投:2012年12月16日~2024年7月27日までの叙事詩

投:2012年12月16日~2024年7月27日までの叙事詩

投:2012年12月16日~2024年7月27日までの叙事詩

●2012年12月16日
投票なんか、コンビニに肉まんを買いに行くつもりで行ったらえーねん。誰に入れるか迷うんなら、貼ってるポスター見て、自分が一番良さそうと思う顔の人に入れたらえーねん。行動せんことに、やいのやいの理屈つけるな。
●2012年12月16日
よっしゃよっしゃ。ほんなら、投票に行ってきた女性陣にはキッスをしたろう。さあかかってこい!(画像1)
●2013年7月21日
全国の投票率が80%くらいになったら、めちゃくちゃ変わるねんで。良いか悪いかは知らんけど。
●2014年2月9日
東京都知事選挙かあ。東京在住の人は、選挙いきやあ、コンビニにコーヒー買いに行くようなつもりで。誰に入れるかなんて顔写真で決めてたらええねん。「俺の一票では何も変わらない」とかとちゃうねん。もし投票率が80%とかになったら、当選した人がふざけたことはできんようになるねん。
●2014年3月23日
まあ当然だろうけど橋下さんが勝ったんやね。それにしても、自分たちが勝ったら「国民の支持を得た」で、自分たちが負けたら「最低投票率ということが国民(市民)の声だと思う」って、政治家って楽な商売やなあ。ほんでNHK(国営放送)の癖に偏向しまくりやんけ。最低投票率を問題にするんやったら昨今の国政選挙での投票率がどれくらい低くなってるのかも問題にせんとあかんのとちゃうの? 橋下さんの好き嫌いは別にして、彼のやってることに注目したり批判したりしてる人たちはもっとそういうところを見たほうがいいよ。
●2014年7月2日
「思考」「思想」と「実践」との違いなんだろうなあ。仮に「日本型の議会制民主主義は間違ってる!」ということを丁寧に解説・主張して、それに同意してくれる人が10万人いたとしても、その人たちが代表者を立てて議員になり場を変化させようとするしか変化を起こしうる力はないわけやん。反対署名を集めて議員にプレッシャーをかけるのも手のひとつではある。けれど反対署名は何十万と集まったのに、選挙になっての投票率を見たら以前と変わらないのであれば、その署名は無視してもええという風に考えるようになる。変化を起こせる「力点」はどこにあるのか? 政治に関する問題のリツイート数にそんな力はない。
●2014年7月2日
いまいま選挙があるわけじゃないけど、選挙なんかコンビニにコーヒーを買いに行くような感じで行けばいい。誰に投票したらいいのか分からんのやったら、投票所にある顔写真で決めればいい。「そんなエーカゲンじゃ、あかんやろ」って、そんなんでええんよ。なんの考えもない投票っていうても一票になる。ほんで、なんも考えへんかった人が投票することにより、考えるようになる可能性が生まれる。識字率が100%になるようなこの国で、自分のした行為についてなにも考えないような人はおらんねん。毎度のこと投票に行く年寄りとちょいとどの党を応援しているのかを聞いてみたら、ちゃんとした考えをもって投票してたりする。「投票する」という「行為」を続けるうちに、なんやかんか考えるようにはなるねん少しは。「自分の一票なんかでは何も変わらん」って、そんなことは当たり前。だから投票しないということにはつながらない。ようは、めんどくさいだけやん。めんどくさいから行かないのはアリやけど、なら、めんどくさい世の中になったとしても、それはしゃーない。しゃーなくなりたくないのならどうすべきなのか? 倦怠はすぐにやってくるのだぞ!
●2014年12月14日
投票してきたけど、今回の選挙はどうすりゃいいんじゃ! という感じやなあ・・・
現実化するのは難しい空想話だけど、冬に選挙・投票に行くと、あの寒そうな体育館(現在の私の投票先)内で豚汁を振舞うとかしてたらいいのになあと思う。そしたら、「おお! 久しぶり!」とかって同級生と会ったりしそうに思う。
●2014年12月16日
Reading:衆院選投票率52.66%戦後最低更新 NHKニュース
http://t.co/Q4oJQgiuUw(注:記事は現在読めない)

自分の地域の投票率が見つからない。得票率ばっかりだ。まあ、いいか。
数字のトリックがあるので、そこは気をつけてもらうとして、52%を単純に100人で換算しなおす。私の地域は三人の候補者がいたので100人の投票者から投票する52人の票の取り合いをすると、26人の票を確約できれば選挙に勝つことになる。「それだと26対26になる可能性は?」。実情としてこれは無い。三人の立候補者の一人が26票持った場合、残りの二人が0対26になることは普通は起こりえないからだ。短絡的な比率換算は危険だが、選挙の実情から見れば、52%であれば、20数%の票を確約できれば勝つ可能性は高い。だから投票率が重要になる。前にも書いたが、投票率が上がったからといって、当選確率の高い立候補者を落せるわけではない。普通はそのまま数字がシフトするだけなので、投票率が変わろうが当選者が変わることに直結するわけではない。よって、なんらかの風(震災前の民主党大躍進)を吹かせる必要がある。でも風はそうそう生まれるわけではない。「じゃあ投票率を上げる意味はないじゃないか」。そうではない。投票率が上がることは、立候補者にとってプレッシャーになるからだ。52%の投票率が75%に跳ね上がれば、それだけ立候補者は必死にならなければいけなくなる。これは、選挙に勝つための方策もそうだし、当選後の政治の進め方のプレッシャーにもつながる。
今回は「選挙くらい行け」ツイートをし損ねたのでケツ付記。
●2015年4月12日
選挙に行ってきた。私の地域は今回も三人の候補者の争いのようだ。大阪は、他の地域に比べると都構想の話題があるので選挙に行く人は増えそうだが、はたしてどれくらいの投票率になるのやら。仮に40%の投票率であれば、21%の得票で議員は決まる。これだと民主主義の平和とやらは、投票行為を捨てるところにあるのかな。
●2015年5月16日
大阪府を都にする賛否の意見を聞く投票が明日行なわれる。けれどこれは大阪市に住むヒトたちによる住民投票(投票結果は政治に反映されなくてもいい)でしかない。私は大阪府に住んでいるが門真市民なので、この選挙は関係がない。部外者はそういうことを分かって賛成反対を言ってるんやろか?
●2015年7月15日
法案反対もデモも自由だけど、「強行採決」という言葉を使う意味が分からない。与党が法案を通せる議席数を持っているのは投票者による投票行為の結果であって、それを否定するのであれば民主主義から否定しないといけなくなる。祭りみたいなデモをしてうっぷんを晴らしたところで投票率が上がらないのならまったく意味などない。なんだろ? いまの与党(自民党)に誰が投票したと思ってるんだろ? 一票の格差問題があるのは知ってるけど、50%に満たない投票率しかないのに、なにに不平を言ってるのか? さらに「多数決は民主的なのか?」みたいな話まででてくる。なら君主制にすりゃいいのか? という話にはならず、でも、党首・首長をファシスト扱いはする。いまの日本は、すべての国民(次から18歳以上)に投票権が認められていて、不正を行われるような状況下にないのだから、党首も首長も選挙で落とすことができるわけだけど、なぜかそこには触れない。
自分の身のまわりの人たちに「投票行った?」という話をすることからはじめるべきではないのか。
●2015年7月17日
デモでもテモでも手゛毛でもすればいいんだけれど、
次の投票率が変わらないのなら、それはなんの力にもなっていないということだ。
祭りは暑く、祭りは楽しい。
けれど、地道に投票行為をし続ける。
なぜ投票行為を行うことに意味があるのかを考える。
そのことを学ぼうとしないままに、
祭りで暑く、祭りで楽しくなるな。
つぎの機会は祭りが終わった後にすぐにくるわけではない。
ひたすら淡々と、
物事の仕組みを考える知恵をつけなければならない。
●2015年8月31日
枚方市長に維新・伏見氏 橋下・松井氏の応援演説追い風?(産経新聞) – Yahoo!ニュース
http://t.co/1YsriOXKkv(注:記事は現在読めない)

