愛とは

思うことが多いこの頃。散文よりもまとまったことを考えている。ような気がする。
さて、哲学的で人間味あふれるこの問いかけは、いつか好きだったひとの口からもこぼれていた。
その時の私は、当たり障りのない聞こえのいいことを言ったような記憶がある。今となっては昔。

ところで、私はこの問題に対して深く反省しなければという思いのもと打鍵している。
なぜかといえば、いまだに私はその鱗片がわかったかわからないかくらいの精神状態だからだ。
好きというのを、おそらくこういうことだろうと納得しかけたのが最近のことだからである。

そもそも好きと愛しているは別物であろうなと私は考えている。
好きの上位互換が愛しているかといえば、そうでもないだろう。
私の考える好きと愛しているは”そこに在ってほしい”か”そこに在りたいか”である。
言い方を変えれば受動的な希望か、能動的な意思かである。似て非なるものだと思う。

今となっては身内を除けば好きなひとも愛するひともいない。
一期一会とはよく言ったもので、逃した魚は大きかったのか。
今はただ香水を集めては、複雑な香りに包まれて眠るばかりである。

投稿者

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。