薔薇ノバラのばら野

薔薇ノバラのばら野

私は自分の肋骨から一人の女を造りだした。女は美しく、いつも笑っていた。ある日、女が「わたしたちって、どうやってこの世界に生まれたの?」とたずねるので、「おまえは私の肋骨から造りだしたんだ」と答えた。けれど笑って信じようとしない。私はむきになってなおも説明を続けると、「じゃあ、もう一度造ってみてよ」というので、私は自分の肋骨をふたたび取り出して、新たな女を造りだした。

あたらな女もやはり美しかった。けれどそれ以来、女たちは笑わなくなった。「わたしのほうが美しい」「あいつは性根がくさっている」と、互いに傷つけはじめた。このままではやがて殺しあうかもしれないと危惧したわたしは、女たちを花の姿に変えた。

薔薇と名をつけた花は美しいが、その枝には棘がある。

薔薇の花に「なぜ」はない
薔薇の花は咲くから咲く
自分のことなどすこしも構っていない
人に見られるかどうか問いはせぬ

おなじく

うつせみのおまえの眼が
きょう初めて薔薇をみた
しかし永劫のむかしから薔薇はこのように可憐に
たえず神様のふところに咲いていた
(「箴言」ジレージウス/大山定一訳『詩と真実』筑摩書房)

疑ふ人は来て見よ、
わが両手の中の人魚は
自然の海を出たまま、
一つ一つの鱗が
大理石の純白のうへに
薔薇の花の反射を持つてゐる。
(「歌はどうして作る」与謝野晶子『与謝野晶子詩歌集』神保光太郎編 白凰社)

足もとに どんな花が咲いているのか、
またどんな香りが 木枝に漂っているのかもわからない。
だが、匂う闇のなかで、季節をえた月があたえる
甘い香気を 嗅ぎあてることができる。
草や 茂みや 野育ちの果樹や、
白さんざし、牧の野茨、葉でおおわれた
色あせやすい すみれ花。五月なかばの
早咲きの子、香り高い花の蜜汁【みつ】に満ちあふれ
やがて 花も盛りとなる麝香薔薇。
夏の夕べに羽音のこもる 蠅の住みかを。
(「小夜啼鳥に寄せるうた」キーツ/出口保夫訳『キーツ詩集』白鳳社)

わたしは青い乙女
しなやかで薔薇色で物知りで とても
美しく 眉の陰に
そっくり一海里を秘めている!

あなたはつい今し方こんなことを考えた
わたしのまさしく虹色の虹彩が
束の間の許婚の女として
あなたにオアシスをなつかしむ気持ちをのこすとき。

さすらう眼が見たものを
あなたが書くのを夢見るとき
わたしが真赤になって笑うのを眼が見たら、
あなたはもうわたしの赤さを忘れまい。

そして燠のなか ランプの下、
こめかみから虚しく落ちて
指がおかれた紙の上、
わたしの薔薇色の笑いがもどるだろう。

焔にまじる しなやかな
生き生きとした乙女は
まだよく知らない コルセットのなかに
二羽の鳩をしまっておくことを。
(「乙女」ヴァレリー/竜田文彦訳『ヴァレリー全集 補巻1 補遺』筑摩書房)


薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花サク。

ナニゴトノ不思議ナケレド。


薔薇ノ花。
ナニゴトノ不思議ナケレド。

照リ極マレバ木ヨリコボルル。
光リコボルル。
(「薔薇二曲」北原白秋『北原白秋詩集』西脇順三郎編 白凰社)

この娘は最初見た時ペトロニウスに大した印象を與えなかった。あまり孱弱く見えたのである。ところがベンチに坐って近くで見た時から、いわば曙のようだと考え、目の利いた男として、この娘には何處か非凡なところがあると氣づいた。何もかも觀察して何もかも評價した。薔薇色に透通った顏、キスを誘なう水々しい唇、海のように靑い眼、雪花石膏のように白い額、房々として琥珀かコリントスの銅のように反射する黑い髮、細やかな頸、『女神のような』撫肩、しなやかですらりとして五月の新鮮な開いた花の若さを持つ體全部。ペトロニウスの中には藝術家と美の崇拜者が目覺めた。この娘の像の下には『春』という題をつけることができると深く感じた。
(シェンキェヴィチ/河野与一訳『クォヴァディス』岩波文庫)

