今
わたしはわたしが死ぬ直前に何をおもうだろうか
今はこうしているわたし
さまざまな今は
今とつながっている
ひとつ ひとつ ひとり ひとりの今も
回り回って
今となる
さまざまななかで
涙雨は降り
涙雨は上がる
そうして
雲は風に乗り
時は育つ
風光る原っぱで
この蕾のいのちをつなぎ 今に至るいのちが
今を通りすぎる
今の
今
ほほえむ
わたしはわたしが死ぬ直前に何をおもうだろうか
今はこうしているわたし
さまざまな今は
今とつながっている
ひとつ ひとつ ひとり ひとりの今も
回り回って
今となる
さまざまななかで
涙雨は降り
涙雨は上がる
そうして
雲は風に乗り
時は育つ
風光る原っぱで
この蕾のいのちをつなぎ 今に至るいのちが
今を通りすぎる
今の
今
ほほえむ
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コメント
<涙雨はあがる~時は育つ>のあたりが、とくに印象に残ります。 柔和な石像の笑みが見えるようです。
剛さんへ そのあたりを汲んでくれてよかったです。印象に残るものを書けてよかった。
うん、ほほえみをそうして すてきに想像してくれて、ありがたいです。
剛さんがそうして感じたりしたことを私に伝えてくれて、うれしい。ありがとうございます。
今際の際に想いを馳せるところから、「さまざまな今」があって、それらの「時は育つ」という感覚や捉え方が素敵だなぁ。最後に、ほほえむ。もう姿や形ではないものの視点でいて、それがさらにほほえむイメージが浮かびました。
時の流れの中で、「今」は、さまざまですね。深い後悔もありますし、小さな嬉しさがあります。迷いもある。「時は育つ」という表現に、救われた心持ちになりました。
あぶくもさんへ そう、今っていうと、さまざまな今に思いを馳せないとならないと思うのです。三次元プラス時間のある時空。「今」はある次元では、「わたし自身」ですね。なので死に際の自分の今をまず思ったのですね。うん。そうして、これらを含めた上で、「さまざまな今」がある。更に、ある意味、時は育つんだと思います。それらのことを素敵だなぁと言ってくれてうれしい!
はい、ほほえむ、というのはその時の今にほほえんでいられれば すてきだなあ、という私の願いです。
ああ、あぶくもさんがそういうふうに ほほえむことをイメージしてくれて、ありがたいし、この詩をすてきに読んでくれてこの詩からいろいろに感じたり思ったりしてくれたようで、とてもうれしい。ありがとうございます。
長谷川さんへ うん、その通りですね。「今」には、「さまざまな今」がありますね。さまざまな今があるなかで、さまざまな今とつながっている「わたし」が居るという。この詩から、それらの おもいなどに思いをめぐらせてくれまして、貴重に思います。うん。
ああ、長谷川さんが、「時は育つ」という言葉に救われた心持ちになられたとのこと。そう言ってくれて、この詩を書いて よかったです。そう言ってくれたことで、作者も救われる気持ちです。ありがとうございます。
いいねとご感想をくれた皆様へ この詩をすてきに読んで汲んでくれて、とてもうれしく貴重に思います。ありがとうございます。
いまわの際の自分を、自分の心情をあまり想像したことがなかったけれど。
人の死は一過性のものでそれこそその瞬間はすぐに過去になるのですが、この詩のように今は果てしなく連続していて雨も降ればそれもやむ、自分は立ち去ってもなにも終わらず継続していく。そこにほほえみを持つのは真の豊かな一生だと思いました。
王殺しさんへ はい、私も普段は自分の死に際のこと、死に際に何を思うかなんて想像しません。でも、死は必ず訪れる。その死に際に、「ありがとう」と言いながらほほえんで死んでいければ、すてきだなぁ、と思うのです。うん。
王殺しさんのおっしゃる通りですね。私が死んでも世界にはさまざまな今がありますね。
あと、ネタばらしになりますが。私が死んで火葬されてその煙が雲になって雨となり蕾に降り注がれる。そしてほほえむ(咲く)。というのもこの詩の「ひとつの世界」です。そういう さまざまな今をこの詩から感じたりして頂ければ幸いです。
この詩の思いをすてきに汲んでくれて、ありがとうございます。とてもうれしいです。