映画『告白』感想詩
湊かなえのベストセラー小説(未読)が原作であり、映画(2010年)もヒットしたので題名は知っていたが、私はこの作品の概要を全く知らず、あらすじも読まずに映画を観たので、初見時はめっちゃ驚かされた。
あらすじはウィキペディアに任せて、ここからはネタバレありの感想を書いていく。私と同じように知らなかった人は映画へGo。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%8A%E7%99%BD_(2010%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
初見時、森口悠子先生が夫や娘のことを話し、事故死したとされる娘がこのクラスの二人の生徒に殺されたことを突き止め、しかし事故死と判断された事件をぶり返して二人を警察に引き渡すことはせず、代わりに二人の飲んだ牛乳に、エイズを発症した夫の血液を混ぜて飲ませるという罰を与えたところで物語は暗幕する。
原作は未読だが、ショートショートを読み慣れている私にはここまでで完璧な復讐劇であり、この先をどうつづけるのか想像できず、これ(30分)で終わりかと思ってしまった。
2回目を観ながら、ここまでの映像で、騒がしい教室内は映されているものの生徒各人の性格にはほとんど触れられていないが、その態度・行為から、数人の性格が知れる描写があることはすごいと感心した。
野球のボールを人(いじめ相手?)に投げつける男子生徒は、森口先生の話の中の「避難」という言葉を聞いて「避難だって」と屋上に出ていくことから、現代的なヤンキーかガキ大将的存在と思われる。そいつと一緒に出ていく男子は腰ぎんちゃくといったところか。
ボールを投げる男子を注意する男子は正義感のある人物だろう。その男子が好きな女子生徒の存在も少し描かれている。しかしその正義感ぶりも、少年時のうすっぺらいものであることが後に判る。
ボールをぶつけられた男子生徒が携帯メッセージで屋上に呼び出されて教室を出て屋上に行き、先に出て行ったふたりにボールをぶつけられるシーンはちょっとよく分からなかった。この生徒は、彼らに呼び出されたら行かざるをえないほどいじめの標的になっているということか。
真夜中に「死にたい」とか「痩せたい」とかといったメッセージすることを森口先生により暴露された野口という女子生徒は、真面目だが暗黒面にあこがれをもつ性格だろう。森口先生の話の途中で「そんなの担任として無責任だと思います」と反抗するのもいかにもだ。それをちゃかす生徒の存在も、いたよなあ、そういうやつと納得させられる。森口先生の夫が桜宮正義であり、彼がHIV感染者であったと話したあとで、この女子生徒の肩に森口先生が手を乗せると、激しく振りほどいた様子も細かい演出だが秀逸だ。普段「死にたい」と言ってる人ほど、実際に死ぬかもしれぬものがすぐそばに近づくと逃げようとする。
▼台詞引用
心の弱いものがさらに弱いものを傷つける。
傷つけられたものは耐えるか、死を選ぶしかないのか。
いや、きみたちが生きているのはそんな狭い世界じゃなないんだ。
いまいる場所が苦しいのなら、別の場所に避難してもいいんじゃないか。
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なにより私は、あなたがたの言葉を100%信じたりできません。
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あなたがたは嘘をつくのが実に上手ですから。
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ジャニーズジュニアとの結婚を真剣に考え悩むほど自意識過剰で、自分だけの世界にどっぷり漬かり、ある夜ふと、生きる意味がわからなくなる。
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子供は産み、でも結婚はしない。
それが私たちが出した結論です。
なんで結婚しないの?
