思い出

思い出

思い出
という言葉は
あまり好きではないのだった
今は
すべてとつながっている故

あの
澄みわたった青空はしんと深い静かさ
この目に染みて
あの人のほほ笑み浮かぶ
雲はひとつも
無かった
と思っていた
愛を
思えば
愛は
ここにあった
愛が
今ここにあると
思い出したんだ

この
水脈を
流れる
記憶の
水は
かつて
雲であった
すこし泣いたの

木洩れ日のなか
あの背中は
ふりかえり
私に
ちいさく手をふっている

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コメント

  1. 画詩ということも良く作用してるのでしょうけれど、この詩には観念がリアルな色彩をともなって表現されているように感じました。詩の最後まで「すべてとつながっている」感が出ていますね。

  2. @あぶくも さん ありがとうございます♪
    画詩のよいところは、写真などと詩が二つで一つの作品にできるところですね。
    この詩には観念がリアルな色彩をともなっている、そうですかあ、
    あぶくもさんが、そう言ってくれて ありがたく嬉しいです。^^
    そして、詩の最後まで、「すべてとつながっている」と。うん。

    この作品では 省きましたが、「今は、回り回って、全てとつながっている」はずだと思います。回り回ってですね。

    ちなみに、この画詩の猫しゃんの後ろ姿の写真は、20年以上前に、東京のある公園で撮影したものです。そのデーターが、残っていてですね。
    当時愛用してたカメラは、デジタルではないカメラの、ニコンのニューFM2チタンでした。50ミリか35ミリのレンズ。なので、撮影距離は1メートル位かな。うん。ふふ。

  3. 自然の中に見え隠れする人の想いが
    色彩とともに浮かんでくるようでした。
    やはり「今」が大切ですよね。

    写真は単焦点でしたか。柔らかさが素敵です。

  4. 侘しさ、と画と詩からふと浮かびました。

    毛繕いをしているのかな、とも見えますが、背中の佇まいがなんともいえないです。

  5. @nonya さん ありがとうございます♪
    この詩から、そのように 人の思いを感じてくれて、ありがたく嬉しいです。^^
    はい、今 なんですよねぇ。私の場合、忘れっぽくなったことも そうだし、未来のことも 普段はあんまり考えなくなったように思います。なので、今をですね。うん。

    写真は、単焦点ですね。背景のぼやけ具合から言えば、絞り開放(50ミリだったら、F1.4だし、35ミリだったら、F2.8位かな)近くだったかもしれません。
    フィルムカメラは、今、保管中で、ドライケース(というのかな?)の中で眠っています。フィルムカメラは、たぶんもう使うことは無いでしょう。
    ちなみに、ニコンのニューFM2チタンとニコンのF3チタンは中古で、ニコン F4は新品で求めました。

    この猫しゃんの写真は、おそらく、ニューFM2チタンで撮影したものかと思います。当時はでも、フジフィルムのコンパクト フィルムカメラも愛用してたから、今の今思うと、もしかしたら、そのコンパクトカメラだったかも。でも、この写真の背景のボケ具合で、つぶつぶがあるみたいだし、50ミリとかの可能性もあるかなぁ?ハッキリとは覚えてないんですよね、正直、どのカメラでこれを撮影したかは。でも、そのフジのコンパクトは、28ミリレンズだったかと今思い出した(このフジのコンパクトは壊れたので捨てました)。なので、50ミリとか35ミリの可能性が高いかもしれません。

    ふふふ、長々とすみません。
    昔は、カメラも好きだったし、写真にはまってた時期がありました。
    今は、数年前に、家族が使ってなかった コンパクト デジカメの オリンパスの STYLUS XZ-10を家族から安く求めて、極時々使ってます。

  6. @ぺけねこ さん ありがとうございます♪
    おお、侘しさみたいなものを、悲しいとか さびしいという言葉を使わないで 表現したかったので、
    ぺけねこさんが そう言ってくれて、ありがたく嬉しいです。^^

    はい。この猫しゃんの写真は、私が東京に住んでいた頃に、ある公園に行き撮影したものなので、20年以上前の写真です。なので、この写真を撮影した時の状況は全く覚えていません。
    でも、この写真からは、猫しゃんが毛づくろいしてるように見えますね。^^そうそう、この何とも言えない背中の表情が好きで、お気に入りの写真です。ふふふ。

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