薔薇の花が暑すぎるらしく、一枚また一枚と、その花びらを脱ぎすてる。

薔薇の花には、はにかんだ色があるが、一方ではまた、嘘の色もある。

炎がひとつ――これが最後の炎だろうか――暖炉のなか。薔薇の花がひとつ――初咲きだ――水飲みコップのなか。
(ジュール・ルナール/内藤濯訳『ルナアル詞華集』グラフ社)

きみの
くちびるのうえに わたしの
くちびるをあげよう わたしの
くちびるのうえに きみの
くちびるをくれたまえ 北海に
竜膽をひとつかみのこそうか それとも
きみの背のしたをただよう
灰が変身した薔薇をつきくずそうか

星が吊りさげた海の大鍋をすこしずつうごかしてゆけ!
(「波」堀川正美)

海鳥遥かに狂瀾に飜【ひるがえ】って、繚乱【りょうらん】たる水精黒薔薇の海上庭園。
視野に紛れて朧ろなる渦潮の龍巻。暗礁に眩暈【めくるめ】く流竄【るざん】の水先案内【パイロット】。
夜は深し。波は暗い。疾風は吹き荒ぶ。檣索【ほづな】と滑車【せみ】の輾轣【クリーク】、呼嘯【ホイッスル】…
船艙の財宝を焚きて一顆【いっか】の火焔【ほむら】となし、檣燈【しょうとう】に代へよ。
逝ける海の慈母【おんはは】の遺物【かたみ】、かの緑髪もて天空の銀漢に纜【つな】ぎ、若き船長の寥しき矜持【ほこり】もて、われ舵手を握る、彼方北極星へ!
(「航海」吉川則比古『吉川則比古詩集』)

 そしてすべては身を投げだしてしまった、透明のなかに、
信じきった時間のなかで、そのとき、疲れた
静寂が、掘り起こされた樹相によって
目標の距離をさらに拡げて、
虹色の谺【こだま】のうちに消えてゆきながら、愛を
流れる風の川床に驚き戦【おのの】かせ
闇を薔薇色に染めていった、そしてあの彩のなかで、
あらゆる命にも優って描いてみせた、眠りが、一筋の虹を。
(「カンツォーネ」ジュゼッペ・ウンガレッティ/河島英昭訳『ウンガレッティ全詩集』岩波文庫)

ひとつの爆発をゆめみるために幼年のひたいに崇高な薔薇いろの果実をえがく
(『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』思潮社)

火事は
展げた孔雀の尾の上に咲いた
一輪の薔薇ですね。
(「火事」マツクス・ジヤコブ/堀口大學訳『月下の一群』岩波文庫)

しかし、あなたの棘から力がなおも流れ出す、
そして、あなたの深淵からは楽の音が。
あなたの影は薔薇のようにわたしの心の中にある。
そして、あなたの夜は強いワインのようだ。
(ジーン・ウルフ/岡部宏之訳『調停者の鉤爪』ハヤカワ文庫)

おお、象牙色の、繊細な両手よ!
「になること」と「だった」の間で
さまよう、おお、顔よ。
象牙色だった汝、
一つの薔薇になるだろう。
(「警句詩【エピグラム】」エズラ・パウンド/夏石番矢訳『パウンド詩集』城戸朱里訳編 思潮社)

薔薇を持つ女【ひと】、薔薇にもまがふ
             あえかさのひと。
    はて 売りものはどれ、
 おんみ自身か、あるひは花か
  それとも もしや、みんな一緒か。
(ディオニューシオス・ソピステース/呉茂一訳『ギリシア・ローマ抒情詩選』岩波文庫)

あなたの薔薇には虫がついていないかな、サマセット。

あなたの薔薇にはどげがないかな、プランタジネット。

いかにも、鋭く、刺すようなどげが、真実を貫いている。
しかるにあなたの毒虫は、偽りを食い荒らすというわけだ。
(『シェイクスピアⅢ』世界古典文学全集43 筑摩書房)

恋の歓喜を唄ふ詩より
三倍も人気があるのは失恋の歌。

春の植物園の百種類の薔薇よりも
十倍胸にせまつて甦るのは

わたしを憫笑して去つたひとの
深い五本の目尻の皺。
(「FRAGMENTS」大岡信『大岡信詩集』芸林書房)

