海になればいい

陽が昇るのを待って 僕らはあてもなく電車に乗った
まだ人気はなく静かで ただ薄く空を覆った雲だけが車内を包み込んでいた

僕らは互いに黙って 流れていく景色を呆然と眺めていた
この景色の中に なにもかも捨てることが出来たなら
そんなことを考えてみたりしたけど
多分それは とても無意味なことだと ひとりごちて
小さなため息をひとつ 窓が一瞬だけ白く曇った

僕にとって毎日は ただ消費していくだけの
退屈極まりないものだった
特に何か取り柄があるわけでもない僕は
与えられる仕事を淡々と こなしていくだけで
それで褒められるわけでもなければ 決して怒られるわけでもない
毎朝ギュウギュウ詰めの電車に押し込まれ
痴漢に間違われないように 細心の注意を払い
残業を頼まれれば いやな顏もせずにひきうけて
帰りの電車 またもギュウギュウ詰めに揺られながら
コンビニによって弁当と缶酎ハイを買って帰る
テレビをつけてみても 面白くもない番組ばかりだし
ネットを開けば 芸能人の不倫かスキャンダル
誰かの誹謗中傷ばかりだ
缶酎ハイの蓋を開け 弁当に箸をつける
味なんかよくわからない ただ胃に流し込んでるだけ
明日も明後日も 日々は続くから
風呂入るのめんどくさいな
朝起きたら入るか
今日も疲れた 昨日も一昨日もずっと疲れた
生きがいってなんだろうな
昔はそんなことも真剣に悩んだ時期もあったけど
いまはもう どうでもいい
それより早く寝るとしよう

初めて君と出逢ったのは
同僚に連れられて行った 純喫茶と呼ばれる
クラシック音楽と香しい珈琲の香り漂う喫茶店
その片隅 ステンドグラスが嵌め込まれた窓際の席で
なにやら難しそうな本を読みふけっていたね
どこか他人を拒絶しているかのような
君の周りには見えない膜のようなものが張り巡らされてるような
何故だかわからないけど そんな気がしたのをよく覚えてる
僕は何を思ったか そんな君に声を掛けたんだったね
いつも この店に来てるの? ずいぶん難しそうな本を読んでるねって
君はニッコリと微笑みながら
本を読んでいるときは 生きてることを忘れられるのって
あなたは生きてるってことを忘れることはあって?
僕はてっきり 君は何かの宗教にでも入ってるのかと思ったし
いきなりそんな質問するから 驚いてしまって
咄嗟に うん、まあそうだね なんて適当にごまかしたら
君は大層がっかりしたように
そう それは残念だわ
生きてるってこと忘れるくらい 生きてられるなんてしあわせねって
君はしあわせじゃないの? 何か悩みごとがあるとか?
悩みのない人間なんていやしないわ
いまの生活に満足している人間だってきっと
産まれたばかりの赤ん坊は欲のかたまりだって説もあるらしいわよ
愛欲性欲食欲睡眠欲金銭欲独占欲
この世の中 誰も彼もみんな
自分の欲望を満たしたくてたまらない人間ばかり
人生なんて所詮 しあわせの奪い合いじゃない
ねえ 人間って生きてるうちは不完全で未完成な生き物なの
死んで初めて完全に完成されるのよ

僕はいつの間にか 完全に君のペースに巻き込まれてしまっていた
人生なんてしあわせの奪い合い、か
たしかにそうかもしれないな
うちは他と比べれば まあまあフツーの家だったと思うけど
両親も仲は悪くなかったけど
父親は他に若い女がいたのを 僕は知っていたし
母親はなにに使うんだかよくわからないものを次々買ってて
よく二人が言い争っていたあの声が いまでも耳に貼りついてるし
大人ってしょうもないって 子どもながらそう感じていたっけ
けど 大人の言うことに逆らったことなんかなかったし
逆らったって何もいいコトなんかないっていうのも
なんとなくわかっていた

