遠い声

さざ波立った水を
じっと眺めていた。

九月に入ったが
まだ蒸し暑い日が続く
枯れてしまった立葵の横を過ぎ
池に添って歩いた。

水に
声色を重ねてみた
遠い昔のあのひとの声だ
色がまだ残っている

しぐさも。

それらを想いながら
夜空を見上げた。

水のほとりにいた頃のことを
振り返ってみた。

現実とも
幻ともつかぬ
小径にみちびかれ

さざ波を聴いていた。
夏が終わる。

投稿者

東京都

コメント

  1. 実際の風景が追憶や想像で詩境に入ってゆく。
    「現実とも
    幻ともつかぬ
    小径」
    嗚呼、これは長谷川さんの詩だなぁ。

  2. @あぶくも
    あぶくもさん、追憶と、残像かもしれません。残像は、私の詩のテーマのひとつです。いずれ消えていく風景。…だから美しいのかな。

  3. 声色というのは確かに雰囲気のある言葉だなと思いました。声という聴覚に訴えかける言葉と色という視覚に訴えかける言葉からできているからです。そのためこの詩も「眺めていた」という視覚で始まり「聴いていた」という聴覚で終わっているのですね。「遠い声」という題からはカポーティを思い出しました。すっかり内容を忘れているので再読してみようかな。

  4. @たかぼ
    たかぼさん、細かく読み解いてくださり、うれしく思いました。声色という言葉に惹かれ、この言葉を使って書いてみました。たしかに、視覚と聴覚を意識したところがあります。
    タイトルの「遠い声」は、川本三郎さんの掌編集のタイトルからとりました。川本さんは、カポーティからとったと書かれていました。

  5. 蜃気楼の声を聞くような、読後、そんなイメージを抱きました。
    夏は…なんだか何かに取り憑かれでもしたかのような気持ちになってしまいます。。
    けれど、秋の風が吹いてきたと感じると、なんだかほっとしてしまいます。

  6. この詩、ふしぎな感じですね。なんというか、まさに遠い声!

    久しぶりに、長谷川さんの詩を拝読して、とても幸せです。(正直に言えば、全てとは言いませんけど)やはり、長谷川さんの詩が好き。^^

  7. @ぺけねこ
    ぺけねこさん、夏は、私の中では、いつも遠いというイメージがあります。夏の終わりにそんな想いが寄せて、こんな詩を書いてしまいました。…何かに取り憑かれたのかもしれませんね。

  8. @こしごえ
    こしごえさん、ありがとうございます。夏の終わりに、ちょっと幻想的なものを書いてみたくなりました。水は、視覚と聴覚を刺激するのかなとも思います。読んでくださり嬉しいです。

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