政:2014年3月14日~2024年8月17日までの叙事詩
●2014年3月14日
なんか、なんでみんなそんなに橋下市長を嫌うのか、私にはよくわからないのよね。彼は、自分のやりたいことへの反対勢力に対抗するために、府知事から市長へと野に下って戦ったわけやん。いままで、そんな知事はおったの? そんで、知事としての彼の功績を比較するのであれば、前知事である太田房江・横山ノック、前市長である平松邦夫らのやってきたことと比較すべきじゃないの? 政治家がいま現在やってることの結果がでるのは数年後やねんから、いまからやろうとしている市長を批判するのって、なんなんやろね。あと、私は基本的に政治ネタツイートが苦手なんやけど、それでも、自分たちの地域情報に対するものなら納得はいく。橋下さんは大阪市長なわけやん。私は大阪市に住んでるわけじゃないから、彼の大阪市に対する行動は、私にとってはどうでもいいことになる。大阪市民でもないくせに、橋下さんを批判してる人らって、自分の住んでる地域の市長さんがなにをしてるのか知ってるのかしら?
●2014年3月23日
まあ当然だろうけど、橋下さんが勝ったんやね。それにしても、自分たちが勝ったら「国民の支持を得た」で、自分たちが負けたら「最低投票率ということが国民(市民)の声だと思う」って、政治家って楽な商売やなあ。ほんで、NHK(国営放送)の癖に偏向しまくりやんけ。最低投票率を問題にするんやったら、昨今の国政選挙での投票率がどれくらい低くなってるのかも問題にせんとあかんのとちゃうの? 橋下さんの好き嫌いは別にして、彼のやってることに注目したり批判したりしてる人たちは、もっとそういうところを見たほうがいいよ。
●2014年9月22日
私は人生に絶望したのではなくてね
自分に絶望したのだよ
私は世の中に絶望したのではなくてね
自分に絶望したのだよ
だからなにを言っても無駄
社会批判だの政治家批判だの
日々流される事件事故への正否、罪悪なんかをね
書き出して声をあげたところでどうにもならないことはよく分かっている
きのうは猫を殴り殺した
親とはぐれたらしい子猫が夜中にずっと鳴いているのにむかついて
より正確にはコンクリートの壁にたたきつけて殺したのさ
そんな風にして、私に寄ってくる猫を殺すことはよくある
驚いたかい?
君はきっとこれは嘘だと思っただろう
そのとおり、嘘さ
けれど厭な気持ちにさせたことは本当だろう
「そういうの知ってる、ショック療法って言うんでしょ」
うるさいよ
君の書いている詩がこれと同じように
私を厭な気持ちにさせていることの理解はできないだろう
そう、君も
自分に絶望しているのだから
でも、絶望とか言ってみたりしながらも
腹が減ったから何か食べようと思って冷蔵庫をあさったり
気張った格好もできないから夜中にジャージでコンビニに買い物に行って買い食いしたりするんだ
そのとき寄ってきた猫がいればもちろん蹴り殺す
こういった文章や言葉が
なにかの力になるのか、
なんて私は知らない
私が知っているのはただ
自分に絶望したということだけだ
●2014年9月26日
これは深刻におもえるほど、ひたすら政治的なんです。もちろんすべてのアートが政治的です。でもこれが徹底的に教訓的で、すべて信仰組織を奉ずる以外のなにものでもないとすれば、わたしは憤りを感じます、つまりわたしはこれに抵抗します。
(アーシュラ・K・ル・グィン/小尾芙佐訳『言の葉の樹』ハヤカワ文庫)
●2014年10月5日
アメリカは過去を拒まず、たとい古い形式の下で、古い政治体制のさなかで産みだされたものであっても、たとい身分制度の思想であれ古めかしい宗教であれ、ともかくも拒まず――平然とそれらの教訓を受けいれ――すでの役目を果たした生命が今は新しい形式を得て生まれ変わっているというのに、意見や風俗や文学は未だに古い殻をつけたままだからとてけっして苛立つことはなく――その屍が寝室や食堂からゆっくりと運び出されていくのに気づき――それが戸口のところでしばしためらう姿に気づき――それがその時代には一番ふさわしかったのだと――そして今や登場を待つ頑健で見事な肉体をそなえた後継者の手中に活動のバトンが譲り渡され――この新たな彼も、やはりその時代には最適となるだろうと思うのだ。
(ホイットマン/酒本雅之訳「草の葉」岩波文庫)
●2014年12月27日(画像1)
「生活の党と山本太郎となかまたち」に党名変更 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
http://yomiuri.co.jp/politics/20141226-OYT1T50100.html?from=tw (注:記事は現在読めない)
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これは凄いなあ! ここまでしてでも政党交付金が欲しいということを明確にしたわけやからね。このニュースを読んで山本太郎氏を批判する意見が出てくるのは分かるけど、政治家としての彼の良し悪しは、これからの彼を見ればいいことであって、とりあえずは政治的な後ろ盾のない彼が、政党交付金欲しさに頭を下げてくる政治家がいることを知らしめさせたということだけでも、十分にすごいことをやってのけてる。橋下さんもそうなんやけど、まずは今までやられてきた政府・政治家・役所の状況を晒しだして外側の人たちに見えるようにしてから改革をしようとする。「○○反対!」を叫ぶのは自由やけど、それじゃあいつまでたっても実情は変わらない。変化させるための活動・行動をしているのか?
あれまあ、自分のケツを蹴り上げる文章になってもた。ぎゃふん!
●2015年2月13日
ヒトの脳が体重に比べて相対的に非常に大きく、しかも、新皮質と呼ばれる、高度な認知や思考にかかわる脳の部分が非常に大きいことはよく知られている。そのおかげで、ヒトは、自然現象について考察し、社会関係に思いをめぐらし、さまざまな発明や発見をし、環境を改変し、政治的イデオロギーを持ち、哲学や自然科学を構築し、現在のような存在となった。
このようなことができるためには、さまざまな現象について深く観察し、推論し、論を深め、試行錯誤でいろいろな技術を試すことが必要である。これらは、すべて、かなりの注意の集中を要することがらである。
(長谷川眞理子『ヒト、この不思議な生き物はどこから来たのか』ウェッジ選書 11 地球学シリーズ)
●2015年5月16日
大阪府を都にする賛否の意見をきく投票が明日行なわれる。けれどこれは大阪市に住むヒトたちによる住民投票(投票結果は政治に反映されなくてもいい)でしかない。私は大阪府に住んでいるけど門真市民なのでこの選挙は関係がない。部外者はそういうことを分かって賛成反対を言ってるんやろか?
私は、橋下さんにはやれるだけやって欲しいと思っている。なぜなら、現在の大阪の財政状況は、前前府知事の横山ノック氏・前府知事の太田房江氏がつくってきたものだからだ。平松前市長もそう。なんやろね、なんでこの人らのやった政治の追求はせんねんやろ?
