納豆

納豆をかき混ぜると
遥かユーラシアから
吹いてくる風がある
父は砂糖を入れるのが好きだった
母はそれを好まなかった
わたしは優しくありたかった
皆、少しずつ欠落していって
比喩は意味を失った
わたしはわたしがいるはずの無い
今日を思う
納豆の糸が風にそよぐだけの
今日という日を思う

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コメント

  1. 納豆に砂糖ははじめて聞きました。美味しいのでしょうかね^^;

    >みんな少しずつ欠落していって

    ↑ここの表現、好きです
    完璧な人間なんていなくて
    みんな、どこかしら欠けていて
    その欠けた部分が、時には許せなかったり
    愛しく思えたり
    納豆に砂糖もそうですけど
    納豆にたまごとか
    カレーにマヨネーズとか
    自分にはよく理解できないことって
    世の中には沢山ありますね

    優しくありたいです

  2. わたしはわたしがいるはずの無い
    今日を思う

    この詩の 全体的にある優しさが おもしろいのですが、この2行が特に好きです。
    ああ そうだなぁ、と少しこの2行のように思うことが出来ました。
    自分の居ない世界も、「自然は」美しいままだといいです。

  3. @雨音陽炎
    雨音陽炎さん、コメントありがとうございます。
    今は、納豆のパックにタレがついているのが当たり前ですが、自分が子供のころは、本当に納豆だけでした。
    タレを舐めていただければわかる通り、砂糖なのか、味醂なのか、人工甘味料なのか、甘さが感じられるます。
    納豆に砂糖を入れて醤油をたらすことは、つまり、お手製のタレのようなものを作ることだと考えていただければ。
    ただ、砂糖を入れると甘味が強くなり過ぎて、当時も、気持ち悪がられました。
    地域にもよるようです。
    たまごを入れるのは好きですが、いろいろと手間がかかって、数年に一度やるかやらないか。
    カレーにマヨは、私にとっても、もはや意味不です。

    許せないこと、愛おしいこと、なんだかよくわかります。生きていることが面倒な時もありますし、生きてて良かった、と実感するときもあります。
    欠けたものも含めて、すべての物や事を抱きしめて眠りたい時もあります。

  4. @こしごえ
    こしごえさん、コメントありがとうございます。
    観測者である自分がいなくなったとき、果たして世界は存在するのか、自信がありません。
    けれどおっしゃるとおり、自分がいない世界も美しくあればいいなー、と思います。

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