東京のデモは関係ないかも知れないけど、この投票率見て何か思わないのだろうか? 市長選に行かずにデモに行ってたとかいう人がいたら笑えない話だ。ちなみに、橋下さんについては、私は期待している。大阪では共産党と自民党が、維新を倒すために手をくんだりしたからね。橋下さんを批判してる人たちって、そういうことを知ってるのかしら? あと、自分の市の市長の名前も。
●2015年9月14日
今後、
デモをしても法案廃棄になど至らず
「やっぱり権力には勝てなかったね」なんて
やれることはやった顔をして
その後投票には行かず
政治は変わらないものだと
あきらめムードを漂わせるような
そんな馬鹿者にはなりたくない。

お前の一票に何かを変える力などない。
意味があるのは、
投票する権利を使う自己を確立させることであり、
そのことを誰に言うでもなく行使するということ。
投票しないということは、
投票しない権利を行使するということではなく、
投票権を放棄するということ。
●2015年9月16日
国民投票については私の勉強不足やった。

・日本国憲法の改正手続に関する法律
https://t.co/UJUIAfPrSg
・総務省
http://t.co/B3ak9LvEsH
●2015年11月22日
大阪都構想のときの投票率が66.83%やから、70%を超えたらおもしろいんやけどなあ。
●2016年7月1日
コンビニにコーヒーを買いに行くようなつもりで
選挙の投票くらいしに行けばいい
そして白票はやめといたほうがいい
――どうして?
誰かに投票すると
その誰かがどうなったのかを知りたくなるから
#ShallWe選挙 #pw連詩組(710)
●2016年7月2日
「支持政党なし」とわざわざ投票用紙に書き込む人がいるという。
そこを狙ったかのような、「支持政党なし」党があるという。
投票用紙とは、自分の意見を書き込む用紙ではない。
これといって世の中に対して不満がないのなら与党に入れればいい。
少しでも不満があるのなら政策を比較してどこかの党を選べばいい。
選択するのは己であるが、
その選択肢をデタラメに増やすことが自由だなどということばは詭弁である。
この詩を書くために、
「しじせいとうなし」とタイプして変換したら
「支持政党な詩」ということばになった。
オチにはなるがこんなのは、
開票作業者を困らせるだけである。
#ShallWe選挙 #pw連詩組(710)
●2016年7月10日(画像2)
投票してきた。
党評してきた。
糖氷してきた。
闘豹してきた。
●2016年7月24日
市長選挙に行ってきた。どのくらいの投票率になるやら。
●2017年10月16日
なんで左寄りの人たちって「改憲発議」を嫌がるんだろうね。憲法を改正するためには、最終的には国民投票による国民の承認が必要だということを知らないのかしら? 民主主義の意味を分かってるのやろか? あと、共産党を支持してる人たちが安倍さんや橋下さんを「独裁者」呼ばわりしてるのも笑えるのよね。私が投票権を持って以降、共産党のトップ(委員長)は不破さんと志位さんの二人しかやってないのやけど、そのことを疑問に思わんのやろか? どっちが独裁なのかとか、考えないのやろか?

言葉の使い方に敏感なはずの詩人たちが、なぜか「自衛隊」という文言を憲法に明記することに反対するのも今の私には不思議に思えることだ。日本の自衛隊はちゃんとした軍事力を持っているにもかかわらず、なんとなく「軍隊ではありません」と言ってるほうが不誠実だし、それは虚偽じゃないのか? まあ、より踏み込んで責任ある行為を考えるより、親に反抗する子供のように「○○反対!」と言ってるほうが楽なんだろうけどね。なんにせよ、選挙の投票は行ったほうがいい。いつも言ってるけど、コンビニにコーヒーを買いに行くような気軽さで、誰に投票すればいいのかわからないのなら、投票所近くにある看板に貼られた顔写真を見て、ちょっとでもいいと思った人に入れればいい。

「投票を棄権する権利」とかって物言いをしてる人もいるみたいだけど、それは「投票できる権利」を「放棄」したのであって、なんらかの「権利」を「行使」するということじゃないのは理解しておくべきだ。なにもしなかった人の発言など認めない。厳しい世界になればなるほど、そのことは徹底される。白票を投じたり、たとえば投票用紙に自分の名前を書くなどの無効票を投じるのは、投票を棄権するわけではないし投票率には反映されるが、できればやめたほうがいい。白票も無効票も、投票者がなにかを主張したと受け取られることはなく、「白紙委任」という意見としてしかカウントされないからだ。どっちも支持できない人の二択であったとしても、どちらかに投票する。するとその結果、投じた人であってもなくても、当選者のやる活動を知ろうとする力がちょっとだけ働くようになる。選挙権を持つ人が10万人いる地域なら自分の一票は10万分の一の価値しかない。自分の投じる一票にはその価値しかないと考えるより、投票行為により自分が変化することを考えるほうが建設的である。
●2017年10月22日
小雨のうちに投票に行く。
コサメモーニングトウヒョウ。
●2017年10月22日
投票する
誰に入れたかは言わない
投票する
どの党に入れたかは言わない
投票する
父を車椅子に乗せて投票場まで行ったことを思い出す
母と三人で行ったのはあれが最初で最後だった
誰に入れたかは言わない
どの党に入れたかは言わない
政治についてのことを話していれば
誰に入れたのか、どの党に入れたのかはだいたい分かるけれど
それは誰も口にしない
訊かれれば答えるかもしれないけれど
自分からは話さない
ルールではない
ただなんとなく口にしない