●2015年6月5日
「詩の神聖を汚す」というのは被害妄想だが、率直に言えば、絶叫調の政治的なプロパガンダを行分けして形だけ詩のような体裁をとったもので、過激な演説としかいいようはなさそうである。人の思想がそれざれ異なっているのはさしつかえないが、己れ一人を尊しとし、日本以外の世界を野蛮呼ばわりし、非道・背徳・侵略・低劣・野心・強欲などと罵倒するだけの作、言い換えれば独断と偏見と憎悪の集積から「詩」は生まれようはずもない。
(『戦争詩歌集事典』高崎隆治)
●2015年9月14日
今後、
デモをしても法案廃棄になど至らず
「やっぱり権力には勝てなかったね」なんて
やれることはやった顔をして
その後投票には行かず
政治は変わらないものだと
あきらめムードを漂わせるような
そんな馬鹿者にはなりたくない。
●2015年9月20日
「知的で効率的な政治家――そのような“種”の存在は、事実上、この銀河系では確認されておりません。
(ジョージ・R・R・マーティン/酒井昭信訳『タフの方舟2』ハヤカワ文庫)
●2015年10月29日
われわれ、例えば高速道路をつけようとしている、あるいは空港を設けようという、それは政治や経済のスローガンですよ。ところが、政治というか皆さん方は、高速道路をつけることが自己目的、目的化してしまう。あるいは空港をつけることが、目的である、本当は、そんなことは目的でも何でもないんです。高速道路をつけて、人間は、例えば経済的に豊かになりたい豊かになるんだけど、豊かになって、それで何をするのかというと、本当は、本当のことっていうと、魂が、生きて良かった、われわれ人生に生を享(う)けて良かった、この陽の光を浴びて良かった、自分達の子供が良く生きてくれる、そのことを、本当はやりたいわけなんです。それが目的なんです。
(中上健次「熊野で「魂」を語る」)
●2016年1月21日
政治とは可能な事柄に対する技術ではない。破滅と嫌悪との間の選択なのだ。
――ジョン・ケネス・ガルブレイス
歴史とは、決して繰り返されることのない事柄についての科学である。
――ポール・ヴァレリー
ソビエト社会主義共和国連邦は、一九八〇年代半ばの時点で誕生以来七〇年近く経っており、世界という舞台の上で永遠に存在するかのように思われていた。(略)一九八七年の時点では、今後一〇年はおろか、五〇年のうちにでもソ連が崩壊するかもしれない、と一言でも示唆した歴史学や政治学の雑誌を見つけるためには、あちこち探し回らなければならなかったであろう。ところが誰もが驚いたことに、それからたった数年後に、想像を超えた出来事が現実のものとなったのだ。
(マーク・ブキャナン/水谷淳訳『歴史の方程式』早川書房)
●2016年6月16日
小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。
http://compass-point.jp/kakugen/2177/ @japanist_cp (注:記事は現在読めない)
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知りもしない政治家の話なんかより、イチローの活躍や発言のほうがはるかに面白いしためになる。
●2016年7月10日
かくて生じるのは愚者の楽園、政治家の画策、
空中の楼閣、一攫千金の夢、
乙女の色恋の望み、錬金術の焔、
さらには詩人が抱く永遠の名声の幻。
(アレグザンダー ポウプ/中川忠訳『愚物物語』あぽろん社)
●2016年7月12日
「言語がなければ、政治家は統治できず、科学者は自分の発見を分与できず、人びとは一致して賢明な行動を起すこともできない」。しかもかれらの行為ないし状況はすべて、その言語の欠陥や長所によって左右される。
(エズラ・パウンド/沢崎順之助訳『詩学入門』冨山房百科文庫 28)
●2017年4月9日
戦争協力詩を書いたこととと、その後の責任の取り方っていうのは難しいなあ。戦後世代であり平和しか知らない私がなんの危うさもなく「戦争反対!」とかって言ったからどうやねんっていうことの難しさと繋がるというのかな。現代日本人は、「アベ政治を許さない」だの「安倍しね」だのと言ったり書いたりしても平気な世の中に住んでるわけやからね。これを北朝鮮で「独裁は許さない」や「金しね」と言ったらどうなるか? そういう場所に自分が立ったときにそれを書けるのか? とかね。数日前に、筒井康隆氏の書いた文章が話題になってたけど、ああいう文章内容を書く自由のある国に我々は住んでいることを、よしとするのか、それとも悪しとするのか。書かれた内容への好き嫌いじゃなくて、そういうことを書く自由を認めるということはどういうことなのか? 好悪の判断にしかならない言葉を自由に書けることとその社会状況と、言ったら・書いたら殺されるような社会状況にあるということと。自由というのはほんとに難しい。じゃあ「戦争反対!」とかって書く意味はないのか? って、まあ自己主張以外の意味はないだろう。それより、もっと説得力のあることを書くことが大事になってくるのじゃないのか。「森友学園」の問題で当初取り上げられていた「首相の口利き」に該当するような行為・証拠は見つからず安倍昭恵さんの寄付うんぬんについては、寄付をしようがしまいが法的な問題はないし、口利きや忖度をする側が金まで払うというおかしなことになっているにも関わらず、問題を取り上げた側は、何も無かったことを認めようとしない。今村復興大臣の話もけんか腰に怒鳴った箇所だけを抜き出して騒ぎ立てる。全貌や全文を見ようと思えば見れるにも関わらず、その手間はかけない。筒井氏の問題視された文章もそう。右翼左翼に関係なく、これまでに筒井氏がどんなことを書いてきているのかというのは無視して、問題箇所だけ抜き出す。好悪という主観はあっていい。けれど、好悪という主観だけで善悪の判断をするのは間違っている。かなり脱線してきたか? 自由っていうのは難しいなあ。
●2017年6月3日
うーぬ。政治のことはどうでもいいか。私に出来ることは選挙にいって投票することだけだし。世界卓球を見て熱くなるほうがよっぽどいいや。
●2017年10月7日
「詐欺師は政治における道具というわけね」
「力には限界がある、憲法に望みをかける連中がつねに見つけるようなものがね」
「われわれは宗教的な憲法からでもはじめられます。信仰深い連中に対する何か……」
「だめだ! われわれはこれを閣議における命令とするんだ。
「どこの憲法も究極的な専制となるものだ……それは圧倒的なものともなるスケールで組織された力だ。憲法は動員された社会的な力であり、意識を持っていない。それは最高の者も最低の者も粉砕し、すべての権威と個性をなくし得る。その平衡点は不安定であり、限界を持っていない。だが、余には限界がある。余の臣民に究極的な保護を与えたいという希望から、余は憲法を禁止する。
(フランク・ハーバート/矢野徹訳『デューン 砂漠の救世主』早川書房)
●2017年10月21日
やっぱ、政治のことにイライラするより、スポーツ観てハラハラするほうがいいね。どうにか乗り切ったって感じやったけど、どうなるか羽生選手。
●2017年10月22日
投票する
誰に入れたかは言わない
投票する
どの党に入れたかは言わない
投票する
父を車椅子に乗せて投票場まで行ったことを思い出す
母と三人で行ったのはあれが最初で最後だった
誰に入れたかは言わない
どの党に入れたかは言わない
政治についてのことを話していれば
誰に入れたのか、どの党に入れたのかはだいたい分かるけれど
それは誰も口にしない
訊かれれば答えるかもしれないけれど
自分からは話さない
ルールではない
ただなんとなく口にしない
投票する
誰に入れたかは言わない
投票する
どの党に入れたかは言わない
投票する
かつて付き合っていた彼女は創価学会信者で
選挙になると友達に電話していたことを思い出す
私とは政治の話なんてほとんどしたこともないのに
熱心にお願いの電話をかけていた
私もお願いされたけれど
入れると約束したことはない
入れた先を教えたこともない
当時の自分が投票した党は思い出せる
融通の利かない頭でっかちだった
最近の自分が投票した党は思い出せない
その時その時で変わることがあるのが自然となった
自分とは関係のないものを
選択することで見えるものもある
●2018年4月17日
若松 英輔@yomutokaku
いまの政権を眺めていると、いざというとき、国はあなたがた市民を守ることはありません、と語り続けているようにしか感じられないのは、私だけだろうか。今回のセクハラ問題だけでなく、年金、「学園」問題、さらには憲法改正に至るまで、これほど堂々と「国民」を忘れた政府はなかったように思う。
https://t.co/3ck6PZu4uM
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こういう意見を言う批評家の価値ってさっぱり分からない。じゃあ、鳩山さんや菅さんの時の政権が良かったってことかしら? あと、国に守ってもらうっていう意識なんだね。守ってもらえるのは国にではなくて人にです。役人・警察官・自衛隊・政治家と、何かあったときに我々は頼っています。私の叔母と父は病気で障害者認定を受けました。その時、介護士やらベッドの手配やらを手伝ってくれたのは役所の人たちでした。叔母に至っては、脳の病気により独りで生活する能力がなくなったため、生活保護も支給してもらった。で、こういう国に対して文句ばっかりいう批評家って、何か大規模な寄付や支援活動とかをしてるのやろかね? まあ、口だけなのは批評家も詩人も同じようなものやけどね。
この文章で「セクハラ問題」を挙げてるけどね、昨日今日とセクハラを起したとされて問題化したのは野党推薦(社会民主党・自由党・日本共産党)の米山隆一県知事と、財務官僚の福田淳一事務次官のことやね。前者は野党推薦、後者は官僚(公務員)です。「いまの政権与党(自民党)」とは関係ないねんけど、批評家のくせにこれをごっちゃにして批判してるんや。すごいなあ。そら、天下りの斡旋問題で前川前事務次官が辞任したとたんにええもんになるわけや。彼は出会い系バーで貧困調査をしていたという発言をしたあとで、「調査と言う言葉使いは適切ではなかった」って言ってるんやけどね。
http://ksl-live.com/blog9763
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一応書いておこう。上述した中に「セクハラを起したとされて問題化した」ものとして米山さんと福田さんの名を挙げたけど、どちらもまだ、違法性や倫理的な問題(というのも難しい話だが)があったと証明されたわけではない。米山さんに関しては、彼は独身なのでどこの誰と性行為をしても問題ないわけだが、それが売春だったかどうか(18歳未満だと倫理的にアウトか?)が問われることになるだろう。福田さんの方は、とりあえず、セクハラを受けたという側の女性が名乗りを上げるなり訴えるなりしなければ問題になりようがない話である。被害者のいないセクハラ問題などありえないのだから。
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「アベガー」の人たちって、ずいぶん前に書いたこれの意味も理解してないのかもしれんね。政治家というのは我々の投票により落とすことができる存在。官僚は公務員なので投票云々は関係ない。最近起こっている財務省の不祥事や、自衛隊の日報問題を起したのは官僚・公務員の側であって、選挙で当落させることのできる政治家の側ではないのよ。でも、官僚の起こした不祥事に対して首相や大臣が頭を下げんとならんねん。こういう不条理って、なんらかの組織で働いたら分かると思うねんけどね。
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https://t.co/XtSkHaD7Vn
●2018年4月20日
社会問題や政治についてのことを詩にするのは難しいなあ。どうしても説明的な主張文にならざるをえない。「欲しがりません勝つまでは」とかって、実は語呂のいい音の詩(標語)として見れるんだけど、そういうものの見方を、多くの人はしないからね。
産めよ殖せよ国のため
ぜいたくは敵だ!
