火星へ。愛を込めて
1898年6月、火星が地球を奇襲し、初の宇宙戦争が勃発する
侵攻は2週間続いたが、火星の攻撃部隊は地球の病原体によって全滅した
1939年9月、報復を掲げたナチスドイツが火星へ電撃戦を開始
ソ連軍も火星へ侵攻。第二次宇宙戦争始まる
1940年9月に締結された三国同盟に基づき、日本とイタリアも火星に出兵
ロケット技術を持たない両国の軍隊はドイツ製V2宇宙船によって輸送される
枢軸側による情報統制により火星での戦況は不明
アメリカは枢軸国の軍隊は実際には火星に行っていないとする公式見解を発表
1941年12月、火星側の反撃開始
火星軍はドイツ本国およびヨーロッパの枢軸国家群、ソ連、日本、イタリアに着陸
全体主義を嫌ったアメリカと中国国民党は火星側に立って参戦
1943年、イタリア降伏、1945年、ドイツ、日本が順次全面降伏
アメリカと密約したソ連は自力で火星軍を撃退し、戦勝国としての立場を確保する
80年前に日本人と火星人が戦争したのは映画や漫画でよく知っているつもりだった
祖父が沖縄で戦った相手はアメリカ軍だったのか火星軍だったのか、幼かったおれは聞きそびれた
アメリカの大統領選挙が火星の意向で左右されているのはいまや公然の秘密らしい
つまり、こういうことだ、いままでのおれの生活にとって火星人はキャラであり、歴史であり、へー、そうなんだーという相槌を打つだけの対象だったから、電話で息子が火星人を彼女? パートナーとしておれに紹介したいと言ったときはコーヒーを誤嚥した
おれはむせながらもまだ嫌悪を感じていなかった、というより正直、ピンとこなかった
火星人ってあのタコみたいなやつだろ?
地球ではあいつらマネキンの中に入っているから、おれはその姿を見たことがない
地球の空気に触れるとすぐに病気にかかって死んでしまう
ピンポーン、呼び鈴が鳴り、おれは玄関に出る
2年ぶりに地元に帰ってきた30になる息子は別になんだろうな、イカれてるようには見えなかった、
タコれてるかもしれないが。昭和生まれのオヤジギャグだ、クスリとぐらいしろよ
こちら、タココさん
息子の後ろに立っていた20代後半ぐらいに見える女性が一歩横に出て、おれに頭を下げる
おれは息子に耳打ちする、タココって本名? おれもそう呼んでいいの?
そうだよ、呼んで大丈夫だよ
いらっしゃい、タココさん、はじめまして
おれは火星人が中に入っている女性型ロボットスーツと握手する
手のひらには体温があった。材質はやわらかい
身長も横幅も日本人のサイズと違和感はない
この中に入っているとすると火星人はだいぶやせ型らしい、それとも中には入ってなくてリモートか?
いろいろ疑問はあるが、とにかく我が家へ上がってもらおう
腰痛持ちのおれはソファより椅子に座りたいのでふたりをダイニングに通す
お茶を淹れようとキッチンカウンターの向こうに回ろうとするおれを息子が制す
父さんは座ってて。タココも
おれはタココと向かい合せにならないように食卓の角を挟んだ席を相手にすすめる
地球に来てどれぐらいですか?
地球の時間だと6年目です、留学しているときに息子さんとは同じ大学で
けっこう昔から知り合いだったんですね
ゼミが一緒だったんで、そうですね、お付き合いしだしたのは一年ぐらい前で
日本語がお上手ですね、おれは地球の外国人に言うように火星人に言いながら、だが、うそは下手だと思った
おれはテーブルの下でスマホの発信ボタンを押してワンギリする
おれと女のどちらを息子は選ぶだろうか
女だ。男はそういうものだ
だが、おれもそうだ
息子より妻を選ぶ
妻を侮辱した火星人を許さない
タココが偽装している女性は死んだ妻、息子の母親の面影を持っていた
若い時に病死したのでまだ小さかった息子はそのことに気づいていないだろう
写真で見比べてもどこがどう似ているとは言えない、しかし、
おれが気づかないと思ったのか、気づいてもおれに手出しはできないと高をくくったか、
狙いは分からないが、この火星人は最初から息子を標的にして地球に送り込まれてきたのだ
息子がおれと自分の前にお茶の入った湯飲みを置く
ロボットスーツではさすがに飲食まではできないらしい
ピンポーン。実は寿司の出前を取ったんだ、余分だった?
