さようなら お元気で
あの人へ
さようなら
お元気で
と思うんだ
ある意味、
終りが無い方が絶望だ
終りがある方が希望だ
この肉体は
人生に一度限りのもので
どんな人生を送ろうとも
最後にはこの世から解放される
だから
この私の命がある限りは
一日一日に出来ることをしながら
生活をしていきたい そして
そこここに ほほ笑みがあれば すてき
銀河の岸で
魂釣りをする
あの人の亡霊が
あーあってあくびをしていて
そこここで星々が輝いている
そのうちの一つの星が
あっ
て小さく鳴いた
いろいろとあるけれど
私は元気です。
私が死んだらまた会いましょう
あなたとその時は私もいっしょに
魂釣りをしましょう
おれはいまも おまえをみまもってるよ
コメント
> 終りが無い方が絶望だ
> 終りがある方が希望だ
ってのは時々想像してみたりしています。
「永遠の」と気軽に言ってみたりしますが、永遠の恐ろしさっていうのはよく考えればわかりますね。
永遠の命があったらそれこそ恐ろしくて生きていられません(笑
5億年ボタンという恐ろしい動画がありますが、たった5億年ですらあの有様ですから永遠なんてとんでもありません。
楽しいことが続いて欲しいのはやまやまですが、辛いことは終わりがあるから希望もありますよね。
@たかぼ さん ありがとうございます♪
まさに、たかぼさんが 言ってくれた通り そのままですね、ある意味。
うん、永遠について考えることがありますね、時々。その時思うのは、永遠の命についてですよね。
この私の肉体は、せいぜい100年前後持ちますね。もし、永遠にこの肉体があるとしたら、恐ろしい。
でも、今の今、ふと思ったんですが、『みんなが』永遠の命を持っていたら、それはそれで いいのかも、かもしれませんね。
でも、私は永遠の命 なんか 要らないな。この肉体には死んでほしい。
でも、その一方で、魂は永遠なのだと、思うんですよね。これは、ですね、ここでは言えませんが、私は、ふしぎな経験を色々としてまして、そのおかげで 魂は永遠だろう、と思うようになりました。
まあ、あんまり言うと、違う意味で 怖いことになるので、ここではあんまり言いませんが。
まあ、これは、魂というものが あれば、の話ですけどね。まあ、私の場合は、魂みたいなものが ある、と信じていますけどね。ふふ。
ずっと前に、『人は死ぬから生きられる』(脳科学者の茂木健一郎さんと禅僧の南直哉(みなみ じきさい)さんの主に対談形式の共著)(新潮文庫)という本を買いまして、今までに何度か読みました。
その中の143ページ目で、南さんが「人は死ぬから生きられる」というふうに言っています。
たかぼさんなら、この言葉、分かると思います。
でも、永遠の命は、もしかしたら、夢ではなくなるのではないでしょうか?
外傷的な原因が無ければ特にそう思う(でも、いずれは、それも克服するかも?)。
遺伝子レベルの研究やIPS細胞などの研究などが進めばですね。
たかぼさんならば、その辺も詳しいのでは。
まあ、私は、出来れば、自然(病死、事故死、老衰)に死にたいです。ふふ。^^
あと、死があるから生(せい)が尊いとも言いますよね。
出来るだけ、生を楽しみたいです。楽しめなければ、味わいたい。苦しい時、悲しい時は、苦しみ、悲しんでね。その代わり、楽しい時などは、よろこびたいですね♪^^
たかぼさん。
たかぼさんにも、こうしてコメントなどをしてもらい、私は支えられている。ありがたいことです。
ここまで読んでくれて、ありがとうさま♪☆^^
@こしごえ
ああ魂ですね。いわゆる魂は私も永遠かもしれないと思います。その魂がどのようなものか、つまり個別のものか集合的なものかは諸説あると思いますが。哲学や宗教でなくともその辺は最近量子物理学からも興味深い思索がなされていますね。
@たかぼ さん 今さっき、「魂 量子物理学」で検索して、ほんの少しだけ、記事を読んでみました。難しいことは、私には分かりませんが、意識は11次元と関係しているとか など、おもしろくて おもしろそうな議論が盛んになされているようですね。魂とか心が、宗教などとは関係なく、物理的な世界で現実味を帯びてきている様子は、私個人的には、好ましいことです。
>哲学や宗教でなくともその辺は最近量子物理学からも興味深い思索がなされていますね。
たかぼさん、そのことを教えてくれて、ありがとうございます♪☆^^