「きみがいればすべては薔薇色なんだ!」

あのときあなたの言っていた言葉の意味はわからなかったのですが、いま、あなたのではない小さな私の分身を育てながら、その意味を実感しています。

あなたはきっといまも、愛をバラ撒いていることでしょう。ほほえみながら。

あらゆる出来事はあたかも春の薔薇、夏の果実のごとく日常茶飯事であり、なじみ深いことなのだ。
(マルクス・アウレーリウス/神谷美恵子訳『自省録』岩波文庫)

見てきたものや聞いたこと いままで覚えた全部
デタラメだったら面白い そんな気持ち分かるでしょう
(THE BLUE HEARTS「情熱の薔薇」)

白き薔薇【そうび】は傷つきぬ、
荒ぶ暴風雨【あらし】の手あらさに、
されども花の香はましぬ、
多くも享けし苦の爲めに。
帶には挾め この薔薇
胸には祕めよ この傷手【いたで】、
暴風雨の花に汝【なれ】も似よ。
手箱に祕めよ この薔薇、
さては暴風雨に傷つきし
花の由來【いはれ】を思ひ出よ、
暴風雨は守りぬ その祕密
胸には祕めよ この傷手。
(「あらしの薔薇」グウルモン『グウルモン詩集』堀口大學譯 新潮文庫)

うす紅の薔薇になりたや
御手ずから 手折られて
雪のごと白き御胸に 飾らせ給うよう
(読みびと知らず/北嶋美雪訳『ギリシア詩文抄』平凡社)

われは愛づ、
散らんとする束の間の薔薇を、
捉へがたなき姿の詩【うた】を、
うつろひ易き人の心を、
消え入る如きけはひの
青ざめし夕【ゆふべ】の時を。
(「われは愛づ」堀口大學『堀口大學』ほるぷ出版)

火事がなければ
地震があつた。

病気がなければ
戦があつた。

あひ間あひ間に
生活があつた。

国はだんだん
大きくなつた。

世路はだんだん
嶮しくなつた。

薔薇はだんだん
咲かなくなつた。
(「歴史」堀口大学『戦争詩歌集事典』高崎隆治 日本図書センター)

百万本のバラ
百万片の薔薇
百万束のバラ
百万粒の薔薇
百万tのバラ
百万滴の薔薇

軍歌を唄つてあげたから
お前はよく眠れたのだ
豊かな胸は薔薇のやうに
よい音楽と、静かな絵本の
私の夢はもう破れた。
今日のお前の情操は
軍歌でしか、お前を眠らせない。
ああ今、お前が夢にみてゐるのは
絵で見た戦場の銃声ではないのか。
お前は
刺してゐるのか
刺されてゐるのか。
はつと小さい心を庇ひながら
あわてふためく私のこの侘しさは。
(「軍歌」井上淑子『戦争詩歌集事典』高崎隆治 日本図書センター)

大気に光は薄れ、
はやくも 緑いろした
月の利鎌【とがま】が 紅の空を
妬ましげに忍び足であゆむとき、
(月は日の敵として、
一足ごとにひそやかに
空のなぞえの薔薇を
刈りながら沈んでゆく、
かなたの夜へ蒼ざめながら沈んでゆく)――
(「道化にすぎぬ! 詩人にすぎぬ!」ニーチェ『手塚富雄全訳詩集Ⅱ』角川書店)

鏡に映る顔を見るとき
私を見る顔が果たしてどちらなのか 分からない
どこの年寄りが 無言の疲れ果てた怒りを抱いて
その映像のなかで待ち受けているのか 分からない
私は自分自身の闇のなかで ゆっくりと
見えない顔かたちを手のひらで探る 一筋の閃光が
私を捉える 灰色の いやまだ金色の
お前の髪がぼんやりと見える
ただ事物の空疎なうわべを
失っただけだと 私は繰り返す
この慰めはミルトンのもの じつに雄々しい人だ
それでも私は文字と薔薇を想わずにはいられない
自分の顔を見ることができたらと 私は思う
この稀なる午後 自分が何者なのかを知るために
(「ある盲人」ホルヘ・ルイス・ボルヘス『永遠の薔薇・鉄の貨幣』鼓直・清水憲男・篠沢眞理訳 国書刊行会)

