蕾
蓮の若葉に沿い
朝夕歩いていった。
昨夜風雨があり
育ったばかりの茎が折れていた
その光景が
視界の端のほうに残った。
週末の上野、不忍池は観光客たちで賑わう
蓮は陽光に映えみずみずしい姿を見せた
投げ捨てられた空き缶のすぐ脇で
葉は風に煽られ
水際で一匹の鯉が口を開けた。
ある日ひとつの茎から
蕾が膨らんでいた
蕾の先を眺めてみた。
認知症の方を
見舞ったばかりだった。
蕾は丸みを帯び
空を恥じらっている
彼女の病室での顔を思い出していた
今まで見せたことのない表情だった。
六月を過ぎると
蓮は勢いを増しながら茎を伸ばしていく
早朝の道で立ち止まってみた。
暑い一日になりそうだ。
コメント
>空を恥じらっている
まさにそんな面立ちですね。
蓮の蕾や葉の揺らぎや捨てられた空き缶
散歩の途中で視界に入ってくるものは
物思いのきっかけになりますよね。
ゆったりとした歩調と心の揺らぎが伝わってくるようでした。
@nonya
nonyaさん、今年も、蓮の季節が近づいてまいりました。今月の下旬ごろには花が咲くと思います。私は蕾の時期も好きです。歩いていると、きれいでないものも目に入ってきます。それらを含め、世間なのでしょうね。
何度も訪れている場所の時間的な蓄積と、お見舞いをされた出来事や心境とのバランスが絶妙で素晴らしいのだと感じます。
@あぶくも
あぶくもさん、彼女は、不思議な表情をされていました。あの表情は忘れられない。彼女の表情に、不忍池の蓮の蕾を重ねてみました。…切ないですね。
最後がもう映画のワンシーンのようで心つかまれます。情景があざやかにイメージできて、情感と情景がコラージュして感覚に訴えかけてくる感じ圧巻です。認知症のその人のここまでの背景だとか、みずみずしい連の生命力だとか、対比の美しさ・共鳴を感じました。
@ザイチ
ザイチさん、情感と情景がコラージュして感覚に訴えかけてくる、というお言葉、嬉しかったです。視覚的に書いてみたいという想いはありました。たしかに、生命力を表現したかったのかもしれません。
二連目に、ドクン、と感じる気がしました。他の方もおっしゃるように、それぞれの、琴線、といいますか、ふとした一コマでもなんでも、その瞬間の、一鼓動、一間、色々なものが浮かぶような気がします。(全体を通してなのですが、一つの時をもらえた感覚です)
@ぺけねこ
ぺけねこさん、この詩の中のいくつかの断片を味わっていただけたら、嬉しいです。社会、世間は、さまざまな断片の集積で成り立っている。その断片を詩ですくい上げることができたら、と思います。
認知症のお方の表情。
蕾が開くことをほほ笑みとも言いますね。
その認知症のお方の蕾が開く時、そのお方がほほ笑んでいるのだと想像します。
上野公園は、好きな公園の一つです。昔、私が東京に住んでいた頃には、時々、上野に遊びに行ってました。アメ横とか上野公園とか動物園とか。
長谷川さんの詩には、(勘違いでは無ければ)不忍池がよく登場しますね。
写真もすてき。^^
@こしごえ
こしごえさん、ありがとうございます。実話をもとに書いた詩です。見舞った方と蓮の蕾が重なりました。少し切ないものが込み上げました。不忍池は、自宅から近いので、よく詩に書きます。