将来なりたいものはなんですか
僕には将来なりたいものなんてなにもなかった
他の子たちは サッカー選手とか宇宙飛行士とか医者とか弁護士とか
目をキラキラさせながら言っていたけど
夢とか未来とか希望とかそういうの
僕にはちょっとよくわからなかった
解らないままに こんな大人になってしまった

毎日毎日 同じようなことの繰り返し
会社と家の往復
たまにひとりで映画を観に出かけることくらい
そんな日々をどうにか変えたくて
資格の勉強してみたり
慣れない料理にチャレンジしてみたり
悩んでいたあの頃
まだなにか変えられるんじゃないかと
柄にもなく

同期入社だったあいつより先に昇進したとき 
どこかで優越感を感じていなかったか
自分とさほど見た目も変わらない 冴えない男だったあいつが
あるときとびきりかわいい彼女を連れて結婚すると紹介された日
何故だかひどく敗けた感を覚えなかったか
心のどこかで 何であいつが
どこであんなかわいい彼女 見つけてきたんだ
騙されてるんじゃないか
うまくいくわけない
どうせ彼女のほうから愛想をつかせて別れるに決まってる
と勝手に決めつけて あいつの不幸を願った
我ながら最低だ 最悪だ
こんな自分 終わりにできるものなら終わりにしたい
そんなふうに思わない日なんて
本当は一日たりともなかったのだ

あなた 死んでしまいたいとは思わない?
君の口からそんな言葉が出てきたのは
ある意味 必然なことだったかもしれない
僕ももう この世界に未練なんかとっくに失っていたし
行きずりの女と心中なんて
昔の文豪みたいでちょっとカッコいいじゃないか
僕は君の提案に乗っかることにした
そうしたら 不思議なことに
いままでに感じたことのないワクワクした気持ちが
心の奥底から湧いてくるのがわかって少し困った

君も僕も精神科に通院歴があった
クスリの処方が変わるたびに 余ってしまったクスリを
ひそかに溜め込んでいたのだが
彼女はどうやら複数の病院をドクターショッピングしており
かなりの量のクスリを溜め込んでいることがわかった
それから 度数のキツい酒をたくさん買い込んだ
万が一生き残ってしまうことのないように なんて笑う君が
ゾッとするほど恐ろしく美しく見えた

君はチョコレートを齧りながら 過ぎてゆく景色を眺めている
こんなふうに電車に揺られるのも
流れていく景色を眺めているのも
これが最後だと思うと なんだか無性に愛おしくも感じられた
ふいに君が後悔してない?って訊くから
僕は何も言わず ただ首を横に振った

冷たい冬の海がいい
ただ波の音しか聞こえない きれいな海の町へ行こう
そして暗くなるまで 波の音の中で眠ろう
霧雨が降ればいいね
僕らのもろくこわれそうな命のような
やさしい雨が降ればいいね
風は冷たい方がいい
ふたり疲れた躰寄せ合って
海の中で飽和しよう
やさしく そっと

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最後までお読みいただき、ありがとうございます
冬の海が見たいなあ、などと思っていたら
ふいと心中ものが描きたくなりまして

詩中の
>産まれたばかりの子どもは欲のかたまり
というのは、中島みゆきの「幸福論」という曲からの引用です

投稿者

東京都

コメント

  1. おはようございます♪
    雨音陽炎さん、この作品は、掌編小説(ショートショート)に出来そうですね!
    詩ではおさまり切らないから、このまま置いとくの勿体無いですよ。^ ^
    一気に読めました。⭐︎

  2. @リリー
    さんへ

    こんばんは、りりーさん(#^^#)
    コメント、ありがとうございます!

    私はどうも、こういうストーリー仕立てだったり
    独白仕立てだったりが好きでして

    短編ぽいといえば短編ぽいですけどね

    一気に読んでいただけて嬉しいです
    ありがとうございました

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