進め一億 火の玉だ
保育園落ちた日本死ね!!!
アベ政治を許さない
片方は戦時中、食いものや資源がなくなっていたときに書かれた言葉。標語を書いた人が貧しいのかどうかは分からないが戦争に勝つために無茶な思想を国民に強いてるわけや。他方は、ひとりひとりが携帯電話を持ち歩き、今日明日食うものがないわけでもなく毎日飯が食えて安心安全であたたかな布団の中で眠れる時代に書かれた言葉。
●2018年5月22日
前衛から思考散歩
昨日のやり取りはちと過剰に反応してもうてるなあ、俺。まあ、角度の違いなんやろね。
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前衛とは:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説:コトバンクより
一般には,時代の最先端をいく革新的な芸術運動(アバンギャルド)をさすが,政治的には,革命におけるいわゆるプロレタリア前衛党をいう。
アバンギャルドとは:コトバンクより
軍隊用語の「前衛」を意味するフランス語で,革新的,前衛的な芸術,またはその立場をとる芸術家たちをいう。主としてシュルレアリスム,抽象主義,キュビスム,未来派,ダダなどの傾向をさしたが,今日では既成の芸術観念や形式を否定する先端的な芸術の一般的呼称となった。
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なわけやから、「3月11日」https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=287985&「行為」https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=309751&を政治的なメッセージのあるものと読み手が感じての「前衛詩人」というのなら、まあ、当てはまらん事もないのか。でも、今現在言われる「前衛」って、政治的なメッセージ云々があるからという意味を含んでいるんやろか? どっちかというと、「既成の芸術観念や形式を否定する先端的な芸術の一般的呼称」のほうやと私は思う。ほんで自作を改めて見てみると、実験的なものはあっても、先端的なものがあるのかどうなのか? まあ、これは自分で判断する・できるものではないねんけど、そないに型破りなことはしてないと思ってる。どっちかといえば、こっち
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古典的とは:コトバンクより抜粋
しかし広義には,時代の批判をくぐって,なおかつその価値が確認され,一つの模範として永遠性をもつと考えられる芸術品をも,価値判断上古典と呼ぶ。したがってギリシア,ローマの芸術のみならず,ほかの時代,ほかの民族の芸術品でも,その文化圏において同様に模範的,典型的な価値を認められた場合は,古典的と呼ばれる。そしてまた単に様式上の用語として古典的という場合は,ロマン主義的あるいはバロックに対する類型概念として解釈されることもある。その場合は,厳格なフォルム,左右相称 (シンメトリー) を基盤とする統一的で調和した構成,明晰な表現などが様式特徴としてあげられる。
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の特に、「厳格なフォルム,左右相称 (シンメトリー) を基盤とする統一的で調和した構成,明晰な表現」というのが自作に当てはまる特徴のように思う。「厳格」かどうかは分らんけどね。魚、時間切れ。
●2018年5月31日
政治的(?)なツイートをすると、コミュニケーションブレークダウンな人がいっぱいいることがよく分かる。
●2019年4月20日
大阪都構想の住民投票は反対なのに、基地建設が決定した後の沖縄の住民投票は「無視するとはなにごとだ!」とかね。政治家の二枚舌を笑えないようなことを平気でやったりもする。
●2019年5月17日
社長の資格
小説家の資格
編集長の資格
政治家の資格
批評家の資格
コメンテーターの資格
野次馬の資格
詩人は詩書く
●2019年6月14日
うーん・・・なんなんやろね、政治的な話であっても、自分の思想信条とかならいいんだけど、権力者側にはどんな差別的な扱い(コラや発言の切り取り)をしても平気なくせに、ジェンダー差別がどうたらこうたらとか普段のツイートでは言ってる感覚って、私にはよく分からないなあ。
石村@ishimuratoshi58
ポリコレの反作用で「容認される暴力」への欲求が強まっているように感じます。「権力」という抽象的「悪」には何をしても言っても咎められないという意識。クラスで「こいつはいじめていい」という合意が形成されるとよってたかって叩くという構図と変わらんですね。抑圧された根深い悪意と暴力衝動。
https://x.com/ishimuratoshi58/status/1139423144291135488
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政府への批判しかしない人たちって、実際に仕事をしてる政治家の姿を想像する力がないのでしょうね。ある政策に対しての賛否ならいいんだけど、その否の部分を、政権を象徴する人物に押しつけて、平気で差別的なことをする。自分の配偶者や父母がそういうことをされたらどう思うのかは考えない。で、考えないまでならまだいいんだけど、そういう差別的なことを平気でしている人がジェンダーフリーを訴えたり、女性差別や障碍者差別について何か言ってるのを見ると、ものすごく不自然に見えますね。
●2019年6月14日
この国がおかしくなってるんなら他所に行けばいいやん。この国をどうにかしたいのなら、自ら政治家になるか、最低限の行為として、選挙に行ってこの国をよくしてくれそうな案を持ってる人が誰なのかを自ら調べて、その人に投票すればいい。
●2019年9月19日
うん、やっぱり、もんく言うだけで自分は何もしない政治的な批判ツイートを読んでいらつくより、凄い作品を書いたり描いたり作ったり造ったり撮ったり録ったりする人のツイートを追うほうが楽しいし有意義やね。
●2019年12月23日
宮尾節子MYO@sechanco
②概ね難解な現代詩については喩(メタファー)が許されますが。「明日戦争がはじまる」でもそうでしたが。どうも私のような普通に読めてしまう詩にはそれが許されないようです。特に詩人からのそれが残念です。「事実性に打たれて」鳴るしかないからだが詩人のからだです。鳴る=喩、しかないのです。
https://x.com/sechanco/status/1208926047074275329
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これと似たこととして、メッセージ性の強い詩はなぜか、そのメッセージへの賛否しか意見(批評を含む)されないことが多いと思う。あと、「詩に政治性やメッセージを持ち込むべきじゃない」とかって意見も疑問だ。「自作には政治性やメッセージを入れたくない」というのなら分かるのだけどね。
●2020年1月26日
宮尾節子MYO@sechanco
〇〇党の、◯◯が何になっても
こんな広告を新聞に出す、人をわたしは選べません。
https://t.co/p52aQfJQ0q
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これ(画像2)は、「アベ政治を許さない」というプラカードを掲げていた人が言っても説得力0です。
●2020年2月27日
あかんなあ、政治のこともやけど、もうこういうのは言わんようにしようと思ってるんやけど、見る必要のない役立たずな情報をよーさん見てしまうとストレスが溜まるようだ。もっとTwitterの使い方を考えんとあかんか。
