老いの準備
ずっとずっとそんなふうにしか思えなかった
*
世界を相手に戦っているつもりでいたのだが
いつのことかと思い出すことさえ困難である
理屈だけで自分を納得させたつもりでいたろ
納得したのか誤魔化したのか果たして結果は
どんな形でいつ表れるのかさえもわからない
中身のない空洞な人間になってしまったのか
空洞ならば打てば響くということかも知れぬ
ならば中身ってさほど重要なことではないな
蓮根も空洞だからこその食感と美味しさゆえ
バター醤油でこんがり炒めると最高でもある
いつのまにやら料理の話になってしまったか
いや自分は人生で語るべき言葉を獲得したか
のんびりしてたらこのまま失語症になるかも
忍耐強く生きるのか多くを語らぬ老人として
*
もっともっとこんなふうに身を任せて生きる
コメント
空洞ならば打てば響くということかも知れぬ
この詩の、ここが特に好きです。
もっともっとこんなふうに身を任せて生きる
そうですねぇ、その通りだと思います。
私の場合、悪いこともいいことも含めて 忘れっぽいので、その日その時に反応しながら生きるしかないんですよね。この詩の通りに、身を任せて生きるしかない。
この詩の話者(もしくは、作者)の、そういう生き方に、そうだなあ、と大体の所に同感します。
永遠のteenager気取りでやってきたのですが無理っぽいですねーおでこも広くなってきたし頭頂部もさびしくなってきてるしアゴヒゲは白髪だらけ、疲れやすいし老眼だし…老いは確実にっすねー団塊ジュニアだからねーかといって達観しているわけでもなく、未だ《詩》に関しては藻掻いてますよねーまあ《生き方》に関しても藻掻き過ぎて藻が両指に絡まって重くなってきて水を掻けないですからねー空洞ならば打てば響くけど、僕の場合は打てば割れちゃうもんw空洞野菜はピーマンですよねー青椒肉絲のピーマンおいしいよねー
@こしごえ
さん、ありがとうございます。
共感する部分を見つけてもらえて嬉しいです。しかも空洞のところ、これを書いた当時、なんか年季の入った楽器みたいに歳を取れば良いかと思えた箇所でした。
@三明十種
さん、ありがとうございます。
きつも楽しいコメントで緩んで良い感じです。
実はこの詩は次のリンクの詩(https://poet.jp/photo/3454/)の姉妹編みたいなものなのですが、三明十種さんのコメント読んでると手前味噌ばかりで恐縮ですが、このリンクの方の詩(https://poet.jp/photo/791/)の気分のまま私もとうとう50代になってしまったなぁという感じです。このぽえ会に参加してからも早三年以上経ってることに驚きを隠せないですわー。
いやー、とか何とか言いながら自分の詩をふたつもねじ込んでしまったよー、聞いて聞いての女子みたいで恥ずいわー。
蓮根のくだりが良いなと思いました。
誰かにうまく炒めてもらえたら、自分も少しは味が出るのかな(笑)
歳を重ねるといらないことを考えてしまいますね。
時間がないとか。文章が老けたとか(笑) まあ、開き直るしかないかな?
でも、50代はまだまだですよ。これからも期待してます。
@nonya
さん、ありがとうございます。
nonyaさんのような華麗な比喩を決めたいのですが、出たのは蓮根でした(笑)
50代、まだまだ楽しませてもらいますよー