群青を連れて

いつくしむということを
忘れてしまったならば
それは つながりのもつ距離が
不鮮明にとまどっているの
けれど立ち止るな
ここは業火の唸る 底無しの淵だ

それでも振りかえれば
どれだけの道程(みちのり)を歩いて来たというのか
このアスラの住む地底には
今をもっても灰へは帰れぬ
詩人の心臓が青く律動している

(青が張りつめる架空の色)

歪曲した雑音(ノイズ)にも
さびることを知らぬ声が
めぐりめぐって旋律になる
よろしくて?
この空間連続体では
さみしさは
未だ届かぬ星の光で
かなしさは
色もなく咲く花の種子で
よろこびは
日に透けた風に舞う翼で
いつくしみは
虹を帯びた太陽へ帰る

(青く張りつめた架空の色)

数えきれぬほどの群青の唇が
終着点へ言い放ったのは
私だったろうか

静かなる原動力の
胸の痛みが消えぬうちに
思い出せばいい
おまえたち
おまえたちよ
こぢんまりとした仕合せを
純粋する斜陽の残り火に焼べよ
その時
リズムが燃えさかる

青い炎が夕べを焦がし
夜の距離を縮め始める
星星のいぶきの響く音色が
青やかに 忘れたことをあとにして

投稿者

コメント

  1. よろしくて? もいいし、こぢんまりとした仕合せを 純粋する斜陽の残り火に焼べよ もいいし、いいですね( ´∀`)bグッ!

  2. りゅうさんへ うふふ。ありがとうございます。うん、そのところ そのところをいいと言ってくれて、ありがたいです。うれしい♪

  3. この詩で表現されている事柄は、すべて、「いつくしむ」という言葉に係ってくるように思います。この言葉をキーワードにして、読み返してみると、私のなかでしっくりくるのです。

  4. 長谷川さんへ そう、いつくしむということ。個人的には、恋は死ぬかもしれないけれど、愛は死なないと思うのです。愛を忘れ去ったとしても、愛は死にはしない。長谷川さんがこの詩をすてきに読んでくれたことで、この詩のいつくしみがよみがえり、ありがたく貴重に思います。しかし、その辺を発想するための作者の筆力が書いた当時には不足していたかもしれないと、今読み返すとそう思います。(まあ、矛盾も詩の内なのでしょうか)それなのに、長谷川さんは、いつくしむということを温かく汲んでくれている。この詩に寄り添ってくれて、ありがとうございます。

  5. まあ、自分の読解力や客観性には自信はないし、これらをあてにはしていません。なので、読者さんのご感想は貴重です。

  6. あ、今も筆力にも自信はありません。

  7. ※「忘れ去って」を「忘れて」に、「忘却」を「忘れたこと」にそれぞれ変えました。拝礼

  8. 僕は愛の不毛さや愛による己の損耗、その恐れみたいなもの、愛から距離をおく、というようなそんな感じが読んいてしました。
    しかし愛はそれでもそこにあって消滅したり白紙にはなりやしないので、自分の距離でその熾火を見つめている、そう感じました。

  9. 王殺しさんへ 王殺しさんが読み取ってくれたようにこの詩もっと言えばこれを書いた作者には、それらのことが起きていた(もしくは現在も起きている)のでしょうね。それらは私自身の自覚の範囲をこえて起きている。この詩がそれらを表しているのですね。繰り返しになりますが、それらを王殺しさんが読み取ってくれた。詩を通してのこういう魂の交流ができることを貴重に思います。以前(私の詩「静けさ」のコメント欄で)私は、孤独とはお互いのつながりが切れていることだというようなことを言いましたが、こういう魂の交流というものは、ある次元では根源である愛をもっての交流でありつながりでもあるとも思えます。この魂の交流をもたらしてくれたのは王殺しさんです。そして、ぽえ会の皆様も魂の交流を起こしてくれている。なので、王殺しさんをはじめ ぽえ会の皆様が私にご感想をくれることが、ありがたい。ありがとうございます。王殺しさんが、この詩からさまざまに感じてくれて、とてもうれしいです。

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