不意に薔薇色に染まったあなたの兆【きざし】、
母なる英知よ、沸き起こってくれ
ふたたびわたしに訪れてくれ、
希望の果てに甦ってくれ、
信じがたい言葉、平和よ、
おのれを取り戻した風景のなかで、ふたたび
口ずさませてくれ、あの可憐な言葉を。
(「血脈のなかに」ジュゼッペ・ウンガレッティ/河島英昭訳『ウンガレッティ全詩集』岩波文庫)

血を吸って生き続けてきた
吸血鬼は
知を吸って
生き続けることに意味などないと
絶望した
死を吸っても死ぬことのできない
吸血鬼は
陽を浴びて身体が燃えだした
これで死ねると
灰になった
地の底から
薔薇が発芽する

誰でもないものが僕らをふたたび土と粘土からこねてつくる、
誰でもないものが僕らの塵に呪文を唱える。
誰でもないものが。

たたえられてあれ、誰でもないものよ。
あなたのために
僕らは花咲くことを願う。
あなた
にむけて。
僕らはこれまで
ひとつの無だった、いまも無であり、これからも
無のままだろう、花咲きながら――
無の、
誰でもないものの薔薇。

魂の透明さを持つ
花柱、
天の荒涼さを持つ
花粉、
茨の上方で、おお茨の
上方で僕らが歌った真紅の言葉のために
紅の花冠。
(「頌栄」パウル・ツェラン/飯吉光夫訳『誰でもないものの薔薇』静地社)

詩人や論客が思うがままに
韻をあるいは文を駆使するように
人生の明るい薔薇は
その姉妹【はらから】に ゆたかに囲まれ
秋の果実にとりまかれて
あざやかに画布に描かれるだろう
そうして 薔薇は神秘な生のもつ
明らかなこころをよび起こす
(ゲーテ/井上正蔵訳「創り出すため まとめあげるため」)

「〜略〜〈錬金術〉を教えていただきたいのです。お傍にいてともに、〈賢者の石〉に達する道をだどりたいのです」
「その道が〈賢者の石〉なのだ。そもそもの出発点が〈賢者の石〉なのだ。この言葉の意味が分からなければ、おまえはまだ物のわきまえもついていないということだ。おまえの踏みだす一歩一歩が目的地なのだ」

「目的地というものが、果たしてあるのでしょうか?」

「数が多いだけでなく、いずれも大馬鹿者だが、わしを中傷する連中は、目的地などというものはないと言い、わしを詐欺師呼ばわりしておる。連中が正しいとは言わぬが、しかしこのわしが、ただ夢みる者であるということもなくはない。〈道〉はたしかに〈在る〉のだ」

「もっぱらの噂ですが」と彼は言った。「師は薔薇をいったん焼き、その術を用いて、灰のなかからそれを蘇らせることができるとか。その奇跡を私に見せていただけませんか? お願いいたします。そのあとなら、この命を捧げることも厭いません」
「簡単に物事を信じる男だな」と師は言った。「信じ易いこころなどに用はない。わしが求めるのはたしかな信念だ」

「この薔薇を火中に投ずれば、それは燃え尽きたと、灰こそ真実だと、おまえは信じるだろう。だが、よいか、薔薇は永遠のものであり、その外見のみが変わり得るのだ。ふたたびその姿をおまえに見せるためには、一語で十分なのだ」

「薔薇がいったん消えてまた現れる、そのありさまを是非、私にお見せくださるようお願いいたします。〜略」

「仮にわしがそうしても、その目の錯覚による見せかけだと、おまえは言うにちがいない。奇跡もおまえの求める確信を与えてはくれないだろう。〜略」

「それだけではない。魔術師の家へのこのこ入ってきて、奇術を行なえと迫る。いったい自分を何様と思っているのだ。そうした恩恵に与るにふさわしい何かを、これまでにしたことがあるのか?」

「ここは楽園ではありません」と若者は執拗に言った。「ここでは、月の下では、いっさいが死ぬべく定められています」

「他のいかなる場所に、われわれはいるというのだ。神が楽園よりほかの場所を創造し得るとでも、思っているのか? 〈堕罪〉とは、われわれはまさしく楽園にいることを無視することではない、別のことだと信じているのか?」
(J・L・ボルヘス/鼓直訳『パラケルススの薔薇』国書刊行会)