●2020年3月26日
コロナなあ、みんな(って誰やねん)、誰かが何かを分ってるとか思いすぎてんのとちゃうやろか。ペストやスペイン風邪という疫病は過去にあったとはいえ、現代人は誰もそれを経験してないわけやん。ほんなら、医者も政治家も金持ちも貧乏人も、等しくコロナという未知の疫病の経験をしてるということやろ。未知のことに接しているときには、「こうしたら正解」という模範解答はないわけやから、それぞれの地域で起こった出来事を見比べながら、「これを真似しよう」「あれは真似しないでおこう」と、少しずつ進んでいくしかない。ほんで、未知の騒ぎであるにも関わらず、これを政権批判に使ったり、かと思えば、現金を配れだの、商品券はダメだのとかほざいて、なんか、恥ずかしくならへんのやろか? 私は、自粛するための給付金なり、商品券なりが配られたら、もちろんありがたく頂くよ。でも、自分はたくさんの税金を納めているわけじゃないことを自覚してるから、「ありがたく」という気持ちは忘れないようにしてる。これは、与える側の政治家や役人がどうだから云々は関係ない。
●2020年4月25日
ここ(画像3)は、いま起きているコロナ禍への比喩として読めるなあ。「政治家」を「神」に置き換えると嫌な顔する人もいそうだけど、そういう「民」が批判している「お上(政治家)」は、なんでもできるとか思っていそうやからね。
●2020年6月8日
足立康史 前衆議院議員@adachiyasushi
·2020年6月7日
給付が遅いと文句言いながら、明日にも国会提出する緊急時給付迅速化法案=マイナンバー法改正案にも猛反対の共産党。じゃあ、どうすればいいか言ってみな。
https://t.co/64VKWlvda6
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政治的なツイートへの反応は、もういいかと思うようになってきたけど、これは自戒を込めて書いておこう。
マイナンバー制度についての情報で、プライバシーの侵害たら情報管理がどうたらという否定的意見を目にしていた私は、紙の簡易カードから正規のカードへの変更をしていなかった。けれど、コロナ騒動を見れば分かるとおり、利便性や速さを求めるのであれば個人情報をカード化していたほうが各個人への保険対処が容易にできたわけだ。カード化申請をしないくせに、役所のやることは遅いと、もんくだけは言うことの馬鹿らしさ。投票に行かないくせに、もんくだけは言うのに似ている。ちなみに、私はついこのあいだカード化の申請をパソコンからしたのだけど、顔写真を用意すればいいだけの簡単な作業でできた。利便性を求めているくせに、その情報を集めている側が何か悪いことをするかもしれないと、相手を信頼せずにもんくだけ言う。国や政府のやることにもんくを言うのはいいんだけど、彼らがちゃんとしたことをしていたとき、もんくを言ってた側はどうすべきなのか? みずからを正すのは難しいけどね。でも、ならもんくを言う資格が自分にはあるのか? というのを考えるようになった。
●2020年11月10日
そりゃ増えるだろうよ
三浦春馬が自殺して
竹内結子が自殺して
それをなんだか美談にして
「日本死ね」を選んだ俵万智は非難されず
「アベ政治を許さない」金子兜太も非難されず
国や政治家ばかりを悪者扱いして
弱者は死んでも誰かのせいなのだから
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先月の自殺者 去年より40%増加 女性が大幅増 コロナの影響も #nhk_news
https://t.co/6946sgp7q9
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ほんで、安倍さんは総理を辞め、過去には橋下さんも政治家を辞めたわけだけど、「独裁政治」と叫んでいた共産党のトップは辞めないのかね? で、自民のトップが変わったら変わったで、変わった人を「独裁者」と言うつもりなんやろか?
●2021年1月21日
文句しかいわん。なんやろね、国や権力側の政治家に文句さえ言えば、「私は世の中をよくすることを考えている詩人です」って表明してるつもりなんやろか。
●2021年3月27日
過敏になっているのやろか、あるいは花瓶に。
私がいまフォローしている人の3分の2くらいは詩や文章を書く人(グループA)で、残りの3分の1くらいは写真を撮ったり芸術作品を作る人たち(グループB)だ。ほんで、この二つのグループのツイートを見ていると、Bの方の人たちは政治的なツイートをほとんどせず、日々、自分の興味のある物事・作品を紹介している。他方Aのグループには何故か、作品紹介はほどほどで、今日のニュースで挙がってきた世の中の出来事を取り上げることの多い人がいる。しかも取り上げる内容はその出来事への批判だ。Bのグループの人たちも、なんらかの政治・社会批判をすることはたまにあるんだけど、その内容は自分たちのやっている事に関係する事柄であることがほとんどだ(例えば昆虫写真を撮る人が、山を削っての大規模なソーラー発電に反対する)。Aグループの批判はそうではなく、自分からかけ離れた物事への批判や反対がほとんどだ。マスクなどいらないと批判したあなたは、10万円をより貧困にあえぐ人たちのために寄付したか?
自分の手元でできること。
自分が関与していること。
間接的になんらかの繋がりや影響のあること。
10万人中の一票であること(選挙の投票など)。
近いところからやっていく。
遠いところに届かせたいなら力がいる。
うーぬ、
あちょー!
●2021年4月5日
私がフォローを外すのは、ツイートをほとんどしなくなった人と、私としては見たくないツイート(特に安易な政治批判)をよくするようになった人なんだけど、べつにその人が嫌いになったとかってわけじゃないんだけど、こういうのも、伝わらないのだろうと思うようになった。ちなみに、私はいままで誰のこともブロックしたことはない。逆に、なんだか分からない人にブロックされてて笑ったことはある。私としては、「この人、今日はめちゃくちゃたくさんツイートするからめんどくさい」とフォローを外した次の日に、「今日は普通にもどったようだ」とフォローし直しても全然平気なんだけど、そういう使い方は珍しいのやろね。ああ、あと、自分で「フォローを外してください」とかって発言した人は外すようにしてる。そのへんはめちゃ素直に。
●2021年7月9日
オリンピックについて過去自分と話す、から思考散歩
あれまあ、オリンピックの開催は予想できたけど、まさかの(ほとんどの会場は)無観客なのは予想できなかった。なんやろね、衆愚政治になってるようなこの厭な感じは。ユーロ2020や大リーグを見れば分かるように、ワクチン接種が進んでいればある程度の観客は受け入れている。オリンピックも同様に、人数制限を設けて開催すればいいと私は思っていたのだけれど、そう思わない人たちが想像以上に多いのだろう。絶対的に抑え込めるモノじゃないものと相対するときにどうするのかということ。ゼロかイチかしか考えず、モンクしか言わない人たちの声を聞くべきか聞かざるべきかということ。東京に住んでるわけでもなく、オリンピック選手と接触する可能性もない者たちが反対を叫んでいる不思議。まあ、私自身も会場に行くわけじゃないのだから、安心安全なテレビの向こうで、史上初となる無観客での試合を楽しむことに考え方を変えるほうが得なんやろね。
なにも考えずに普通にできていたことができなくなるということ。さらに、やろうと思えばやれることがやれなくなるということ。この平和で豊かな国に住んでいるお前のやれないことってなんだ? 観客が入らず、人々に見向きもされなくなったら、その競技はどういう道をたどるのか。それを見ても盛りあがって騒いではいけない物事に、人々は興味を示すのだろうか?
