タヒチのペリカン
波の音はいまだに聞こえない
信じられるものは羽音だけである
歯医者がインプラントをすすめるように
彼女は焼けた砂にくちづけする
そのまま、ちゃらちゃらと計算の語尾が乱れる
〈ふるさと〉のパンタグラフが
陽子のようにはじかれている
原子のように小舟のはたをうつ
これは源平合戦の眠たくなる話でしょう
ツイストのおどる脳内のわやわやと
ひとしい公式のつららのようなケンブリッジでは
いたたまれないアボリジニの
ウサギの眼でひとしく波打ち際である
弓を持つ手は
不昧公の好みの茶菓子をつかんでいるのか
彼女の精神のひらめきとひきつりによって
かいがいしくも、波音は復活するのだと言う
遠くてしかも安楽の島々が
電子のようなため息でこちらに向かっている
つまびらかにするこの夏の平和的昏睡
ただ理論的推論でもって
いくつか船があまりに遠く、嵐にあう
君は僕の分子の一部にさざなみするのだろう
けだるくて辛辣な塩の香りで
ややしずみかけた理性の後退速度で
くちのなかに塩水があふれていて
それではここで
彼のタヒチの思い出と言う
ペリカンが立つ。
コメント
いやいやこの絵はやばいですね。まんま大瀧詠一や山下達郎の1980年頃のレコードジャケットにしたいぐらいです。その絵とを見事に対立する詩。つまり極端に具象化された絵に対して極端に抽象化された詩とでも言いましょうか。そのミスマッチがいい塩梅です。
@たかぼ
さんへ、コメントありがとうです。AI画像は肩すかしをくらうことが多いのですが、彼にはこちらの気分など関係ないのだと、わかっていても、なんとかこちらで都合をつけるしかないようで、手書きのものに帰りたくなったりもします。