私は自分の肢から一人の男を造りだした。男は逞しく、いつも怒っていた。ある日、男が「おれたちは、どうやってこの世界に生まれたのだろう?」と言うので、「おまえは私の肢から造りだしたのよ」と答えた。けれど怒って信じようとしない。私はむきになってなおも説明を続けると、「じゃあ、もう一度造ってくれよ」というので、私は自分の肢をもう一本ちぎって、新たな男を造りだした。

あらたな男もやはり逞しかった。けれどそれ以来、男たちが煩わしくなった。「おまえが欲しい」「おまえに相応しい男はおれだ」と、私を独占したがりはじめた。煩わしくなった私は、男を少し小さくして食べることにした。子種はすでにもらっている。

これから産まれる娘たちよ、言い寄る男の頭を喰らえ。

Romanticismo
non significa
regalare
rose
Romanticismo
significa
coltivarle
Alda Merini

ロマン主義とはバラを与えることではありません
ロマン主義とはバラを育てることです
(アルダ・メリーニ/Google翻訳)

詩は 黒い薔薇
眼は 顫へる触角

死は 海底に乱れる藻
芽は 引き裂く刃

詩と死は 暗号
眼と芽は それを解読する

死と詩は 花粉
芽と眼は それを運んでゆく
(「Décalcomarie Ⅱ」那珂太郎)

ガートルード・スタイン『世界はまるい』からの抜き出し作業が難航している。原文は見てないけど、句読点があったりなかったり、改行は多用されてるけど、全部がつながった語りに思えるのでなかなか抜けない。
これ、なんて訳すのやろね。

ROSE IS A ROSE IS A ROSE IS A ROSE

ウィキペディアに載ってる訳では
薔薇は薔薇であり、薔薇であり、薔薇である
ってあるけど、日本語だといろいろできそうやね。

バラはバラはバラはバラ
バラはバラさバラだバラ

バラがバラがバラがバラ
バラやバラやバラやバラ

バラとバラのバラがバラ
バラでバラにバラをバラ

ははは、ちと無茶やけど、おもしろい。

バラやねんけどバラやねんでバラやからバラやねん
バラじゃん、じゃんバラじゃん、ジャンバルジャン?、いやバラじゃん。
バラであります。薔薇であります。ばらであります。バラである。(参考:北原白秋「トラピストの牛」)

薔薇であり 薔薇である。
と文(?)にするのか、音を取るのかで印象が変わる。
「ローズ イズ~」で韻を踏んでいるのを考えると、

薔薇は薔薇は薔薇は薔薇
もありか。
助詞を変えていろいろ遊ぶと、

薔薇より薔薇な薔薇の薔薇

「世界はまるい」の内容を考えると「ローズは薔薇で薔薇はローズ」という意味も含まれていそうだ。少女の名と花の薔薇。でも、「IS A」が繰り返される部分はどう捉えるのか? 「なんだこれ?」って感じならこんなのもありかも。

薔薇って薔薇って薔薇って薔薇

詩人は沈黙することを好まない。
あまたの人々に自分を見せようとする。
賞賛と非難とは覚悟の前だ!
だれも散文でざんげするのは好まないが、
詩神の静かな森の中でわれわれはしげしげと
バラの花かげに隠れて、こっそり心を打明ける。

わたしが迷い、努め、
悩み、生きたことのくさぐさが、
ここでは花たばをなす花に過ぎない。
老いも若さも、
あやまちも徳も、
歌ともなれば、捨て難く見える。
(「心やさしき人々に」ゲーテ/高橋健二訳『ゲーテ詩集』新潮文庫)

ヒトの手入れされない場所に咲くバラは、手入れされたバラに比べて豪快に見える。ゴミがあろうが水が濁ろうがそこに咲く。咲けば虫たちはやってくる。

バラというとどうしてもバラバラの言葉遊びが思い浮かぶ。
そんでバラバラバンバーを思い出す。


現代美術館をあなたのやり方で
バラバラに解体しなさい。
破片を集めて
糊でもういちど復元しなさい。
(オノ・ヨーコ/南風椎訳『グレープフルーツ・ジュース』講談社)