●2021年9月11日
政治から思考散歩
私は自民党員じゃないので総裁に誰がなろうがそれに従うまでだが、日本初の女性首相の可能性がある高市早苗氏を応援しようっていうような流れはネット詩人の流れの中にはほとんど見受けられないのは不思議だ。男だから、女だから、男女云々じゃないという意見は置いといて、とりあえず、未だ一度もなったことのない女性首相の誕生を「応援」あるいは「支持」しないものなんやろか。結局、自分の好き嫌いでしか判断せず、さらにいえば、嫌っている側(自民党)の首相の選挙は自分には関係がない、とか思ってそうだね。
自分たちが住んでいる場所で行われる選挙での投票について、誰も入れたくなる人がいないから白票という馬鹿者は減って欲しく思う。選びたくなる人がいない、けれども、どちらがましかを自分で判断して投票する。誰か、どちらかを選択すること。嫌いな人しかいないからやらないのじゃなくて、嫌いな人しかいないけれども、どちらが自分にとって納得のいく候補者なのかを判断するということ。そのためにはもちろん、その人の発言・行動を見る必要がある。
ネトウヨ/パヨクは思想信条の違いというより、自分の好むグループ 対 自分達の思うようにやってくれないグループって感じを受ける。そこに思想や信条というのがあるようには見えない。だから、どちらも説得力のないぺらっぺらの発言ばかり。詩人はどうなんやろね。政治に対して、「ああ、こういうものの見方をするのかあ。徹底しているなあ」と感じるようなコメント・作品をネット上で見たことはない。新聞やワイドショーから拾ってきた切り抜き情報のみで判断し、その判断も、自分の好き嫌いが根本にあって、先に色がついている。
説得力と詩かあ、詩に説得力は必要ではないけど、深みのある言葉だったり箴言だったりは説得力がいるよなあ。ほんで詩の内容ではなくて、その人物がどういう発言と行動をしているのかも、説得力を得るためには必要ではある。私自身は、言のほうはけっこう説得力のあることを言ってると思うけど、動のほうはほとんどない。ポエトリーリーディングをすること=動ってわけじゃないけど、もうちょっと、いろんな場所に挑戦していこうか。
●2021年11月19日
普段は「人の命は〜」とか「政治家の不正が〜」とかいってる詩人のこの反応のにぶさはなんなのやろね。
●2021年12月1日
政治の話や政治家の話から詩を書くのはわりと簡単だ。特に強い主張や反発を込めれば言葉はでてきやすい。対して、商売の話や利益追求の話から詩を書くのは難しい。まあ、自分の中にそれに関する引き出しがないってこともあるのやろうけどね。ばんめし。
●2022年2月9日
仲俣暁生【『ポスト・ムラカミの日本文学』発売中】@solar1964
文学者の文学以外(とくに政治的な)での振る舞いにガッカリさせられることは多いけどそれは仕方ない(なぜなら政治とは利益の調整なので必ずしも一致しない)。でもそのガッカリをリカバーしてくれるのもまた彼ら、彼女らの作品だったりする(人間理解が根本にあるから)。学問も同じだと信じたい。
https://t.co/UsQaMDWudi
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政治観(?)もだけど倫理・道徳観についても同様に、作品と作者とを自分は切り離して見ているかどうか。瀬戸内寂聴と石原慎太郎は、そういうのが顕著に判る人物と作品なのかもね。
#鏡として自分を見るということ
●2022年4月11日
タブーから思考散歩
探れば探るだけ嫌な気持ちになるニュースだけど、なんやろなあ、いまの日本でのタブーということを考えてしまうなあ。政治家への批判って、後ろ盾や証拠がなくても勝手に批判仕放題なんよね。森友問題がそうやったように、批判する側はそれが間違っていたとしてもなんらかの罰を受けたりしない。だから言いっぱなしでいいわけや。対して、そういう政府批判をしていた映画監督が、その地位特権を利用して女性に性行為を強要したということがニュースになったものの、
▼
それが事実なのか、どうなのか、ということをすぐに発表しないということ。やってないのならすぐに発表し、反論するだろう(←無実の証明を被疑者自らがしなければならないというのは私は反対だけど、「アベガー!」って騒いでた人たちはそれを求めたわけやからね)。ほんで、ネットによくあるイニシャルトークに似て、はっきりとモノを言わん現象が起きる。
▼
吉高由里子「そんな件で名前を聞きたくなかった」 デビュー作の監督務めた園子温氏に怒りか(スポニチアネックス)#Yahooニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/369e61f04e01a8b0a2cff9751ec792afc245c77a(注:記事は現在読めない)
噂でしかしらない場合ももちろんあるのだろうけど、自分たちのすぐそばにある物の問題に対しては、なぜがハギレが悪くなる。
▼
大島新監督、かつて園子温監督に約1年間密着…「過去の行いと真摯に向き合って」|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト
https://news.tv-asahi.co.jp/news_geinou/articles/hot_20220409_050.html(注:記事は現在読めない)
それこそがタブーとちゃうんかい!
自分の身の回りには直接関係しもしない政府批判はじゃんじゃん声高にする。けれど、自分の活動に支障をきたすかもしれない問題に対しては口をつぐむ。自由にものはいえる時代なんだけど、都合の悪いことは言わないということ。その人物がやったことの善悪・良し悪しではなくて、誰がやったかによって態度を変えるということ(画像4・5)。
https://x.com/kohimon/status/1513490180350435331
その後の情報がなかなか出てこないものの、この問題に関する意見を書いてみて、自分が何を嫌い、何についてはあまり気にしていないのかがよく理解できた。でも、そのことを説明しても、他人にはあまり理解されないかもなあと思った。
●2022年7月15日
宗教にはまり込んで多額の献金をした人
ホストにはまり込んで多額の貢物をした人
はまり込んだ人を救わなきゃと騒ぐだけの人
はまり込ませた側を罰しなきゃと騒ぐだけの人
はまり込ませた側に政治家が接触したことがあったと騒ぐ人
なのでこれは政治家のせいだと騒ぐ人
●2022年7月19日
宗教から思考散歩
若者から中年になって政治観は変わったけど、一番変わったの宗教観だと思う。両親ともにこれという宗教を信仰していない家庭に育った私は若い頃、自分は無宗教な人間だと思っていた。でも実際は違う。誰かの通夜・葬儀に行くときは黒服を着て数珠を持っていき死者に手を合わす。曽祖父や両祖母の家には仏壇があり、訪れたときは線香を立ててりんを鳴らす。で、父が亡くなれば坊主を読んで戒名をつけてもらい、寺にある墓に骨壷をおさめる。そのさいには坊主にお布施という金を渡す。これらのことをしておいて「自分は無宗教だ」というのはおかしな話だろう。さらに、初詣に出向き神社に賽銭を投げ、みくじを引き、七五三や厄払いを神主さんにしてもらい、そのさいには金を渡す。これらのことをしておいて「自分は無宗教だ」というのはおかしな話だろう。「でも、キリスト教やイスラム教のような特定の宗教をもっているわけじゃないじゃん」言いたいことは分かるけど、これも今は違うと思うようになった。いまの自分は、神社仏閣の慣習を受け入れる教に属しているといえる。そして、多くの日本人もこれに属している。「自分は無宗教家だと思っている」という思想信条のことではなく、無宗教家であることを現実社会の中で通すことはかなり難しい。しかし、自分は無宗教家だと言うのであれば、それを通さないと本当の無宗教家だとは言えないし、他者にそうは見られない。
いま話題になっている統一教会について、私は何かを判断することはできない。多額の寄付を「した」のか「させた」のか? 多額の寄付をさせたことが悪なのであれば、神社仏閣で多額のお布施を「渡す/貰う」行為はどうなるのか? 「宗教法人に対しても、企業と同じように税金を課すべきだ」という意見はありだけど、それをしたから寄付という行為がなくなるわけではあるまい。ちなみに、宗教法人も商売をすれば税はかかっている。
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https://all-senmonka.jp/guide/96360/
個として立つことの難しさ。オウム真理教のように信徒を使いテロを起こすようなことをしたわけでもないのに、「〇〇教はこんな悪いこと(信者から多額の寄付を受けること)をしているのだから取り締まるべきだ」という社会になったとき、信教の自由はなくなる。信教の自由がなくなれば、次は多くの人に影響を与えてきた新聞記事やテレビ放送の自由もなくなるだろう。「良し」の側はともかく、「悪し」と誰かに判断された側は取り締まられるようになる。中国と日本のインターネット情報の差。長期政権を維持した首相の悪口を散々書いてもなんら罰せられたり口を封じられたりしない国に住んでいることのありがたさ。それが分からないなんでも反体制詩人の幼稚さ。自分がいけてなかったことを母のせい宗教のせいにして注目を集めるために首相を殺したずる賢い愚者。あと、私は安倍信者(この言葉は嫌いだが)でも自民党支持者でもないのだけど、自国の首相経験者が応援演説中に殺さるという出来事に対しては、ものすごい怒りと恐れを感じたのだけど、他の詩人さんはどうなんやろね? 警備側は批判されてあたりまえだが、とはいえ、SPに守られている人物がああも簡単に殺されてしまうということ。ということは、SPに守られていない著名人・有名人はもっと簡単に殺される危険性のある国になってしまったということになる。それも個人的な恨みを晴らすための手段として著名人が狙われるということ。当人が恨みを買ったわけではない(恨まれたから殺されていいというわけではもちろんないが)のに、ターゲットにされたということ。この卑怯さ・ずるさに怒らず、なぜか安倍批判をしてたりする不思議。矛先はそちら向きじゃないだろうと思うんだけどね。まあ、他人は他人、でもなんでそんな詩人が愛とか平和とか平等を平気で書けるのかは理解できない。
●2022年8月2日
「大喪」という言葉を私は知らなかったので、「たいも」でも「たいそう」でも、「ああ、そう読むのね」と思うだけの話でしかないのだけど、
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三浦瑠麗『ワイドナショー』で「大喪の礼」読み間違いに「本当に政治学者?」と疑問噴出(女性自身)#Yahooニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/fac5932e263c9fa25a77e51656c33fc2f37d7b4e(注:記事は現在読めない)
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いま読んでる本に、読み間違った生徒を嘲笑する生徒と、それを一言で黙らせる教師の話があり、シンクロしたのがおもしろい。帰ったら抜き出してみよう。
ほんで、感じの世見魔違いで笑うのって、いくつくらいまでの現象なのやろね。甥姪が中高生のころに、英語の読み方を笑われた記憶がある。確か「TOEIC」を「トエック」と、読み方を知らない私が適当に言ったことを二人に笑われた。でも、「トーイックね」と教えられて、「トーイックと読むのか」と私が普通に答えると嘲笑は止まったことを覚えている。ほかにも、「場末」を「ばまつ」と読んだら「ばすえ」と母に訂正されたことも覚えている。母は別に笑ったりはしないが、間違っていることは指摘してくれる。読み間違いというのは誤字脱字と同じような単純なミスでしかない。また、読み方の覚え違いをしていた単語であれば、多少の嘲笑はされたとしても、間違いを正してもらえたほうがいい話でしかない。
「そんなのも読めないのか」
そんなのも読めないのだ。
あなたはどうだ?