投票する
誰に入れたかは言わない
投票する
どの党に入れたかは言わない
投票する
かつて付き合っていた彼女は創価学会信者で
選挙になると友達に電話していたことを思い出す
私とは政治の話なんてほとんどしたこともないのに
熱心にお願いの電話をかけていた
私もお願いされたけれど
入れると約束したことはない
入れた先を教えたこともない
当時の自分が投票した党は思い出せる
融通の利かない頭でっかちだった
最近の自分が投票した党は思い出せない
その時その時で変わることがあるのが自然となった
自分とは関係のないものを
選択することで見えるものもある
●2017年10月28日
【ライブブログ】第48回衆議院選挙 選挙戦のポイントや注目選挙区の行方(更新終了)
https://t.co/IVDkdGOYA2 #Yahoo(注:記事は現在読めない)

選挙結果から思考散歩
現在の私は選挙でどこが勝とうが負けようがそういうことはあまり気にならなくなった。自分の投票地域の候補は誰が当選したのか? 大阪の勢力図はどうなったのか? に興味はあるけど、どこが勝ったから負けたから一喜一憂することはなくなった。かつての社会党・民主党がグダグダになったことを見てきたからだろう、自分の応援する党が正しいとは考えないようになった。それよりも、自分が考えて投票することが大切だ。結果をざっくりとまとめておこう。
・自民党284議席(議席増減±0)
自民党の議席数は増減がないのだけど、今回の選挙は総議席数を10減らしてのものだったので、実質は+になったといえる。
・公明党29議席(-5)
公明党は創価学会という支持母体があるんだけど議席数を5も減らしたのは驚いた。まあ、自公で推薦者を調整したことが影響してるのだろう。とはいえ、与党として見れば全体の3分の2を獲得したので今回の選挙は与党の勝利といえる。
・希望の党50議席(-7)
・立憲民主党54議席(+39)
この二つの政党に対する+-はよくわからない。どちらも選挙前にはなかった政党だからだ。なのになぜ-7+39なのか? 在籍してた議員数を基にしてるんだろうけど、なんか納得がいかない。また、自らグダグダになり分かれた民進党の議席数は88だったので、元民進勢力の行き先が希望の党でも立憲民主党でも、どちらにしろ30議席以上減らした勘定になる。二つの党(と無所属組)を合わせれば100を超える数になるけれど、袂を分かつ者たちが再び合流するものなのか? まあ、そういう例は以前にもあったけどね。
・日本維新の会11議席(-3)
維新の会は-3議席。これといって売りもなかったし、橋下さんがいないのはやはり痛手か。国政はちょろっと参加する程度で、大阪でがんばってと思っている人は多そうだが、その大阪でもよい戦績をあげられなかったことは気になる。松井さんがいなくなったら党自体がなくなりそうな予感。
・共産党12議席(-9)
今回の選挙で惨敗と言えるのは共産党だろう。共産党を嫌っている人は別として、今回の選挙では、まず勝つだろうと言われていた与党(自公政権)一強になることは嫌だと感じる人たちの票は共産党に行くのかと思いきや、その多くが立憲民主党に流れた結果だろう。
選挙結果のまとめは以上。
次は投票率について。
●2017年10月28日
投票率、53.68%=戦後2番目の低水準に-総務省発表【17衆院選】:時事ドットコム
https://t.co/tAG7CVk3S3 @jijicom(注:記事は現在読めない)

二大政党制が第48回衆議院議員総選挙の投票率の実情をさぐる(不破雷蔵) – Y!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20171023-00077275/(注:記事は現在読めない)

投票率から思考散歩
現在の私は選挙結果よりも、投票率の変化や年代別の動きのほうが気になるようになった。
二大政党制が定着しそうにない日本では、与党が変わる時には大きな風(高い投票率)が吹く必要がある。今回は低い投票率なので、現行与党に不満のない人が多いのだろう。それにしても、53%というのはなさけないね。どこに入れようが誰に入れようが、投票率は高いほうがよい世の中になるというのが私の持論だ。投票率の高さは議員へのプレッシャーになる。観客の多い会場でしゃべるのと、まばらにしか客のいない会場でしゃべるのとの違い。前にも書いたけど、「投票を棄権する権利」のような物言いをしている人もいたけど、そういう人は決める側に回ったことのない馬鹿者なのだろう。

例えば、高校のクラス内(30人)で文化祭の出し物を決めるとして、「演劇」と「屋台」という二つの案がでて投票で決めることにする。そして票を開けてみると「演劇」10票、「屋台」5票、「白票・無効票」15票というふざけた結果になったとする。この時、「クラスの半数が演劇にも屋台にも入れなかったのだから、もう一度案を出すところからやり直すべきだ」とか言い出す奴がいたとするとどうなるだろう? 私なら完全に無視して出し物は「演劇」に決定するけど、「それは民主主義ではないじゃないか!」とか言う馬鹿は一定数いるだろう。こういう相手には「なら立候補(この例の場合だと出し物の案を出す)しろ」というだけだ。そして、この立候補(案を出す)という行為は採決する前に行わなければならない。「物事を決める」という行為をするときには順序・ルールが必要になる。「案を出してください」というときに「案を出す・出せる」のであって、投票や採決を行うときに「遅れたけど、この案を出します」なんてことをしていたら物事はいつまでたっても決まらない。これは、少数のグループ内で行うことでも同じである。三人で一緒に昼飯を食べようとするときに、一人は「ラーメン」一人は「カレー」もう一人は「なんでもいい」では物事は決まらない。「なんでもいい」という意見(?)はそいつの勝手だが、じゃあラーメンにするかカレーにするか、どちらかに票を入れることはしないといつまでたっても昼飯は食えなくなる。
物事を決める側に立ったときのことを想像してみること。投票しようがしまいが自由である民主主義社会において投票行為というのは、そういう意識を生じさせる一歩でもある。
●2018年12月29日
蛾兆ボルカ@loveGame7cc
大阪都構想が、東京からの遷都と無関係であったことに衝撃を受けて2日目の私だが、それでは大阪都構想とは何なのかというと、大阪市を解体しその仕事は6個の区に権限移譲するという構想。
維新だの都だのという勇ましいことの絡む余地は皆無、しがらみどうこうも無関係な自治体の技術論でした。
https://x.com/loveGame7cc/status/1078861697408847872(全9ツイート)

本当に勉強不足ですね。投票で決めるのではありません。投票で住民の意志決定をしたのちに、実行するための手続きをするんですけどね。この手順のどこに問題があるのか? たんに維新が嫌いなら、嫌いとおっしゃってくださいね。

詩の批評の場所にもよくいたんだけど、自分が嫌いな人の作品に対して、とにかく嫌いだから批判しているくせに、本人はそう思っていないというのはよく見てきたけど、政治の話もこれと一緒なのよね。自分が嫌いだというだけのことなのに、難癖をつけてそうじゃないような批判をする。こことか、いっさい読んでないんだろうね。

・橋下徹「僕は大阪の絶対権力・公務員労組とこう戦った」
http://president.jp/articles/-/20563
僕は大阪市営地下鉄を民営化することを公約に掲げたけど、地下鉄職員は公務員の身分がなくなるので猛反対。当然平松氏の応援をするんだけど、選挙前には、大阪市営地下鉄は頑張っているよ!! というテレビCMまで流した。(記事内引用)

