醸すには
ランボオは『地獄の季節』の中で
「俺は架空のオペラとなった」*1と書いた
そして晩年の手紙の中では
「人生は茶番ではない」*2と書いている
この距離は長い
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楽しかったね、楽しかったね
今度はもっと楽しくしようね
って楽しくなんかないわぁ~との声
君がイキるとき、誰かが萎えている
しかし僕らはイキらねば
もとい、生きねば
僕が獲得したものは
僕のものだよ、余裕があるよ
生命力の蛇口を閉じた
が、ガスは迂回してどこかから吹き出す
また吹き出さねば
自家中毒を起こしその身を滅ぼすだろう
というわけで詩を書いている
*1『地獄の季節』ランボオ作 小林秀雄訳 岩波文庫 1938.8.5第1刷 39頁
*2 同上 121頁
コメント
架空のオペラと、茶番(ではない)。
イキるときと、萎え。生命力の蛇口と、噴き出すガス…。
ランボオからの引用と、現代に生きる詩人、ふたつの微妙な「距離」を考えてみました。詩を書くというのは、ある種のバランスであり、ガス抜きであり、渇望でもあるのか…。いずれにしても、一筋縄ではいきません。
>長谷川さん 創作活動が心の支えになる場合もありますね。もっと攻めた理由で書く人もいると思うけど。感想ありがとうございます。