喪主(もしゅ)や喪服(もふく)はすぐに思いついたけど、「喪」を「そう」と読む単語はすぐに思いつかなかった。ほんで調べると「喪家」というのがあり、これは「そうけ」と私は読む漢字だけど、「もけ」「そうか(=葬家)」と呼ぶ地域もあるようだ。
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https://t.co/E0Csy75M1p
●2022年9月2日
国葬については、やろうがやるまいがどちらでも構わないと私は思っている。けれど、過剰に反対している人たちを見ると、この人達は安倍さんが「殺された」ということの意味を考えてないのだろうなと思うようになった。寿命・病死・事故死とは違う。自国のトップ(だった)の政治家が殺されたということ。そして、自分の嫌いな政治家は人だと思ってないのだろうなとも感じるようになった。いつものごとく、他人は他人だが。おお、飯を食わなくては。
●2022年9月4日
ゴルバチョフさんが亡くなったことと安倍さんが殺されたことは比較対称になるなあ。
ウィキペディアによると、ゴルバチョフさんの意には反していたそうだけど、ゴルバチョフ政権時代にソ連は解体された。言論・報道の自由やペレストロイカを謳った人物でもあったので、日本では人気の高い政治家だろう。しかし、ソビエトに住んでいた人たちにとっては、自国を解体されてロシアになるという混乱を招いた人物であり、ゴルバチョフ時代に撤退を決めたとはいえ、アフガニスタンへの軍事介入により他国の兵士・住民を殺し、自国兵士も1万を超える死者を出した政治家といえる。
▼
ミハイル・ゴルバチョフ:ウィキペディアより
退任後は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の資金援助によりゴルバチョフ財団(ゴルバチョフ友好平和財団を設立し活動した。
統一教会とも強いつながりがあったようだ。敗戦後の日本は、誰が首相になったとしても自国の兵士に戦死者をださず、他国の兵士・住民も殺していない。安倍政権時ももちろん、戦死者や他国民を殺していない。で、第二次安倍内閣以降は株価を上げ、新卒就職率も上げ、コロナを乗り切るためにマスクと十万円を配り、その政策のために国が解体されるようなことにもなっていない。なのに自分の人生がうまくいかなくなっただけの愚者に殺された(67歳)。ゴルバチョフさんは91歳で寿命がつきるという大往生だった。私が生きてきた時代の日本では、自分の人生がうまくいっていないことと、政治がどうこうだからということはまったく関係しない。これだけ平和でなにをするにも自由のある国に住んでいるのだから、成功するかどうかは自分の実力ややり方の問題であって、政治・政策・政治家に問題があるからではない。また、成功しなかったからといって他人や世の中のせいにしたところでどうにもならない。世の中を変えたいのであれば自分が政治家になればいい(あるいは支持できる政治家を見つけて応援・協力すればいい)。物事を決める側に自分がなったとき、そこにどんな困難があるのかを想像してみること。これといって何も問題が起こらず、いつものとおり平和に暮らしているという状況は、誰も何もしてないから続いているわけではない。
●2022年11月2日
あれまあ、与党や維新の批判をしていた水道橋博士が議員になり、政治をする側にいったら人はどうなるのかを見たかったんだけど、スタートすらできずかあ。
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れいわ・水道橋博士参院議員が休職意向、うつ病を公表 議員辞職申し出も山本代表「今判断は良くない」
http://a.msn.com/01/ja-jp/AA13Bu9a?ocid=st(注:記事は現在読めない)
うーん、このタイミングでそうなるのかあ。なんか、考えてしまうなあ。因果応報とか、他者への批判とか。
そうだ、私も反省しないといけないことがあったのだった。野田さんの言葉(画像6)に同じく、第一次安倍内閣が短命に終わったときに、私も「お腹が痛くて辞めるって、小学生か」と、その病気が仮病であるかのような評価をしていた。当時は政権批判するメディアの情報を鵜呑みにしてたわけだ。
●2023年4月21日
取り上げなくちゃいけないわけではないけど、政治家の失言にはすぐに反応して非難している詩人が、物書き・大学教授がとんでもないことを言って騒ぎになっても取り上げないのはなんでなんやろ? 他人に期待はしないけど、かなり残念な状況だなあ。セクハラの件もそうだったよなあ。広河隆一や渡部直己のことは取り上げない。でも、たとえば元首相の森さんのしたちょっとした失言には噛みついて非難する。そういうものの見方に疑問を持たない人が詩を書いている。まあ、書くのは誰でも自由だけど。世の中が悪い、それは政治家が悪いからだ、だから非難するし攻撃する。私は何も悪くない弱者だ、働いても豊かにならない、それは政治家が悪いからだ。でも投票したくなる候補者がいないから選挙にはいかない。ほんなら政治家になったらえーやん。でも三百万を用意できず、仮にできたところで立候補なんかせんやろ。でも非難はする。毎日飯を食いながら、布団の中で眠りながら、世の中は悪くなっているとスマホを見ながら。
「なんやえらそうなことほざいてるけど、お前はどうやねん?」
「俺もパッとせん人生を送ってきたから言ってるねん。でも、俺の人生がパッとせんかったことを他人や国のせいとは思ってない。成功できてないのは自分のせいでしかない」
ぱっとする人生
ぴっとする人生
ぷっとする人生
ぺっとする人生
ぽっとする人生
ぱっとする
ぴっといんする
ぷっとばすぞ
ぺっとをかう
ぽっといてくれ人生
●2023年4月30日
関係しているように見えて
実は遠いところにある
仲間集めて批判して
身近なものには目を向けない
関心ある物事のはずなのに
厄介なことになりそうだと
騒ぎを脇目に見ぬふりして
頭の中で反論する
前者は政治
後者はセクハラ
詩人は何を取り上げるのか
●2023年5月12日
にしても…… まあ、これが現実ってやつやけど、世の中の問題や政治家への非難や差別がどうのこうのと普段は言ってる詩人たちが、自分たちの身の回り(自分の近くという意味ではなく、関連しているという意味)で起きたセクハラ事件には沈黙しているのってなんなのやろね。根本的に興味がないのなら関係ないけど、興味があって、ほかの人たち(たとえば芸能人とか)が起こしたセクハラ問題には大騒ぎしたり集っていくのに、ほんまに言わなあかん近場の出来事となると口を閉ざす。それでなんで世直しができるねん。世直しするつもりなんかありませんというのはもちろんアリやけどね、なら普段問題提起してるのはなんでやねん? 自分には一切火の粉が降りかからないであろう問題には口を出すし、なんなら悪しざまに攻撃するけど、ほんまに言わんならん近場には言わん。そのくせ、ほかの人たちが見て見ぬふりをすることは攻撃する。逆やろ。近場の問題であればあるほど、それで関係がまずくなったとしてもちゃんと言う。遠くにあることを批判してもええけど、それは遠くのおはなしであって、いちいち取り上げる必要なんてないねん。これは人づきあいでもそうなんよね。見ず知らずの人や、ツイッターでちょいとやり取りした相手なんかに丁寧に接する必要はない。これはわざわざ喧嘩腰になったり邪険にあつかうという意味ではなくて、遠い相手にはどう思われてもええという意味で。千だの万だのいいねがついてるツイートをリツイートしたりいいねしたりもそうなんよね。一件もいいねがついてないけど、このツイートは素敵!・いいツイートだ・納得する意見だ、とか自分が思ったのならいいねを押すべきやろう。マイノリティ(少数派)を気取ってるくせに、同じマイノリティで頑張ってるものにいいねを押したり、なんらかの働きかけはせず、でもマイノリティの自分の意見は聞いてほしいし作品も見てほしいそして評価してほしいって、なんじゃそりゃ。
●2023年6月13日
まあ、政治についてはあんまり言わんようにしよう。知らんもんは知らんしね。いまやってることに不満がないならそれでよし。マイナンバーカードをもらってポイントで得して、ほかのことも一本化したら便利になるのに、なんも損してない人たちがごちゃごちゃ文句言ってるのは私には不思議だ。
●2023年6月13日
赤池たつや れいわ新選組勝手連@A_tatsuyaakaike
2023年6月12日
暴力とは、殴る蹴るの行為をいいます。そういう観点から、山本太郎氏は、暴力なぞ振るっていないのは明確です。それを暴力とこじ付けることこそモラルハラスメント「暴力」です!