ついでに、大阪では天下りは原則禁止にしてる。これをしたのは橋下さん。
まあ、自国の首相や大臣を「アベ」だとか「麻生」だとかって呼び捨てにしてることの自分の滑稽さがわかってらっしゃらないんでしょうね。そんなので支持なんかされるわけないじゃん。
●2016年10月21日
安倍さんにちょび髭つけてヒトラーをあてつけて「あべしね」って言ったり、橋下さんにも同じようなことをしてたのに、公言どおりきちんと辞職したことを評価することもなく、こんどは松井さんを攻撃しだしたりと、もはや左寄りの思想家になんの期待も持てないわ。私はかなり左寄りだったんだけどね。ちなみに、こと大阪に関しては、橋下さんが本気で改革をしようとしたとたんに自民党と共産党が手を組んで、選挙で維新を落そうとしたことを橋下否定派の人たちは知らんぷりしてたわけだ。あるいは知らないのか、見ぬふりをしてるのか。そういうことを、見てる人はちゃんと見てます。
●2018年12月29日
蛾兆ボルカ@loveGame7cc
そんなもの支持するもしないも、シュミレーションの結果次第であり、住民投票で決めるようなことではないと思う。むしろ多数決や感情論で決めるのは不適切だ。
と、言うのが、昨日までに私が書いたところでした。
https://x.com/loveGame7cc/status/1078862420146237441

まあ、これまたどうでもええけどね。意見はその人の自由やし。詩人でそういうのを言ってる人をみるとがっかりするだけ。ほんで、ここ↓はすごいね。住民投票をして勝てそうにないとなると、投票による民主主義まで否定し始める。

蛾兆ボルカ@loveGame7cc
選挙や多数決で、ロジカルな問題を決めようとするのは、多数の暴力というものだと思います。
他の自治体に悪い影響をしないといいな、と、懸念します。
https://x.com/loveGame7cc/status/1078273661461614593

こういうのは「多数の暴力というもの」だそうだ。すごいね。

ちなみに、大阪都構想の前回の投票結果は否決となり、その責任をとって橋下さんは市長を(任期満了後に)辞め、維新の党代表だった江田憲司氏は党代表を辞任した。ちゃんとリスクも負ってする住民投票をしたわけだ。これの何が問題なのか?
●2018年12月29日
ああ、ここはちと私の希望が入ってるのか。「勝てそうにない」のかどうかはやってみないと分からない。まあ、私の住む地域は住民投票の対象外地域やけどね。知らんし知ろうともせんのに、なんで批判ができるんやろね。まあ、自由はあるけどね。
●2016年6月16日
舛添都知事に関しては、「せこいなあ・・・」という印象しかないんだけど、東京に住んでもいない人がなんのかんのと文句を言っているのを見ると、橋下さんへの文句と同じような滑稽さを感じる。ああいう人たちって、自分の住んでる県知事やら市長やらが何をやってるのか、どういう実績があるのかを知ってるんやろか? 自分の住む町の市長の名前すら知らんとかやったら笑えない冗談なんやけどね。私は大阪府民だけど、大阪市民ではないから、橋下元大阪市長が市に対してどういう取り決めをしようが自分に関係しない。で、自分の町の市長が何をしているのか? を詳しくは知らないけど、選挙には行くし、当選した市長の名前くらいは知ってる。最近、私の住んでる地域の市長が亡くなったので、もうすぐ市長選があるだろうけど、それの投票にももちろん行く。でも、隣接した市の市長さんの名前なんかは知らない。橋下さんや舛添さんに文句を言ってる人らって、彼らについて何を知ってるんやろ?

ははは、間違いではないんだけど、「町の市長」って書くのは変なのかもしれない。でも、「私の住む町」という言い方はするけど、「私の住む市」って言い方はしないね普通。おもしろいものだ言葉とは。
●2019年4月7日(画像3)
今日は選挙やね。投票所の横の公園にある大きな桜の木が半分切られててショック。病気かなんかやろか。
●2019年4月8日
大阪は維新が勝ったんだけど、投票率は相変わらず低いね。21日に市議選があるんだけど、こっちは50%行かないやろなあ。

大阪ダブル選、投票率上昇 「四重選」一定の効果 – 毎日新聞
https://t.co/fBrS0BEAZv(注:記事は最初しか読めない)

21日の市議選というのは大阪市以外の市のこと。門真市の前回の市議選は41.95%なのよね。私は大阪と東京に住んだことがあるんだけど、どちらも徒歩5分もかからない範囲に投票所があった。それでもこの数字。対して、投票所に行くには車に乗る必要がある父母の田舎である愛媛県愛南町の投票率は68.75%もある。なんやろね、この差は。ほんで、詩の良し悪しではなく、こういう意見↓(内容)をいう馬鹿者達も実際におる。

「統一選挙」星野純平さん:#他人様の
http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=11155(このURLからはアクセス不可だが、文学極道内を探せば読める)

なんやかっこのええこというてるけど、こんなん、選挙に行くのがめんどくさいだけやろ? 「めんどくさいんで行きません」って言えばええのに。興味があろうがなかろうが、学校の文化祭でクラスの出し物を決めるときに、棄権や白票を投じる行為に意味はあるのか? 演劇と歌のどちらかを決めるための投票をしているのに、棄権や白票を投じる意味はあるのか? とかね。ちと考えれば分かるやん。投票に行かないという意志表示なんて、外の世界では通じへんねん。「ああ、お前は何も言わないってことやね」って言われておしまい。で、投票行為をしてないくせに「世の中がどうのこうの~」と文句を垂れてても、そんな言葉に説得力は生まれない。「自分の一票に意味なんてない」とかいう意見もね、そんなん当たり前やん。40人のクラスで学級委員を選ぶとき、あなたの一票は40分の1の価値しかない。そもそも、あなたの一票で政治や世の中が変わるのなら誰も立候補せんわなあ。投票行為で変わるのは世の中の方ではなくて、あなたの意識です。でも、ごくまれに、こういう事態も生じたりする。

4票差、6票差… 公明候補「常勝関西」で落選相次ぐ:朝日新聞デジタル
https://asahi.com/articles/ASM4805TYM47PTIL028.html #2019統一地方選挙(注:記事は現在読めない)
●2019年4月20日
大阪都構想の住民投票は反対なのに、基地建設が決定した後の沖縄の住民投票は「無視するとはなにごとだ!」とかね。政治家の二枚舌を笑えないようなことを平気でやったりもする。

蛾兆ボルカ@loveGame7cc
そのまま地方自治の在り方論の根本的なポイントについて説明してあり、私の結論も述べてあります。
あなたの批判では、なぜ同じ住民投票なのに、ということなのかもしれませんが、その2つは別の事例ですので、私が別の課題として論じることを「根拠がない」と批判するのは不当です。
https://x.com/loveGame7cc/status/1119454153476935680

