煙突と終戦記念日
三時半には家をでて
近くの銭湯にかけこんだのである
誰もいなくて
弟とふたりきりで
桶をボーリングの玉にして
やかましくあそんでいた
湯舟の中は熱くて
シャワーの中で眼をあけようとする
からだはわたしのもの
この反響する天井はわたしのもの
弟はわたしの半身のように
そこにある
あいうえお
かきくけこ
さしすせそたちつてと
なにぬねのはひふへほ
父はカンボジアで
捕虜になっていた
煙突からは煙です。
三時半には家をでて
近くの銭湯にかけこんだのである
誰もいなくて
弟とふたりきりで
桶をボーリングの玉にして
やかましくあそんでいた
湯舟の中は熱くて
シャワーの中で眼をあけようとする
からだはわたしのもの
この反響する天井はわたしのもの
弟はわたしの半身のように
そこにある
あいうえお
かきくけこ
さしすせそたちつてと
なにぬねのはひふへほ
父はカンボジアで
捕虜になっていた
煙突からは煙です。
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コメント
タイトルからして、戦争絡みの詩なのだろうなと思ったら
弟さんとの銭湯での他愛ないエピソードが語られ
ラストで戦地で捕虜となった父親が
戦死?したと思うような描写
銭湯と戦闘を掛けたのかなあ
などと、考えたりしてしまいました
くだらなくてスミマセン( ̄▽ ̄;)
@雨音陽炎
さんへ、わりとわかりやすいものになりましたが、父は無事に日本に帰ってきました、捕虜のときの話はすこしばかり聞きました、死にかけたことは二度ほどあったそうです、しかしたくさんの死体を見たことは、やはりこころの負担であったようです、それらもふくんだものとして、終戦の日が意識されることを、すこしばかり願うばかりです。
煙突の煙でしめくくる余韻がいいですよねー
@三明十種
さんへ、コメントありがとうございます。住宅地の中の銭湯でした、たまにその煙突を掃除する人がいたりして、空を背景になにやら不思議な、祈りのような作業をしていました。
句点の使い方がお見事です。