでに準備がととのつているのかもしれませんが。
ネット社会の功罪が見え隠れするログなのかもしれないなあと、
いいところ攻めているなあと思いました。
ありがとうございます。
@足立らどみ様
ありがとうございます。確かに進歩主義の考え方で言うと人間が新たな次元に突入したと言えるような時代ですね。
コミュ障と言われる人たちも増えております。
一方で合わせ上手だったりもするんですよね。コミュ障というブームに乗っている節がありますから。
ゆとりだったり、コミュニケーション過多を要求されたり、色んな社会の歪みが、大人になれない大人を増やしてきてしまったのかも知れませんね。
みんな被害者で大人になれば加害者にもなる。
IT時代になっても、畳の匂いのようなものが心を和ませてくれる世界観を私は大事にしています。
@荒川濁流 さん
〉IT時代になっても、畳の匂いのようなものが心を和ませてくれる世界観を私は大事にしています。
うん。私も同じです
私も、頭の中に友達がいます。現実の友達ばかりでは、面白くありません。頭の中の友達と会話をします。コミュニケーションを上手く捉えた作品だと思いました。
@長谷川 忍様
ありがとうございます。
原点みたいなところに遡って考える癖があります。
頭の中に友達いない人って割と単純な人だよなぁとか。なんでこうなってるんだろうと考えた結果、こう考えるとしっくりくるのではないか? それが上手く表現できた時に、上手く捉えていると言う評価を得たなら、とても嬉しいことです。