「同じ」ではないですよ。むしろ全然違う。沖縄のは物事が決まったあとに実行力のない住民投票をして文句を言っているのに対して、大阪のは物事の方向を決めるために住民投票をして判断を仰ぐんですよ。順番通りなのは大阪で、沖縄のは順番的には間違ってます。根本的なポイントとか知らんがな。
●2019年4月21日
投票に行ってきた。まだ桜の花が残っていて驚いた。形態を持って行ってなかったから写真は撮れず。あちこちにいろんな花が咲いてるね。#さまざまな形態
●2019年4月22日
あれまあ、すごい数字だねえ。ということは、投票する人の方が少数派になってもうてるんやね。

統一地方選、投票率の最低相次ぐ 市長選は47.50%(共同通信) – Yahoo!ニュース
https://t.co/7xYEhND6ry @YahooNewsTopics(注:記事は現在読めない)

私のところは市議選やってんけど、投票率は40.77%やった。さらに、自分の投票所の投票率は33.27%やった。まあ、こんだけ多くの人が投票に行かんってことは、そんなに文句のない世の中ってことなんとちゃうやろか、というくらいしか思うことはない。で、おもしろかったのは投票数やね。市議選の投票数は今回初めて見たんやけど、通った人と落ちた人の差が58票しかなかった。落ちたのは四人で、一人だけ極端に少なかったけど、あとの二人は100票、残る一人も150票あれば通ってたかもしれないという差しかなかった。私の住む地域での100票程度であれば、同級生やその親御さんやらに片っ端から声をかければどうにかならない数ではないだろう。自分の一票の価値を見たい人は市議選での投票数と当落を見ればいいのかもしれない。
●2019年6月14日
この国がおかしくなってるんなら他所に行けばいいやん。この国をどうにかしたいのなら、自ら政治家になるか、最低限の行為として、選挙に行ってこの国をよくしてくれそうな案を持ってる人が誰なのかを自ら調べて、その人に投票すればいい。
●2019年7月16日
投票率を上げるための発言・行為はいいことだと思うけど、選挙結果で選ばれた政権が「独裁」なわけないやん。そういう決めつけや偏見を持ってると説得力がなくなるねん。私の世代くらいまでが持ってる反体制的思想の持ち主はそこが弱い。

まず投票するということについて、誰に入れたらいいのか分からないという人は投票所に張り出されてるポスターの顔で判断するようなテキトーなものでいいと私は思っている。まずはきっかけだからね。でも何かに対して「モノ申す」となる場合は説得力が必要になる。それなりに調べて知識を得ること。さらに「どうにかしたい」のであれば、候補者の応援団になるか、自ら出馬する。

今現在の私は、投票率が上がるようなことを言う以外のことに興味がなくなりつつある。
・自民党をやっつける為に投票に行こう
→じゃあ、自民党が勝ったらどうするの?
・世の中を変えるために投票に行こう
→じゃあ、変わらなかったらどうするの?
何を選択するかは個々人の自由であって、それは個々人に任せればいい。ただし、「参加はしときなさいよ」とだけは言う。五分で済むことを、なんのかんの理由つけてやらない奴は、なにもやらない奴にしかなれない。
●2019年7月21日
投票ってきた。今年は三度目だ。
投票所の横にある公園にひまわりが育ってて驚いた。子供時代にはなかったのだけど、誰かが植えたのやろか。背の低いやつだけ先に花をつけていた(画像4・5)。
●2019年7月23日
いまリツイートした群れは、良し悪しや賛否じゃなくて、選挙結果を経た人たちが選挙や投票について書いた感想と思われるものを端からリツイートしてみた。ちと日が経っちゃったけど、このときリツイートした文章のいくつかに感想や意見を書いてみよう。

ユカワアツコ@trill_yukawa
ツイッターというものがあるから、年下世代が選挙をどう思ってるか、投票率を上げていこう選挙に行こう!と皆が投稿することを「圧がすごい」「めんどくさい」と感じていることを知った。
https://x.com/trill_yukawa/status/1153133994445164550

これは、大人として意見すると、「圧がすごい」からいかないとか言ってる人は、何も言われなくても行動はしない奴だからどうにもならない、となる。でもまあ、若者がそういう意識を持ってしまうことの理解はできる。「めんどくさい」のほうに太刀打ちできる言葉があるかどうか私は知らない。並み居る悪魔たちの中でも「倦怠」はやっかいな奴だからね。

民主党が大躍進したときに、これで日本も二大政党を選べる国になるか、と私も思ったんだけど自滅しちゃったね。いまの私は、アメリカ式の二大政党制が日本人にとって良いのか悪いのか判断できなくなった。何かとあいまいな物言いを好む日本人にはあってないような気はする。

青木由弥子@yumiko_aoki
選挙の投票率の悪さ・・・
大きな変化を望まない、ということか。憲法改正も望まないという意思表示か・・・
長過ぎるスカートの裾をカット。端切れがもったいないので、ケーキ屋さんのリボンと合わせて、針金ハンガーをデコハンガーに。
庶民の暮らしを大切にすること。
https://x.com/yumiko_aoki/status/1153078760574353410

これはどうとでも取れるよね。憲法改正を唱えている自民党が勝ったのだから、そういう面では、国民は大きな変化を望んだと見ることもできるんだよね。

巖谷國士@papi188920
50%を割った哀れな投票率のわりに、最悪の結果を免れたので、ひとまず休心。ただ、ふだんから「政治の話」をしていれば、もっと投票率をあげられたはずだと考えてみよう。「愚民」を嘆く前に、どんどん政治の話をして、「次回」の投票率をあげること。それが選挙だろう。★
https://x.com/papi188920/status/1153092634501476352

私が自分の影響力により、ほとんど政治・選挙に興味のなかった人を投票させることができたと、はっきり分かる人数は1人だけだ。これは当時付き合っていた彼女で、「投票くらいしなよ」というわけじゃなく、一緒に投票所に行った。そのあとで彼女が「投票すると、選挙速報が気になるね」というようなことを言ったことをよく覚えている。

ミクシーやTwitter上で、「コンビニにコーヒーを買いに行くような感じで投票したらいい」という発言をもう何年もしているけど、それを見た何人かの人が投票行為をしたかもしれない。なんにしろ、選挙・投票に興味のない人に最も影響を与えることができるのは身近にいる親族・友人たちである。身近にいる人と政治の話をして、投票くらいは普通に行くような集団になれるかどうか。自分の影響力などその程度だろう。

吉村萬壱@yoshimuramanman
考えや願いや祈りが全くの違う色々な立場の人々が投票所に集まって来て投票し、何一つ混乱なくそれぞれの居場所に帰っていくという光景は、単純に或る休日の風景として美しいと思う。
https://x.com/yoshimuramanman/status/1152784194658955267