https://t.co/5tM5roTMAW
▼
あれまあ、政治のことはええかって思ってたらいらんものが目に入る。これまたすごい恥知らずなコメントやなあ。ほんでこの人は音楽家なんや。なら、楽器演奏中にボディープレスされてもええんやろかね。ほんで、れいわ暴力団に改名したらええのに。
これはどっちに転ぶのやろか。なんかちょっといやな感じはするなあ。
▼
れいわ山本太郎代表、懲罰見送りは「暴力ではないからやれなかったのでは」反省の言葉も否定(日刊スポーツ)#Yahooニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/2badca615f627b558d9b1c8c9338eb163d75c963?source=sns&dv=pc&mid=art08t1&date=20230622&ctg=dom&bt=tw_up(注:記事は現在読めない)
山本太郎のしたことは暴力行為でありアウトだ。でも、それを不問にしたということ。これって、相手にされていないというだけじゃなくて、騒ぎを起こしてくれた方が自民党的には得するってことがあるねん。あきらかにおかしな行為をした人(少数勢力)がいるけど、それを罰したりしない余裕を与党の側が示したということになる。これを見てもれいわを支持する人らは、何があろうが何を言おうが自民党支持者に変わったりはしない。でもそれはめちゃくちゃ少数でしかないから、与党としては怖くないねん。王様が一切の発言の自由を認める道化をそばに置いてるのの現代版というのやろか。
ほんまに怖い人というのはこういう人のことを言う。自らやってきたことやから、他の人にも言えるし説得力もある。
▼
松井一郎@gogoichiro
全国の納税者の皆さん、貴方の街の国会議員に「貴方は何故領収書公開しないの?って」選挙の時に問いましょう。
https://x.com/gogoichiro/status/1671086975036841985
なにを見ようがれいわを支持する人に同じく、何を見せようが維新・橋下・松井が嫌いな人は、彼らのやってることや言ってることを見ようとしない。でもそういう「見ようとしない人の意見」って怖くないねん。詩人界隈には多いけどね。
●2023年6月17日
あと、権力側がすることにはとにかく文句を言うのがかっこいいとか思ってるのやろね。しょーもない。ほんで、お前の人生がぱっとせんのは世の中のせいでも政治のせいでも政治家のせいでもない。ぱっと成功といえる人生を送ってないのは私もやけど、それをなにかのせいにしたりはしない。ほんで、のほほんと今日も走って風呂ってビール飲んでうまいなあっつって寝る。楽し楽し。
●2023年8月10日
天乃絵留〈天 乃ゑる〉@ama_noel
雄蕊をクリンクリンさせて虫たちを誘い
きな臭い大気をクリンクリ〜ンと洗うのです
戦争を知らない子供達も
戦争をしない78年で老域に入りました
https://t.co/Mjli0yoJ6j
▼
そうなんよね。平和な状態の国で生まれて死ぬことのすばらしさ。それでも政治家にモンクばかり言う人のいやらしさ。自分で喜びを見つけられる世の中に住んでいるということ。
天乃絵留〈天 乃ゑる〉@ama_noel
あと22年経ったら 終戦からの年月を越せますか
複眼的な光景の隅で戦車のキャタピラーが轟き
焦点でに見え隠れする政治家のポケットが
またもや膨らむのです
現象が歪んでいるのではなく
もしくはわたくしの投影方に誤りがあるのでしょう
五十万画素から
二千万画素になっても
真実はピンボケなのです
https://x.com/ama_noel/status/1689579875643060224
▼
うらやましいのならなろうとしてみればいいとしか今の自分には言えない。
われわれは、自分が政治家になることのできる国に住んでいる。
やっている人のことをちゃんと見ようとすること。
誰かや何かに批判されている雰囲気に左右されないこと。
ピントは自分で合わせること。
●2023年11月13日
なんでもかんでも他人や団体、政府や国のせいにするポストしかしない人は避けるようになったけど、パレスチナの戦争で、日本の国や政府を非難するポストがちらつくようになってうるさい。あれは何がしたいのやろね? とにもかくにも自国の政府・政治家への非難に結び付ける思想。アメリカの空爆のように、外交手段の一つとして武力の攻撃(良し悪しには触れない)という手段を持たない日本に何ができるのか?
言葉の暴力、映像で見せられる暴力と、実際に撃たれる、殺されることの違い。なんやろなあ、やっぱりむなしくなるだけやなあ、戦争反対やけどなあ、なにもできないなあ、
●2023年11月23日
シモーヌ・ヴェイユって詩人じゃなかったっけ? と調べると違う人だった。記事についての感想は「そういうこと(故人の銘板の破壊)はしないほうがいい」かな。
▼
仏政治家シモーヌ・ベイユ氏の銘板破壊 アウシュビッツ生存者(AFP=時事)#Yahooニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/5866c0b2f343cd1b8712d404c26a6fb826df3f03?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20231123&ctg=wor&bt=tw_up(注:記事は現在読めない)
そういや「醤油」は「せうゆ」から「しょうゆ」になったけど、「べ」や「バ」は「ヴェ」や「ヴァ」と表記を変えることがあるね。私自身、バン・モリソンをヴァン・モリソンと書くようになった。
自ポストを検索したらシモーヌ・ヴェイユの言葉を沢山抜いていたので繋げてリポストしておく。
▼
義務の観念は権利の観念に先立つ。権利の観念は義務の観念に従属し、これに依拠する。ひとつの権利はそれじたいとして有効なのではなく、もっぱらこれに呼応する義務によってのみ有効となる。権利に実効性があるかいなかは、権利を有する当人ではなく、その人間になんらかの義務を負うことを認める他の人びとが決める。しかるに義務は承認と同時に有効となる。
だれにも承認されない権利などなにほどのものでもない。
人間は一方で権利を有し、他方で義務を有するというのは意味をなさない。権利や義務といった語は観点の相違を示すにすぎない。このふたつの語の関係は客体と主体の関係である。個としてみた人間にはもっぱら義務しかない。
諸権利は、つねに一定の条件とむすびついて現れる。ひとり義務のみが無条件たりうる。義務はあらゆる条件をこえた領域に位置する。この世をこえたところにあるからである。
義務は個々の人間しか拘束しない。集団としての集団にたいする義務は存在しない。しかし集団を構成し、集団に奉仕し、集団を指揮し、集団を代表する個人にたいする義務は存在する。
義務の対象【オブジェ】となるのは、人間的な事象においてはつねに個としての人間である。あらゆる人間にたいして義務が存在する。人間であるというただその事実ゆえに。そこに他の条件はいっさい介入しない。たとえその人自身がいっさいの義務を認めないにしても。
この義務はいかなる現実の状況にも依拠しない。法解釈にも、慣習にも、社会構造にも、力関係にも、過去からひきついだものにも、歴史の想定された方向性にもいっさい依拠しない。
この義務はいかなる協定にも依拠しない。協定であれば、当事者の意向しだいで修正が可能である。一方、義務にかんしては、当事者の意向にいかなる変化が生じようと、いささかの修正も加えられることはない。
この義務は永遠である。人間の永遠なる運命に呼応するからだ。ひとり人間のみが永遠の運命を有する。人間の集団はこれを有さない。よって、人間の集団にたいする直接かつ永遠の義務は存在しない。個としての人間にたいする義務のみが永遠である。
この義務に根拠はないが、普遍的な同意が得られている事実によって立証できる。また、今日に伝えられた複数の古文書においても表明されている。利害や情念に妨げられていない個々の全事例において、この義務は万人に認知されている。この認知の度合によって進歩の度合がはかれる。
この義務は個々の例により程度こそ違え、いずれも混乱し不完全なかたちであるにせよ、実定法なるものによって表明されている。これらの実定法はこの義務と齟齬をきたす度合にしたがい、またその度合に精確に比例して非合法の謗りをうけてよい。
この永遠なる義務は、人間の永遠なる運命に呼応しているとはいえ、人間の永遠なる運命を対象とするものではない。人間の永遠なる運命はいかなる義務の対象にもなりえない。外的な行動に左右されるものではないからだ。
人間が永遠なる運命を有するという事実は、ただひとつの義務だけを要請する。すなわち敬意という義務を。この敬意が虚構ではなく現実において具体的に表明されてはじめて、義務はまっとうされる。さらに人間の地上的な欲求という媒体によらずして、この敬意が表明されることはない。
自分に救う手立てがあるときに、だれかを飢えの苦しみのうちに放置しない。これが人間にたいする永遠なる義務のひとつである。
(シモーヌ・ヴェイユ/冨原眞弓訳『根をもつこと(上)』岩波文庫)
●2024年1月5日
寄付する援助する支援する手伝いにいく
それぞれやる人は黙ってやっているのだが
震災や戦争にかこつけて
国や政治家や誰かや何かを腐す人たちもいる
いまそれを書いて何かの力になるのか?
