繋がれなかったわたしと私
生まれたばかりの赤ん坊には、無数の神経細胞が備わっているという
経験を積むことによって、その神経細胞は成長していくものらしい
子どもは遊びながらたくさんのことを学んでいくものだと思う
それがたとえば、モラババアに文句を言われるのが嫌だから、とか
モラ夫に蹴散らされるのが嫌だから、といった理由で
数少ないおもちゃ(ひとからもらったもの)を
子どもの手の届かない、棚の上のほうへしまってしまう
子どもは遊んだら怒られる、家の空気が悪くなるということだけ
脳が強く学習してしまう
手先が器用になるのも、運動神経がよくなるのも
絵を描くのが得意になるのも、音楽の才能も
読書が好きになるのも、他人との関わり方も
もちろん、遺伝とかそういうのもあるだろうけど
幼児期に神経細胞がうまいこと成長していき
結合されて育っていったからだと、私は考える
私は不器用で、どうにかボタン付けくらいはできるけれど
ぞうきんすらまともに縫うことができない
だから家庭科の課題を 一度として提出できたことがない
運動神経は0どころかマイナスのそのまたマイナスで
体育の時は地獄以外の何ものでもなかった
特にいくつかの班に分かれてする競技では
私が入ると あからさまにみんな嫌な顔をしていたし
休み時間や放課後に遊んでいても、鬼ごっことかそういうの
私だけ特別ルールにしてもらったりして すごい気まずかった
逆上がりもできないし、自転車にも乗れないし
もちろん金づちだから、ほんの数センチ泳ぐことすらできない
クラスに大体2人か3人くらいは絵のうまい子がいたけど
なんでそんなにうまく描けるのか謎だったし
ピアノやエレクトーンを習ってる子がうらやましかった
その子のためにわざわざ買い与えたりして
すぐに飽きて ただの物置きと化してるのがほとんどだったけど
もったいないな もったいないな
私なら絶対途中で投げ出したりしないのに
なんて 根拠もないことを思ってみたり
なんでも幼少期にピアノなどを習っていた子どもは
自然と頭もよくなるものらしい
ホントかどうかはわからないけど
でも幸い、私も音感だけはまともにあったから
歌うことは好きだったし
どこかから聞こえてくる音楽を 耳コピしては口ずさんでた
覚えたことだけは 誰にも奪われることはないから
知らない曲を覚えては口ずさむたんび
母親からは、うちの家系はみんな音痴だから
親父の方に似たんだろ、と
冷たく突き放されてばかりいたけれど
読書も苦手で なにが面白いのかまったく解らず
面白い本の見つけ方すら知らなかった
いま思うと、頭のいい子って
小さいころから読書の習慣がついてるんだよね
それはきっと、親が小さいころから
絵本を読んで聞かせたり、図書館や本屋へ連れて行ったりして
本と親しみやすくしてたんだろうって 勝手だけどそう思う
うちにはそんなのなかったから
母親は読書好きだったみたいだけど
家に本があったの、見たことないし
図書館へ行ってるとこも 本屋を覗いてるとこも見たことがない
忙しくてそれどころじゃなかったと云われればそれまでだし
読みたきゃ勝手に自分で探してこいよってことだったのかもだけど
こんな私でも 作文では褒められたこともあって
遠足に行ったときの ふと感じた出来事や体験した事柄なんかを
ごくありふれた 他愛のない文章で描いたものなのが
なぜか市の機関紙に掲載されることになって
云うまでもなく 家のものたちは誰ひとりとて
興味も関心ももってくれなかったけれど
それでもやっぱり 自分の描いたものを選んでもらえたことが
ただただ どうしようもないほど嬉しくて
いまだに描くことをやめないのは
きっとそのせいもあるかもしれない
テストではいつも、難しい問題を解くのは得意だったが
なんでこんなところで?というところでいつもミスって
しかも5点問題とかだったり
そんなことの繰り返しで
その癖は就職してからも直らずに
些細なところでミスをすることが多かった
いや それは単純にお前の確認不足だろうと云われてしまったら
まったくもって ぐうの音も出ないのだけど
子どもは遊びながらたくさんのことを学んでいくものだと思う
玩具を与えられなかったのなら 違うもので工夫して遊べばいいじゃない
と云う人も あるいはいるかもしれない
クレヨンを持てば 襖を汚されるからと取り上げられ
ハサミを持てば 危ない(子どもが、ではなく大人が)と云って取り上げられ
積み木は 投げてそこら中のものを壊されると取り上げられる
口笛吹くさえうるさいと怒鳴られる
外で砂遊びしようとすれば 服が汚れる
なにかしようとするたび あれはダメこれはダメ
全部がぜんぶそのせいじゃないのかもしれない
いい大人のくせに いまさらそんなことくらいでグズグズ云うななのかも
でも、子どもって遊びの中でいろんなことを学んでくもの
目で見て 手で触れて 耳で心で感じ
同時に頭をフル回転させて 想像力を膨らませて
世界を構築していったりするものじゃない
まだまだ複雑な大人の事情なんか何にも知らない子どもだもの
楽しいとか面白いとかいった感情を
誰にも否定されることなく 表現するものじゃない
それらすべてを取り上げられてしまった子どもは
素直に湧いてきた楽しいも面白いも 全否定されてしまった子どもは
一体なにからなにを学べばいいというのだろう
一体なにをどんなふうに思えばいいというのだろう
おかげさまで、こんな人間が出来上がってしまった
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最後までお読みいただき、ありがとうございます
長いこと、何故にこんなに不器用で運動音痴で
些細なことでミスってしまうのか考えていて
まあ、それは全部自分のせいではあるのかもなのですが
色々と考えていくうちに
産まれたばかりの赤ん坊には無数の神経細胞が存在していて
いろんなものを見たり触れたり聞いたり感じたり
そうすることで、神経同士が繋がっていくという
それが、全部とまでは云わなくても
なにかしら影響を及ぼしているのではないか
という考えに思いいたり
開き直っているように聞こえるかもしれませんが
私の中では結構切実だったりして
こんな詩が出来上がった次第です
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