人の顔というのは、バランスの良し悪しとは別に、その人の経験を物語るようになってくる。そして、人に美人だ綺麗だと思われる人は、明るく笑う人であることが多い。

なんですって
わたしはバラのように着飾っています
そしてバラのように美しい
(チッペワ族『アメリカ・インディアンの口承詩』金関寿夫 平凡社)

おれたちは
すごいパーツでできている
腕を伸ばし 指を絡め
胡坐かき 背を伸ばし
ながら
頭を使って
楽しいこと探す獣
ひょいっと
身体をひねりティッシュをつまむ
その動きに
見惚れたとしてもけしておかしなことではない
つねにバランスを保ち
すっと立ち上がり
走る

履き潰したニューバランスを見る
新しい靴を買おうかとスポーツショップを訪れる
ジョギングシューズ ウォーキングシューズ キャンバスシューズ バスケットシューズ ハイテクシューズ ロウテクシューズ 驚くほど軽いもの 重すぎるように思えるもの ど派手なもの 何の機能やら分からないもの
とにかく沢山の種類がありそれを眺めてすっかり満足し
30分ほど店内をうろついて何も買わずに店を出て
家に帰って靴を脱ぐさいに靴を買いに行ったことを思い出した

愛ってなに? と他人に尋ねる人ほど
愛を強く求めていることを不思議に思うことがある
自分の欲しているものが何なのか分かっていないのに
あれでもないこれでもないとあちこち散らかしまわる
欲しいものを探すために百貨店を訪れるという愚行

じゃあ、あなたは愛って何なのか知っているのですか?
もちろん私は知っている
ついでに愛の天使にも逢ったことがある
でも説明なんてしない
羽を使い飛ぶ生き物たちのことを私は知っているが
どうやって飛ぶのかの説明などできない

靴紐を結ぶことは簡単なことではない
けれど何も考えずに私は紐を結ぶことができる
なぜ紐を結べるようになったのか?
ヒントはいたるところにある

この流れは確かに
  精神に属するものだ
ただの属性でなく 心が生みだした
         ひとつの元素だ
それは原動力でつねに働く でなければ塵が水盤に積もる
  鉄粉のなかにバラを見たことがあるか
         (あるいは白鳥の綿毛を)
それを動かす力は軽く、鋼鉄の暗い花弁は整然としている
われら、レテの河を渡りし者は。
(エズラ・パウンド/新倉俊一訳『ピサ詩篇』みすず書房)

雨が降ってきた
バラバラと
うがいする
ガラガラと
紫陽花が濡れている
アカアカく
迂回する
アオアオく
信号を鼬が駆け抜ける
イキイキと
生き物たちは活き活きしている
サマザマに
雨の降る中で

花自我でた。
スミレ「わたしくのほうが美しくってよ」
ユリ「あらあら、品のないこと」
バラ「どいつもこいつもわたし以下!」
イヌ「おれのが一番優秀だ」

バラは萎れ
またよみがえる
種子によって,当然のこと
だがいったい

詩の中いがい
どこへ行けばいいのか
だんだんあせようとする輝きを
保ちつづけるには
(「うた」W.C.ウィリアムズ/今西弘訳『W.C.ウィリアムズ詩集 ブリューゲルの絵その他の詩』国文社)

燃えかすと灰のなかから、塵と石炭のなかから、黄金の火とかげのように、過ぎ去った歳月、みどりの歳月が現れるだろう。バラのあまい香りが流れ、白い髪は漆黒に変り、しわは消え、あらゆるものが死を逃れ、種子へ、始まりへと帰ってゆく。西にのぼった太陽は、東の空を赤く染めてしずみ、月は逆向きにおのれを食い、何もかもが入子細工のようにはまりこみ、うさぎはシルクハットにもどり、すべて、何もかもが生きいきした死、種子の死、みどりの死、始まり以前の時へと帰ってゆく。軽く手をふれるだけで、それが可能になるのだ。ほんのちょっとふれるだけで。
(「いかずちの音」レイ・ブラッドベリ/伊藤典夫訳『恐竜物語』新潮文庫)

百万本のバラ
百万片の薔薇
百万束のバラ
百万粒の薔薇
百万tのバラ
百万滴の薔薇

青かった
ああ青かった
青かった

青の時代を過ぎて
バラ色になったのか
バラ色って何色だ
ノヴァーリス咲いたか
色を付けたか
色を足したか
脱色したか
脱いだ色は何色だ
裸はまだ見れるか
大人になったか
大きな人って何だ

青かった
ああ青かった
青かった

Ero un dono
un’ora d’oro-
talismano d’ali leggere-
rosa purpurea-
cuore, vene,anima,
vento dolce e fuoco.
Poi
si son perse le parole e
tutte le poesie.
Non avevi capito
che ero un dono….