これは面白い物の見方だと思った。この国の選挙は、投票を強制されたり、暴力的な方法ではないということ。

豆塚エリ📕文学フリマ福岡F-25 10/27(日)@mamen325
詩人の皆さん、どう思いますか。これ、責任あるよ。投票率50%切ってる。世の多数派が思考停止だ。言葉を生業にしてるならここ変えていこう。言葉の力取り返していこうよ。みんな頭いいんだから、いい言葉紡ぐのだから、力発揮しませんか。私頑張るよ。
https://x.com/mamen325/status/1153147068275253249

頑張ってはいるんだけどね。でも、詩人の投票行為への呼びかけはイデオロギー(特に現政権批判)が入りすぎで、そのやり方ではダメだと、個人的には思うようになった。

さよなら@D_8823_drive
投票率50%を嘆いてる人多いけど、その層が今後選挙に行くようになったらどうなるんだろう?と考えると正直楽しい。
あの重鎮がまさかの落選!とか、番狂わせ!あの変人が国政に!?等々…夢が広がりんぐ。
「50%の余力」ってのは「全部引っくり返せる力」のこと。そんな重さの票を投じるのは面白かろ。
自分が次回から投票に行くことで「困る政治家」が出てくると思うと超面白くないですか?今回寝てた層が数%動くだけで落ちちゃうんですよ、あの人たち。
国政がいきなり変わる訳ないけど、「しくじったら落ちる」プレッシャーを与え続けられれば、為政者だって国民を蔑ろには出来ないし真面目にやるよ。
選挙権を行使するにあたり別に「推し政治家」がいる必要は無いんですよ。
ただ「嫌いな奴にはぜってー入れねーかんな!」と決めて投票に行くだけで、国はあなたに嫌われるわけにはいかなくなるんです。全てが狂うんです。困るんです。
困らせたい人、いませんか?俺はめっちゃいます。だから行きます。
https://x.com/D_8823_drive/status/1153242945450942464

若者的な天邪鬼さではあるんだけど、これも面白い考え方だと思う。それと、この「余力」というのを見て、ああ、5割の人が「いまのところ問題なしやから投票はええわ」っていう余裕をかませる世の中なのかもしれないなあ、と思った。

宮尾節子MYO@sechanco
#選挙結果 #よい一日を(画像6)
https://x.com/sechanco/status/1153069056926183424

ほんとにね。
自分自身を振り返って、若いころと支持政党が変っただけじゃなくて、根本的な政治の見方も変わったことにちょっと驚いている。こんな風になるのかあ、って。
●2020年7月5日
投票してきた。といっても東京都知事選じゃなくて、おらがまちの市長選だけど。毎度毎度言ってることやけど、選挙くらいは行っときやあ、五分で済む事なんやから、コンビニにビールを買いに行くような感じで、いや、朝からビールはいかんぞ、コーヒーの間違いなのじゃ。

今日の投票所には入口に消毒液があり、まず手の消毒をするようになっていた。ほんで、受けつけ係との間に透明ビニールがかけられていて、鉛筆は一人一本の使い捨て方式だった。
●2021年10月31日
走って風呂って朝飯食って投票してきた。小雨が降ってたけど、そのおかげで金木犀すぺしゃるなジョギングだった。10キロコースをきんきんもっくもくで走れた。我が家の金木犀(画像7)。
●2021年11月6日
あれまあって結果やなあ。
おらが市の投票率:49.75%
投票場別での私の地区:37.71%
対して、両親の田舎である愛媛県愛南町は59.16%でした。
●2022年4月17日
ああ、なんだろう、これって投票することに意味があるのかとか言ってる若者と共通している感じがする。自分の一票で大きく世の中が変わったりはしない。投票して変わるのは世の中じゃなくて自分自身のほうだ。その場に参加して、誰かに投票するという行為をするということ。
●2022年7月9日
なんにしても、投票ぐらいはいけ。
●2022年7月10日
投票してきた。セミがようやく鳴き始めていて、帰って庭木を見ると、5月に超剪定作業をした金木犀に抜け殻がひとつぶら下がっていた。幹ではなくて、葉にしがみついてるのが面白い(画像8)。
●2022年7月11日
選挙が終わったね。以前にも書いたように、現在の私は(支持する政党はあるが)どの政党が勝った負けたにはあまり興味がない。目を向けるようになったのは各地での投票率だ。
さて、選挙結果を見ての感想を書いていこう。
・自民党:安倍元首相の殺害事件が起きなくても、今回の参院選での自民党は盤石だろうと予想していた。事件が起きたことによる同情票はあっただろうけれど、事件があったから極端に票を増やしたわけではないだろう。
・公明党:自民に同じく、減らす要素はなかったものと思われる。自公連立政権ということを考えると計7議席の増加となる。
・立憲民主党:減らす要素しかないと予想していた通り−6議席という結果。あまり言うことはない。
・維新の会:ここ最近の選挙では維新がどれだけ勢力を伸ばすかは注目ポイントとしてあるが、京都での議席が取れなかったように、関西全域や全国区的にはまだまだ票を伸ばすことは難しいようだ。
・共産党:立憲民主に同じく、議席数を減らすだろうと予想していた。かつて大阪でやった自共共闘は共産党にとって大失敗だったのだろう。
・国民民主党:増えるかもしれないと予想していたのだが減らすとは思わなかった。自民憎しで立憲か国民に票を投じていた層は、べつの政党に投じたということか。
・れいわ新選組:かつては共産党に向かっていたであろう一部の若者層が投票する党となりつつあるように感じられる。
・社民党:なくならなかったね。
・NHK党:勝手な推測だが、自民は嫌だけど共産やれいわやも嫌だし…という層が投票する党なのかもしれない。
・参政党:党名以外はまったく知らなかった。これから新たな勢力になるだろうか。
感想は以上。
晩飯食ったあとに投票率のことを書いてみよう。
今回の投票率は52.05%だった。前回(2019年)の参院選の投票率は48.80%、2021年の衆院選は55.93%なので、やはり安倍元首相の殺害事件は投票率にさほど影響を与えなかったものと思われる。
都道府県別の投票率は以下の通り。記事がなくなるかもしれないのでスクショを貼っておく。