たとえ生まれた子が感染していなくても、父親が感染者だとわかれば世間の差別は免れません。
差別する方が悪いじゃん。
それは将来、父親がいないことより子供をずっと苦しめる。それが彼の判断で、私もその意見に賛成しました。
子供可哀そうだろ。
父親失格じゃん。
子供のことを一番に考えるからこそそうしたんです。
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ここは中学生くらいの子供の残酷さをよく表している。黒か白か、良いかダメかでしか判断しない。自分はまだ経験が少なく、他人の心情を想像することなどできていないのに、他人の心理は分かったつもりで、大人を責めたり、他人の裏をかけると思っている。
森口先生の娘が事故で亡くなった話をしているときに、娘と交流のあった女子生徒が泣いているのを見て、「泣いてる」「なんで泣いてんの?」と発言する生徒たちもまた子供の残酷さをよく捉えている。
森口先生は自分の娘を殺した生徒が二人いることを話し、名はあかさないのだが、彼女の話す内容から犯人の一人はクラスの皆にバレる。
渡辺修哉(生徒A)は成績優秀でなんら問題のない生徒だったが、自分の作った道具で殺した動物の写真(実際に殺したかどうかは不明)をネットにアップしていることを他の生徒から森口先生は知る。その後、修哉は、財布のチャックを開けようとすると電気が流れて相手を驚かせる道具を作って、それを森口先生で試す。その道具を「盗難防止びっくり財布」としてあるコンテストに出すために森口先生とやり取りする。
▼台詞引用
解除機能を付け加え、安全性をやけに強調しているのも、いかにも純粋な中学生を装ったレポートの書き方も、私にはかえって恐ろしく、
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ここがポイントとして別の映画『対峙』とつながる。
映画『対峙』感想詩 https://poet.jp/photo/6014/
動機がはっきりするのかしないのか、そして動機がはっきりしたときのしょーもなさ。
下村直樹(生徒B)は、初見時、修哉と同じような髪形をしていて見分けづらいのが疑問だったのだけど、成績優秀でコンテストで賞も取った修哉に憧れているわけだから、修哉と同じような髪形をしていたことを理解した。
逃げぐせのあるダメな人物が、罰するターゲットに幼女をあげるのも納得できる。行動する馬鹿者にもプライドがあり、そのプライドのために悪を実行することもよく解る。
▼台詞引用
心の弱いものがさらに弱いものを傷つける。
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生徒たちは二年生(クラス替えはなし)となり、新担任・寺田良輝(ウェルテル)先生があらわれるところから第二幕がはじまる。
私がこの映画の中で悲惨だと感じたのはウェルテル先生と、第二幕の語り部である女子生徒・北原美月の二人だ(もちろん殺された娘と森口先生夫婦も悲惨だが、これは物語上どうしようもない)。
桜宮正義の著書に影響を受け、彼のようになりたくて生徒たちにぶつかる熱血先生を目指すウェルテル先生。普通ならそれでよしとなるんだけど、子供を殺した生徒(二人)がクラスにいることは彼には伏せられているわけだから、自分のやる行為の裏の意味を知ることは不可能だろう。
美月の背景は語られないのでそこは解らないが、彼女はクラスの皆やウェルテルのような馬鹿先生に絶望していて、皆殺しにしたいという欲望を持つ人物なのだろう。その象徴として、家族を毒殺したルナシに憧れ、実際に毒物を集めている。皆殺しにするか自殺するか、絶望者の思いがちな滅亡衝動をもつ人物。しかし彼女は劇中唯一の光でもあった。人の心情を感じられる・見透かせる彼女は、森口先生は血液を牛乳に混ぜたりしないと思っていた。あれは娘を殺した二人に命の大切さを感じさせるために言った嘘・騙しであると。
美月のニックネーム「ミヅホ=美月のアホ」をぼそっとつぶやく女子生徒の厭らしさ。
牛乳を修哉に投げつける男子生徒の正義。
人殺しであることを知ってるクラスメイトという群れ 対 法では裁かれない殺人犯(修哉)がそこにいるということ。修哉をいじめるようにたきつけるメールがポイント制なのも上手いね。誰はやって、誰はやってないのかが分かるから。0ポイントである美月はやがていじめの対象となる。
▼台詞引用
たぶん、みんな弱虫だから、
悠子先生がつきつけた真実から逃げ出したくて、
馬鹿になりすましたんです。
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勉強できるというのは修哉の個性だ。
同じように、みんなにもそれぞれ個性がある。
弱いものをいじめる個性
いやなことを忘れる個性
それぞれの個性をどんどん磨いていってほしい。
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人殺しの味方して、ミヅホあんたには感情ないの?
悠子先生が可哀そうって思わないわけ?