ではこの詩は?
と
無意味な回し車が回る
●2024年7月10日(画像7)
政治的活動じゃない詩人が街を綺麗にし、
政治的主張ばかりしている詩人は知らんぷり。
見てごらん
簡単に貼れるシールは簡単には剥がれず、
固まった観念もまた、簡単には剥がれない。
●2024年8月17日
あれまあ、自分が言われるのは差別や攻撃で、政治家を腐すのは正義って考えなんやろね。島田雅彦やこういう人たちって、なんで反省でけへんねやろ。
▼
https://t.co/rnhwy1kC3t
●2024年7月18日
政治的なことに反応して詩を書くとどうしても攻撃的になるよなあ。ほんで「阿呆・馬鹿・愚か者」とかって厭な言葉を使わないといけなくなる。こういう風刺詩は大昔から書かれているものだけど、書いてて心すさむものではある。
●2018年11月21日
『阿呆船 下』より抜粋 セバスチャン・ブラント
ほんとのことを言わぬよう、
無理に強いられ、おどかされ、
理性も途中で振り捨てて、
心変わりをする阿呆。
痴呆の道を進み行く。
愛のこもったいましめは、
すぐには理解されないが、
かならずいつかは感謝され、
かえって厳しいいましめが、
聞いて嬉しいお世辞より、
ありがたがられる時が来る。
◆
古くなろうがなるまいが、
阿呆がどんなに叫ぼうが、
真理の価値は変わらない。
真理はどこでも尊ばれ、
阿呆の笑いはあざ笑い。
◆
他人の善事の邪魔をして、
自分は被害を受けまいと、
虫のいいこと考えて、
他人も自分と同じよう、
阿呆の仲間と、笑うのは、
骨の髄まで阿呆者。
善い行いを憎悪する、
こいつぁ阿呆のすることだ。
間抜けは間抜けを見たがらぬ。
しかしほんとの抜け作は、
ほかの阿呆をみつけると、
こおどりしてうれしがり、
それゆえ、自分だけでなく、
誰もが阿呆になるように、
頭をひねって考える。
あかりが消えて、油無く、
魂も消えよとするときに、
はじめて油をさがすとは、
これも同じく阿呆者。
◆
正しい道と思いつつ、
真実に生きるその道に
迷っているのが実情だ。
正しい道を見つけたら、
迷わぬ者に幸あれよ。
気のむくままの生活を
希望するのと同様に、
徳にあふれた生活も
望んでみてはどうだろう。
阿呆の道の数々を
何とか避けていけたなら。
しかしどこへ行くべきか、
それさえ考えることもせず、
夜はねぼけている故に、
正しい道には気がつかず、
どこへ向かっているかとも、
自分でさえもわからない。
それ故、日頃計画を
たててはいつも後悔し、
やっとできればできただけ、
またぞろ欲が湧いてくる。
それはひとりわれわれが、
この世の宝を確実に
手に入れたいとの生来の
欲から生まれでるものだ。
そうはいかずに、われわれが
闇夜に迷っているゆえに、
神は明るく照らすため、
知恵の光を付与された。
それを正しく手に取れば、
闇夜も終わり、さらにまた
愚かな道と英知とを
区別することもできるだろう。
◆
溺れる阿呆は数知れぬ。
知恵の岸に急ぐべし、
充分行く先心得て、
手に手に櫂を取るがよい。
助かる阿呆もいるにはいるが、
賢者はかならず陸に着く。
他人の指図を受けずとも、
英知の価値を心得て、
なさざるべきか、なすべきか、
それを知るのが最善だ。
他人の意見を傾聴し、
道理英知を学ぶがよい。
◆
わたしが阿呆を集めたことを、
多くの人は喜んで、
何とか阿呆からぬけようと、
わたしの助言をとり入れる。
しかし、ほんとのこと言われ、
機嫌の悪い者もいて、
そのくせはっきり言えもせず、
ひとの顔をにらみつけ、
猫に鈴つけ、その鈴が、
自分の耳になりひびく。
ブラシをかけても瘡馬【かさうま】は
なかなかしずかにしていない。
犬の仲間に骨投げりゃ、
あたった奴だけほえたてる。
阿呆はわたしを中傷し、
わたしが阿呆を非難して、
あらを探してみせるのは、
さしでがましいと言うだろう、
それは充分わかってる。
よい話だとよくしゃべり、
痛いことには渋い顔。
阿呆詩集がいやならば、
かってに放っておくがよい。
賢くなろうとする気がなく、
頭巾をぬぎたくないならば、
買ってほしいと頼みゃせぬ。
頭巾をぬがせてやろうとし、
いくらひいても取れやせぬ。
わからぬ者は、この本を
買って読むのが必要だ。
わかったものは、誰でもが、
それが好きになるはずだ。
真理に逆らい、それでいて
賢くなろうとする阿呆。
◆
最後に食事が済んだなら、
「ご馳走様」のひとことを
神に向って感謝せよ。
これをおろそかにする者は、
決して賢者と言えはせぬ。
阿呆頭巾をかぶったら、
さぞかし似合うことだろう。
(ブラント/尾崎盛景訳『阿呆船 下』現代思潮社)
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年月日は私がX(Twitter)でつぶやいた日ですが、つぶやいた文章の手直しはしています。
コメント
これはたしかに叙事詩ですね!
なかなかに読み応えがありました
不快な表現について言及しているところとか
私もどちらかというと、そういう系のものを描いているので
ちょっとグサッとくるものがありました
あと、時系列を追って描かれているので
あの年はどうだったな、とか
個人的なことではあんなことがあったな、とか
色々と思いめぐらせながら読んでいました
橋下さんのことにしても、安倍さんのことにしても
しっかりとした持論をお持ちで
問題の矛盾についても、鋭く突いているという印象でした
また、詩を描くということについても
ご自身、一切の甘えを許していないというか
興味本位で自分は悪気なく描いたものが
どこかの誰かを不快にしたり傷つけたり
することがあるのだということを
ちゃんと意識したうえで執筆されているのだな、と
(まあ、そういう意識は、もの描きなら誰でも持ち合わせていたいものですが)
そんなことを感じました
@雨音陽炎
そうです! 個別に見たら私の感想文や意見もたくさんあるのですが、一つのテーマ「政治」で括れるものを時系列で並べると叙事詩として読めるようになることに面白味を覚えています。
たくさんのコメントをありがとう!