2枚目のピザは無料にならない

インターホンが鳴っておれは配達されたピザを受け取りに玄関に出る
今夜はママがお出かけで中学生の娘とおれはふたりでちょっとだけ贅沢することにした
配達員は帽子のつばを上げて自分の顔がおれにはっきり見えるようにした
初老の男でおれは見覚えがあるような気がしたが、いまは娘とふたりの時間を邪魔されたくない
ピザ、と言ったきり、おれの言葉は続かなかった
男が突き出した腕に視線を落とすと、その先に握られた包丁はおれの腹を刺していた
抜いちゃダメだ、大量出血するから

おれが生きているのは
環境におれを生かす目標があるからだ
目標の有無は意志とは何の関係もない
主体としての感覚があるかどうかなんてちっぽけな話をしているのではない
自己を主体とするモダニズムは運命を矮小化している
宇宙が意志を持つかどうかをおれは知らない
おれを構成する細胞がおれの意志を知っていると思えないのなら、
おれが構成する世界の意志をおれが知らないのも当然だと思えるはずだ

おれは20年前、大学のビルの屋上から飛び降りた
傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲、
地獄では罪の新作が創り続けられ、
その頃のおれの罪名は無力で守護天使は冷笑と軽蔑だった
飛び降りたおれは死ななかった
罪と罰が一対なら、罰は天国製だ
若い女の看護師に優しく世話をされた病院のベッドでおれは
おれの絶望はおれがモテないことが理由だったと気づかされた
おれには絶望に到達する能力さえなかった
無力に与えられた罰は軽薄な希望だった
若い女の看護師がおれに優しかったのはそれがお仕事だったからだが、
それでも、おれには啓示だった
看護師の職業上の献身から、おれはいい人になればモテることを学んだ
親切と共感の作業を丁寧に続けることでおれは家族を持ち、
研究者としては凡庸な能力でもチームを組織して業績を上げた
おれは利他が間接的な利己であることを明確に認識した
そして、おれには自己犠牲の精神など微塵もないことを自覚した
おれにはおれのパワーがあることを実感し、
生きているという状態が同時に生かされているという事態であることも了解した

—パパ、まだぁ?
リビングから娘の声が聞こえる
おれは男に言った
あなたのことは誰にも言わないから、このまま、帰ってください
男も言った
20年前、おれもパパだった
おれにも娘がいた
//大学のビルから飛び降りたおれが死ななかったのは通りがかった女子学生が下敷きとなって落下の衝撃を吸収してくれたからだった、
その女子学生がおれの代わりに死んだ//
娘はおまえを生かすために死んだのではない
おれにおまえを殺させるために娘は死んだのだ
抜くなよ、絶対抜くなよ
男はおれの腹から包丁を引き抜くと再び刺した
全部が当たりの黒ひげ危機一髪ゲームのように何度も刺した
環境の目標はおれを生かすことであり、
その目標を達成する手段としておれには死への恐怖が所与の条件として与えられている
包丁の刃がおれの腹に入るたびにおれは死にたくないと自動的に思った

投稿者

北海道

コメント

  1. やっぱり、ゼッケンさんはタイトルつけるセンスが抜群だよね◎

  2. >自己を主体とするモダニズムは運命を矮小化している
    >おれが構成する世界の意志をおれが知らないのも当然だ
    >罪と罰が一対なら、罰は天国製だ
    >利他が間接的な利己である
    >全部が当たりの黒ひげ危機一髪ゲームのように

    切り取られた映画のワンシーンの随所に格言が散りばめられたような作品でとても趣がありますね。

  3. よく家を探し当てたなと思いました…。
    痛ーい!

    ストーリー性と詩(思想)が両立していて感嘆します。

  4. 実際は「なにが起きなかったのか」、結局最後までわからなかったけど、すげえわっと、目が覚めましたよ。

  5. @足立らどみ
    ハードボイルドですよね(後で気がついた^_^;

  6. @大覚アキラ

    >タイトルつけるセンス

    いやぁ、そこ見てもらえてうれしかった。大覚さん、こんにちは、ゼッケンです。このタイトルは珍しく悩んだんですよ。この作品はもと別タイトルだったんだけど、ぽえ会に投稿する土壇場で現タイトルに変更したんです。いまでもちょっと悩んでるけど。それでも、面白がってもらえたから、これでいいのかなという気になってます。