参議院選挙:投票率トップの県は60.74%、最下位は38.59%…前回選 : 読売新聞オンライン
https://yomiuri.co.jp/election/sangiin/20220708-OYT1T50167/
おらが市の投票率は48.68%、おらが地区は35.45%だった。対して、両親の田舎である愛媛県愛南町の投票率は63.29%だった。これもいつもとさほど変わらない投票率だ。おらが投票場所へは徒歩5分、愛南町は車で行く距離にあるという違いがあるにも関わらず、毎度これくらいの差がある。
●2023年4月9日
投票してきた。毎度のこと、選挙くらいいっときや。先週は朝夕は涼しくて、おかげで桜がまだ見れている。だから、花見ついでに投票にいくのだ(画像9)。
●2023年4月11日
今回の選挙の投票率も低いなあ・・・
大阪府知事選挙は46.98%、でも、おらが町のおらが地域の投票率はもっと低くて29.76%だった・・・
投票率が上がれば政治勢力図が変わるのか? と問われれば、おそらく変わらないと私は思っている。何らかの風が吹くような動きがなければ、投票率が上がっても勢力図が大きく変わることはないだろう。「変わらないのなら行く意味がないじゃないか」。投票行為をしてこなかった人物が投票して変わるのは世の中ではなくてその人自身なんだと私は思っている。社会に参加し、個人の権利を使用するということ。「変わる」といってもちょっとしたことでしかないが、そのちょっとをどう考えるか。
●2023年4月23日
今日も選挙やね。投票してきて駅前にいくと赤いバラが咲いていた。紫の花は名を知らず、葉がとんがってるのでハナショウブかな?(画像10・11)
私の子供のころにはなかったものだが、駅前には花壇があり、誰かが花の世話をしていていつもきれいだ。これを見ていると、ちょっとしたことで世の中が変わることを考える。

この通りに花壇がなく、街路樹しかなかった当時はゴミが必ず落ちていた。清掃員により清掃されると数日はきれいなんだけど、誰かがゴミを捨てるとまたゴミが増えていく。私が走りに行く河原手前の道ぞいはいまもこれと同じように、清掃→誰かがゴミを捨てる→ゴミが増えるを繰り返している。花壇が作られ、いつもきれいな状態にある駅前道路にはゴミを捨てられることがほとんどなくなった。河原沿いの道は人通りが少なく、位置的に人の死角になった場所だ。そうすると、なぜこんなゴミを捨てるのかと驚くような大きなゴミが捨てられていることがある(電化製品や車の部品など)。
チリも積もればゴミの山
なのか
日々の積み重ねがゴミをなくす
のか
以前にもゴミを拾って散歩する人のことを書いたことがある。私自身はまだそうはなれないが、自分の出したゴミはゴミ箱に捨てるし、ゴミ箱がなければ持って帰るようにしている。
●2019年8月27日
今晩、タピオカのちょっと残った容器が、車やバイクを侵入させないための、背の低い柱の上に置かれたままになっているのを見た。もうちょっと(50mもないくらい)行けばイオンがあるので、そこで捨てられるのに、なぜわざわざここに置き捨てていくのか? と私は思ったものの、煙草を吸っていた若者時代の自分がポイ捨てをしていたことを思い出して、年齢や経験による言と動のことを考えた。いまの私は「なぜこんなところに捨てていくのか?」と怒りつつも、その容器を拾ってゴミ箱に捨てに行ったりはしない。ビニール袋を持ったおばあさんが街路樹にあるゴミを拾いながら散歩しているのを見て、自分はああいう風になれるか? と考えたことがある。
見て嫌な気持ちになるだけの人
文句だけ言ってすっきりする人
文句を言いながら改善するための行いをする人
何も言わず善い行いだけする人
●2023年4月25日
おらが市の市議選の投票率は37.34%、おらが地域は28.21%だった。四割にもいかなくなったのか。みんな、自分の権利はいらず、文句もないということだろう。

まえにも書いたけど、選挙結果に対して、現在の私はどこが勝った/負けたかにはあまり興味がない。今現在支持している政党や人はあるけど、選挙権を持ってからいままでに投票した政党はその都度変わっているからだ。

昨今の反自民(反維新であることも多い)の人たちの起こす言動を見ていると、彼らはそれを見ている人たちに顰蹙を買うようなことをワザとしていて、自民党のサポートをしているのじゃないかと思うことがある。まあ、陰謀論は映画の世界だけで十分なので、そんなことはないのだろうけど、そう思ってしまうほど彼らの言動はひどいものが多い。それを分からずにやっているのだとしたら、そんな人たちに政治は任せたくないと(私と同じように)考える人が多くいることの想像ができないのだろう。なら「政治家に対して文句を言うな」ということかと問われれば、それは違う。しかし、その攻め方は効果がないだけではなくて、それを見ている外野の人たちの反感を生み出しているだけだ。
文句をいうべき問題点をいかに見出し、指摘するのか? 多くの有権者(投票に行く人たち)はちゃんと見ている。
●2023年12月2日
ああそうだ、この映画を観ていて、民主主義による投票の大切さ(女性の参政権)と代議制民主主義による突き詰めた話し合いによる決断ということを考えた。
教育者として村に残る男オーガストが銃を持っていた(自殺の示唆だろう)ことは、強くなくてはならない男の辛さを感じた。

●2023年11月23日
めちゃめちゃ面白かった。ネタバレしたからどうこうというタイプの内容ではないけど、気になった人は予告を見ないで映画へゴー。
J.J.エイブラムス絶賛!『ウーマン・トーキング 私たちの選択』日本版予告編【2023年6月2日公開】@YouTubeより

男たちに支配されている村から、女たちが出ていくか、残って戦うか、何もしないかを話し合いで決める物語。最初は作品世界がどういうものなのかが分かりづらいが、見ているうちにだんだんと状況は分かっていく。画としてのドラマはほとんどなく、女たちの会話で話は進む。この話し合いの内容がめちゃくちゃ面白かった。これは二度目を見て、気になる台詞を書き出す予定。

こういうタイプの映画は比喩ということを考えないとあまり楽しめないのだろうなと思った。スマホや電化製品はなく、馬や井戸水で生活している背景から、100年くらい前のアメリカのコロニーでの話か、創作世界・社会での話かと思っていたら、途中で、コロニーの人数を調べるための国勢調査をするトラックがモンキーズの曲をかけながら登場した(2010年度の調査)。なのでこれは2010年のアメリカのある特殊な村であることが分かるのだけど、とすると、果たしてこんな生活をする村があるのか? と考えてしまうだろう。実際に、特殊な道徳観を守るために小さな集団生活を作って暮らすグループはアメリカのみならず日本にもあるわけだが、こんなに極端な社会(村の女たちは文字を読めず、男たちは暴力で女を支配しレイプもするし、近親相姦まで起こる)が2010年のアメリカにあるのかどうかは知らないが、こういった生活を余儀なくされている女たちがいる社会というのは世界にまだまだある。現実社会に存在する・した団体を元にしているのかどうかは分からないが、そこで描かれる内容は世界に普遍的にある問題を扱っている、という感じだろうか。記録係としてゆいいつ男性が出てくるが、村の男たちは、村社会の背景を語る道具として以外は登場しないところも面白かった。
●2024年2月26日
反政府から思考散歩
なんのかんの理由をつけて選挙の投票をしない人たちには「選挙くらい行け、それで国や与党は変わらないけど、自分が変わるんだよ」という結論に私は達している。自ら選択すること。どこに投票するかや投票の権利だとか意義だとかはどうでもいい(権利を無くされるのは問題だけど)。五分で済む行為をしない人物に(国のためになる)何かができることはない。めんどくさいから投票しないというのはアリだが、ならだまって(国が取り決めたことに)従え、と思う。少し進んで、「でも政治家は腐っていて、自分たちが益することばかりしてるじゃないか」って、ほんとうにそうか? まず、自分たちというのはどの範囲まで及ぶ自分たちなのか。日本人という範囲での自分たちなのであれば、益することは良いことだろう。政治家とはそれを目指すものでもある。で、そこから線引きが生まれる。「政治家」「金持ち」「権力者」「有名人」は儲け放題だが、「貧者」「弱者」は損をしているという考え。でも、これまたほんとにそうか? 高額所得者になればなるほど税金の負担は増える。けれど、得をしたりはしない。シングルマザー(ファーザーもかな?)になれば医療費や育児に対する援助が国からもらえる。その金は高額納税者が払っているもので成り立っている。弱者はちゃんと救済されている。そういった体制が戦後70年以上つづいている。ところがロシアやイスラエルの戦争を見て、振り返って自国の政治家を非難したり、日本を戦争する国にしようとしていると感じる馬鹿者たちがいる。こういう人たちは、いまの平和な状況を誰が作ってくれたと思っているのだろう? この誰とは個人のことではないが、国を動かす船頭にあたる人たちはいる。その人たちが作ってきた環境が腐っていて餓死者がいて暴動があってお前は日々生き残れるかどうかに震えて耐え忍んでいるとでもいうのだろうか。

