エーデルワイス
反復する呼吸
少しの重さ
ありふれたことなのに
落下傘だ、と
二人して笑った
微熱の名残りに
わたしちが寝転んだのは
芝生の庭だったかな
覚えたての呪文のように
何度も
エーデルワイスを歌った
いつか来る終わりにばかり
気を取られて
やがて来る始まりには
無邪気に気づかなかった
反復する呼吸
少しの重さ
ありふれたことなのに
落下傘だ、と
二人して笑った
微熱の名残りに
わたしちが寝転んだのは
芝生の庭だったかな
覚えたての呪文のように
何度も
エーデルワイスを歌った
いつか来る終わりにばかり
気を取られて
やがて来る始まりには
無邪気に気づかなかった
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コメント
呼吸するという何気無いこと。少しの重さ。
私は、数年前に、肺に穴が空く病気で肺の手術をしたことがあります。手術は成功して、それからも普通に呼吸が出来ています。
普通に呼吸ができるということの ありがたさ。
この詩の第一連を拝読して感じるのは、呼吸だけではなく、こうして、普通に生きていられることのありがたさを思います。
そして、最終連の切なさに、やられました。この切なさに感じ入ります。
無邪気に気づかなかった
無邪気に、というところが 特に しみます。
憂いもエーデルワイスに打ち消されてしまうのか
それが「ゴンドラの唄 」で無くて良かったと思う
@こしごえ
こしごえさん、コメントありがとうございます。
普通に呼吸する、普通に生きる、
様々な事柄の偶然の積み重ねで、
そのこと自体が普通ではないのかもしれませんね。
だから、こしごえさんがおっしゃられるように有り難く、そして大切にしたい。
@足立らどみ
足立らどみさん、コメントありがとうございます。
何故だわかりませんが、ブランコに乗って、ずっとエーデルワイスを歌っていた記憶があります。
なんか一生懸命に。すべてを空っぽにして。