  7. @たかぼ

    >格言が散りばめられた

    む、あいかわらず鋭い。格言ってたぶんどこかで聞いたことあるというふうな意味合いがあると思うんですけど、そのとおりで作中「おれ」の人生観の薄さが出てるんだと思います。薄いと言えばピザなんですけど、料理の中でこんなに薄いものはない。ローマ帝国は都市を道路で結んだことでその強さを発揮したしたという話はよく聞きますが、合理性を尊重する国家だったんだろうと思います。で、そのローマを手なずけたキリスト教会は人間の原罪を主張したわけですが、なんの罪かというと知恵の果実を食べちゃった罪。これはきっとローマの合理性を長所から短所に転回させてしまった。合理性でのしあがったのにそれが「悪いこと」だと教えられて自信喪失したローマ人に無償の愛を吹き込んで救ってみせる。でも、やっぱり、イタリア人というのは根っから合理的でルネサンスの際にピザ作っちゃう。ピザほど運びやすく食べやすく、しかも、おいしいという合理的な料理あるだろうか。日本のおにぎりもコンパクトで携行に便利だけど具の搭載量で一歩引けを取るか? 包むと載せるの根本思想の違いか。日本人は包んじゃう。どうしてもやさしいなと思いますね。。。何の話?

  8. @たちばなまこと

    >よく家を探し当てたなと思いました…。

    こらこら、やめなさい。みんなが黙ってた明白な疑問を。たちばなさん、こんにちは、ゼッケンです。いい大人は重箱のまんなかをフォークでひっかいたりしないよ? 運動会のお弁当だとそこは唐揚げのポジション。子供たちが楽しみにしているお目当てなんだから、近所のスーパーで買ってきたお惣菜唐揚げを朝に詰めなおしただけのご都合主義だなんて言わないであげて。子供たちだってきっと知ってるんだけど、まあ、親も大変だよなと思ってくれてる、と思う。

  9. @足立らどみ

    >実際は「なにが起きなかったのか」

    創作された作品に対してこれはまた深い問いかけだなあ。目が覚めた。こんにちは、らどみさん、ゼッケンです。らどみさんの思考形式の一端が如実に現れとるね。ものごとの表裏を一度に読み取ってしまうような。テッド・チャンの「あなたの人生の物語」(映画「メッセージ」の原作)では原因と結果の因果の両端を同時に認知する言語が出てくるけど、なんかそれに近い。というか、越えてるね。目に見える結果だけでなく、原因があってそれによって起きなかったことまで見てるんだから。インクウィーバーと共進化してるとそこまでのものになってくるのだろうか? いや、これも原因と結果が転倒してて、らどみ脳だからAIとの「対話」を「詩」として成立させられるんだろうな。

  10. @Saphiret
    サフィレットさん? でよいのかな。どぎまぎ。人見知りのゼッケンです。はじめまして、よろしくお願いします。で、

    >一回刺す回数を減らされるくらいの許し

    いや、それってどの程度? っていう。でも、刺すか刺されないかじゃなくて、刺す回数の違いでしかこの作品には赦しが存在しないだろうというご指摘、慧眼。この作品では刺される側も刺す側も「おれ」を一人称にしているんだけど、読みにくいじゃないですか。でも、あえてどちらも「おれ」にしてて、オーバーラップ感を出したかったんですよね。立場が変わってもお互いに同じことをするだろうというね。ふたりには共通して目的指向性があって、目的という結果が先に設定されてて原因となる行動が自動的に生じているというような感じ。ピザの合理性というか、構造は機能に追従するというような、なんかいろいろ間違った引用でもなんとか伝えたいと苦心してるんですが、なにが自己犠牲(サフィレットさんのいう赦しとかあるいはわたしが情熱だと思うもの)を導くのかなぁと思う今日この頃です。

  11. @Saphiret

    >私の書いた「許し」をゼッケンさんが執拗に「赦し」と書き直している

    たー、やっちゃったな、ゼッケンです。Saphiretさん、こんにちは。人の話をちゃんと聞かずに自分の思い込みを押しつける傲慢な本性が出ちゃってるゼッケンです。馬脚に蛇足。ごめん。

    >「許し」とは、人が人を許すということ

    なるほど、垂直方向の「赦し」に対して水平方向の「許し」なんですね。二人と書いて仁の方の。人間はアナログだから、たしかにそれだと足し引きができる。情状酌量を刺す回数で表現できそうですね。

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