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先生、このクラスは異常です。
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寄せ書きの残酷さ。
自分の子だけしか可哀そうだと思わない母親の異常さ。
美月の普段着がゴスロリなのは笑った。これも納得のいく演出だ。
この映画のテーマが復讐ではなく、救いや赦しだったら、美月と修哉の恋愛から生まれる光から直樹を救い出そうとする、というルートができそう。
直樹の告白はダメな子にもプライドはあり、それが余計な行為を引き起こすことがよく解る。
自分はできの悪いことが分かっていて、でも努力はせず、そこに憧れの対象が寄ってきて仲間になれるのかと思いきや、ただ使われただけだった。だったら憧れの対象ができなかったこと(殺し)をしてやるというもの。憧れる人物ができなかったことをやるといったって、幼児をプールに投げるだけという簡単なことだからやれるということ。しかし森口先生の復讐に気付いた直樹は狂気に囚われていく。検査もしてないのに自分はエイズになったと思い込み、自分の血液をコンビニの食品につけて他人を巻き込もうとする。できの悪い子供のできの悪い末世感なんだけど、私はこういうのが一番こわい。
人が何を最も嫌がるかを見抜ける美月は、ウェルテルのやってる行為が直樹を壊すことが分かっている。けれどウェルテルに真相は言えない。
光になりえた美月と修哉の恋愛は、直樹の母殺しで脱線する。
修哉の告白はマザコン。
修哉は典型的なマザコン。母に見つけてもらいたい、母に評価されたい。ママぼくをみて、ママぼくをほめて。プラスアルファとして社会に大きく知られたいという承認欲求もあるだろう。
エイズの血液を飲まされた修哉が口を押えて教室からでていく演出のその後は驚かされた。でも、エイズ(重病)になれば母が見舞いに来てくれるという思いにつながるから納得はいく。コンプレックスというものの本質はこういうものなのだろう。
美月が特に可哀そうだったのは森口先生との会話シーンだ。美月が森口先生に、牛乳にエイズの血液を混ぜたりしてないと思っていたことを話すと、その真偽どころか、森口先生が二人に復讐するためにウェルテルの行動を指示していたり、いじめの指示拡大もしていたことを告げられる。
▼台詞引用
憎しみを憎しみで返してはいけない。
それできみの心が晴れることなど絶対にない。
いつか彼らは必ず更正する。
彼らを信じろ。
それが、きみ自身の再生にもつながる。
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美月は自分の好きになった修哉がマザコンであることを理解することはできても、娘を殺された母親である森口先生の復讐心の想像はできなかった。さらに、自分が死ねばいいのにとさえ思っていたウェルテルを操っていたのは、自分が信じていた森口先生だったということ。この告白は美月にはつらいものだろう。
で、美月から話される修哉の闇の原因がマザコンだったことを知った森口先生が大笑いし、のちに泣き崩れ、「バカバカしい」と言って歩き出す。人を殺したというのに、その動機はバカバカしいほど軽いものだった。
ここからは修哉のカッコ悪い嘘がつづく。
これも狂気なんだろうけど、私はこの手の狂気はあまり興味がない。修哉の演説の中にラスコーリニコフが出てきたのは驚いたけど、これも納得がいく。人を殺したことに理由を付けようとするのだが、それは自分に都合のいいようにいう言い訳であり嘘であり、けれど自分は頭がよくて、周りは馬鹿で、馬鹿は死んでもいいと考えること。
▼台詞引用
なぜ、関係ない人が犠牲になるのです?
あなたの気持ちはいつだって母親にしか向いていないのに、なぜ殺されるのは真奈美や北原さんなんです?
殺すのは誰でもよかった
だったらまず、愛するママを殺しなさい。
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森口先生が修哉の母親と会い、ことの顛末をすべて話したと台詞にはあった。あの母親は毒親で問題ありだけど、そのシーンを描いたらどんなものになるやろね。
最後の最後、「なーんてね」の返しもすごかった。
コメント
告白。あの映画は衝撃でした。
劇場に観に行って、終わって帰りに小説も買って読んだくらい。
映画の作りも良く出来ていて
告白者が変わっていくごとに
真相が明らかになっていく、という
ラストの「なーんちゃって」
あれ、実は小説の方にはなくって
だから、映画では修哉の母親は生きてるのでは?
と云うようなラストになってるらしいです
@雨音陽炎
コメントありがとう!
すごく面白い映画でした。
最後は「なーんてね」ですが、人を殺したことの軽さをあらわす物言いが、罪の重さを知らしめる物言いになる。演技もすごいけど、最後の台詞として秀逸でした。未読の小説も読む予定です。