私は贈り物でした
黄金の時間―
光翼のお守り――
紫のバラ~
心臓、血管、魂、
甘い風と火。
それから
言葉は失われ、
すべての詩。
あなたは理解できませんでした
私が贈り物だったことを….
(AlmiraUva/Google翻訳)

彼女は沈黙のようにしゃべる
理想も暴力もなしに
貞節をちかう必要もない
そう 彼女はまこと、氷のように、火のように
ひとはバラをもって
時間単位で約束する
彼女は花のようにわらい
バレンタインも彼女を買うことはできない

10セント・ストアやバス・ストップで
ひとは状況についてかたり
本をよみ、引用をくりかえし
結論を壁にえがく
未来をかたるひともいる
彼女は しずかにしゃべり
失敗みたいな成功はないし
失敗は成功ではないことをしっている

マントと短剣がぶらさがり
マダムがローソクをつけ
騎士の儀式で
歩兵さえもがうらみをいだく
マッチ棒の銅像が
たがいにくずれおちる
彼女はウィンクし かまわない
議論したり判決したりするには知りすぎている
真夜中の橋がふるえる
いなかの医者が散歩する
銀行家の姪が完全をもとめ
聖者たちからの贈物をすべて期待する
風はハンマーのように吠え
夜はつめたく吹き 雨もよい
彼女は なんだかオオガラスのように
わたしの窓べに傷ついた羽をやすめる
(ボブ・ディラン/片桐ユズル訳「ラヴ・マイナス・ゼロ」)

あるとき種をまく人が畑に種をまきにでかけた。彼は大きく手をふってあちこちへ種をまいた。あるものはかたい道におちた。すると鳥がやってきて、夕暮れまでにその種を食べてしまった。あるものは石だらけで土の少ない地面におちた。すぐに若芽が出たが、根がはっていなかったので、太陽が照りつけると、しおれて枯れてしまった。ほかの種はイバラのなかにおちた。するとじょうぶなイバラがいっしょに育ち、やわらかな植物をさまたげて弱らせたので、それらは実をつけることはできなかった。
 しかし多くの種はよい地におちて元気に育ち、三十倍、六十倍、百倍のゆたかな収穫をもたらした」

「きく耳のある者はききなさい」

「わたしには理解できないからです」アンデレはなげいた。それはほんとうの苦しみだった。孤独にうちひしがれ、泣きそうだった。「こぎ船にのっていたとき、あなたは人々に種をまく農夫のたとえ話をされました。わたしもきいていました。イエスよ、わたしは熱心にきいていましたが、その話を理解することができないのです」

イエスは言った、「種をまく人は言葉をまく。その種とは、すべての人にまかれる神の言葉だ。ふみかためられた道のような人は、きくだけでその言葉をうけとめる。するとすぐにサタンが来て、それをうばってゆく。石の上の薄い土のような人――彼らはよろこんで言葉をうけとめ、すぐに日の光のなかで芽を出す。しかし彼らには根がないのだ。そのため苦難や誘惑にあうと、その光の熱でしなびてしまう。枯れて死んでしまうのだ。イバラの生えた土地のような人――彼らは言葉をきく。そして言葉は彼らの心に根をおろす。しかし成長するにつれて、世の関心事や富や快楽や欲望にさまたげられ、最後に実をむずぶことはできない。しかしよい土のような人は――アンデレよ、言葉をすなおで正しい心でうけとめるのだ。彼らはそれをしっかりとたもち、忍耐づよく生き、三十倍、六十倍、そして百倍の実をつける」
(ウォルター・ワンゲリン/中村明子訳『小説「聖書」新約篇』徳間書店)

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大阪府

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