現状をよりよくしようとすることと、現状を作ってくれている人たちを信頼することとは反発しあったりしない。現状を作ってる人が、よりよくしようとする人の意見を聞いて、それを即実行することなんかは多々あるだろう。
信用できない
のか
信頼しない
のか
そもそも他者を信頼するつもりはあるのか
自分の好きな人だけ信用し信頼する
自分の好きな言葉だけ信用する
言葉は信用しないがこの人は信頼する
言葉は信用できるがこの人は信頼できない
●2024年7月7日
投票してきた。といっても東京都知事選挙じゃなくて、おらがまちの市長選だけど。
毎度書いてることだけど、投票ぐらいは軽い気持ちで行けばいい。それと、自分の一票で世の中が変わったりはしない。変わるのは投票行為をした自分自身であって、数万・数十万分の一票で世の中が変わるのなら、それは恐ろしい権力ということになる。
今回の都知事選挙に対するポスター問題や妨害活動はひどいものだった。履き違えた自由や権利の暴走をする愚者問題は、これからどうなるのやろ。
●2017年10月14日
ヤジに聴衆「選挙妨害するな!」そして拍手…「偏向報道」に抗議するプラカードも(産経新聞) – Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171014-00000504-san-pol (注:記事は現在読めない)

「おい、テレ朝 偏向報道は犯罪なんだよ!」っていうプラカードが上がったみたいだけど、「アベ政治を許さない」と同じく、そういうのを掲げるのはよくない。応援しない人を邪魔してどうしたいのか? 選挙で落とせばいいだけなのに、プラカードによる悪口合戦とかをしたいのやろか? それのどこが平和主義やねん。政策を見比べて、自分がいいと思った人に投票する。それ以外のことをする理由はなんやねん? 相手と戦いたいんやったら自分が立候補すればいいだけ。
●2024年7月7日
投票所の隣にある神社で七夕祭りをやっていた。短冊に書かれた願い事をいくつか拝見して、「かなうといいね」と思ったのがこれ(画像12)。
●2024年7月9日
選挙結果がでて、さて投票率を見てみると、おらが市長選の投票率は27.65%でがっくり。前回の29.72%をさらに下回り、過去最低の投票率だった。私の投票地区は23.70%、最低だった地区はなんと15.37%・・・
東京都知事選の投票率は60.62%で前回(55%)を上回ったものの、ポスター騒ぎ等、ネットニュースで悪目立ちをしていた割にはそんなに伸びなかったという印象だ。

東京都知事選挙で面白く感じたのは、東京都に住んでいない人が特定の候補者の応援をしたり、対抗馬を腐したりしていることだった。あれは何なのやろね? まあ、応援する自由はあるわけだけど、自分の住んでもいない地域の選挙に熱を上げて、自分の住む地域の投票に行かないとかいう愚者もいそうなのが怖い。得票数2・3位だった石丸伸二氏と蓮舫氏を腐すポストをちょくちょく見たことも不思議だった。どちらも落選したことには変わりないのに、石丸派は蓮舫氏をけなし、蓮舫派は石丸氏を腐しているように見受けられる。アイドルの人気投票じゃないんだから、当選者と落選者がいるだけなのにね。

誰を応援するかは自由だけどこの行為はダメ。

渋谷や新宿に「R」シール多数 小池氏側は蓮舫氏側が都知事選で貼ったとみて「剥がして」
https://sankei.com/article/20240708-EOFN3LQ2FRBBFICJ2LTTNJXFKE/ @Sankei_news
●2024年7月9日
ikoma / 胎動LABEL@ikoma_TAIDOU
https://x.com/ikoma_TAIDOU/status/1810406764632051843
投票する上での判断材料を提示したり、その人にとって正しい判断ができるよう手助けはすれど、人様の投票先をなじったり責めていい訳がない。
●2024年7月27日
中道かどうかというのは置いといて、普通に選挙に行く人たちって、その選挙が盛り上がろうが最低投票率だろうが、どちらも同じようにたんたんと投票するのよね。私の両親の田舎(愛媛)に住む親戚がそうだった。数年前、親戚の住む愛媛を訪れたとき、その地域の選挙・投票日だったことがある。親戚は私や母を車で送り迎えしながら途中で投票していく。で、親族が集まる中、「選挙いってきた」と報告しあう。訊けば答えてくれるかもしれないが、誰に投票したかは言わない。普通に「選挙に行ってきた」や「選挙行ったか?」という話はする。でも、誰を支持するのか、どの政党に入れるのかといったことは個人の判断に任せる。
普通に選挙に行き、それを続ける。なにか高尚な意識や、国を変えたいといったことなく普通にする。

妻咲邦香(小さな気持ち)@chiisanakimochi
なんてゆうか選挙がシステム的に問題ってわけではなくて、その前後の空気感、右、左、どっちかに収まってないと存在すら許されない、みたいなのが嫌で。結局全否定か全肯定かどちらかしかないというのがね、一部のヒステリーな反応によって強制的に人が振り分けられていくってのが、なんだかなあと。https://x.com/chiisanakimochi/status/1816981617182933274

そうですね。極端な右寄りでも左寄りでもないように見える人たちが、自分の逆側にいる(と感じる)人たちは敵と認定する。でもそういう人たちが平和や平等を口では唱えている。地道にこつこつ投票する人ほど、そういうことをいちいち唱えたりはせず、普通に投票はするものだよなあと感じています。
あと、誰に投票したかは言わなくていい。言いたい人は言ってもいいけど、自分が誰に投票したかを他人に知られることなくできるのが、現代の投票行為だ。


年月日は私がX(Twitter)でつぶやいた日ですが、つぶやいた文章の手直しはしています。

投稿者

大阪府

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