たぶんね、と息子は立ち上がり、玄関に出る
おれはスタンガンを腹に押し当てられて昏倒する息子の姿を想像しながら待った
気絶した息子を両脇から抱えた若い双子がおれとタココの前に姿を現す
タココは黙って侵入者たちより先におれの方に視線を向ける
そういうこと。おれは言う。息子には悪いが、火星人を誘拐する
タココは近所の中古車販売店までおとなしくおれたちに付いてきた
何が始まるのか興味があるといった感じだ
余裕のある態度は火星人が日本での自身の絶対的優位を疑ったことがない証拠だろう、と思っておれは、
おれがけっきょく昭和の劣等意識を引きずっていることに気づかされる
ふん、と鼻で笑ってみる
初代、ニヤついてて気持ち悪いですよ? あ、ごめん
いえ、すみません、謝らせるつもりはなかったんですけど
おれの理髪店で働く双子のスタッフくんたちは息子よりまだ若く、おれを尊敬しているふうに振る舞うのが気持ちいいのだと思う
おれを初代と呼ぶのはスタッフくんたちが卒業した地元の私立高校の初代の生徒会長がおれだからだ
理髪店だけでなく、他の仕事もいろいろ手伝ってくれている。便利だ
おれたちはおれの幼馴染が経営する中古車屋の敷地内にある整備工場に入り、シャッターを下ろす
気絶したままの息子をコンクリートの床に降ろした双子があー疲れたと肩をまわしているその横でおれは工具棚から大型モンキーレンチを取り上げるとタココの頭部を思い切り殴打する
いってー、弾き返された反動でレンチを床に落とし、おれは手首を押さえる
たぶん、あなたたちの道具ではわたしに物理的な干渉はできない
そう言って妻に似た微笑を浮かべた仮面の裏に潜む宇宙的陰謀をおれは暴いてやろうと思う。内部の正体を引きずり出して見せてやれば、息子も正気に戻るに違いない
ほんとだ。たぶん、道具はいらないね
背後に回った双子たちがタココの後頭部の辺りを指差して言う
咄嗟に放たれたタココの後ろ回し蹴りを双子のひとりが両腕でガードして受け止め、もうひとりがタココの左耳の裏に手刀を当てる
ぼくら、格闘ゲーム得意なんで
頭頂から前後左右の4枚に分かれてバナナの皮のようにタココの外装が剥けてコンクリートの床に落ちる
地球の重力に抗してそいつは立っていた。色素の薄い肌の下に緑色のオーロラが揺らめくほっそりした肢体の上に長い触手を垂らした頭足類が載っている
おれは火星人を裸にしたことを後悔した。その姿はグロテスクだが美しかったからだ
ガキの頃読んだクトゥルフの物語を思い出す。こいつらは復活を夢見る邪神群の眷属だった
おれはスマホを改造したリチウム電池爆弾を上着のポケットから取り出し、地上に顕現した旧支配者に貢物を差し出すサルさながらの気分で言う
自殺したかったら、これを使ってくれ
地球の病原体が感染できるということは火星と地球の生命は同根なのだ。国連が火星人の本当の姿を隠すのも、旧支配者の前に人類が本能的にひれ伏すのを懸念しているからに違いない
だが、ここはおれの地元だった。地球の大気に曝露したこいつはもうだめだ。数日でカビだらけになって死ぬ。火星人も不名誉な死に方は望まないだろう。そういう気づかいができる余裕が自分の縄張りの内側にいるおれにはあった
スマホ爆弾を差し出しながらおれは一歩まえに出る、殺さないで、父さんなんだ! 目を覚ました息子が叫んだ
火星人の細すぎる腰を見た時におれは理解していなければならなかった、骨盤がない
火星人は地球の同属と同じくやはり軟体動物なのだろう、しかし、骨格の物理的支柱なしに自重を支えていられるほどの並外れた筋力を持っている、つまり、近づくと危ない
息子の声が聞こえた時には触手の先端がおれの顔の前にあり、寸前で軌道を変えておれの右の眼球を吸盤に吸い付けて持っていく
ばかやろう、手加減になってねえ
他の触手は双子を襲っていたが、双子たちはことごとく攻撃をかわす
ぼくら、リズムゲームも得意なんで!
シャッターを突き破って突入してきた装甲ブルドーザーの後に続いた国連の対テロ部隊が警告無しに発砲を開始する、こいつら、おれたち地元の人間は全員テロリストだと思っている
まあ、この場合は間違いではない
おれは残された左目でスマホ爆弾を見る、これはおれが使う必要がありそうだ
隻眼では顔認証が承認されなかった
初代、逃げます!
双子がおれの身体を両側から抱きかかえる
初めて火星人の姿を見てパニックを起こした国連兵たちの集中射撃を浴びて胸に穴を開け、倒れたタココを息子が胸に抱き締める。タココの口吻が伸びて息子は唇を重ねる
ずっと、きみのことを忘れない
それが地球式の愛し方なのね、きっと、宇宙には愛が多すぎるのよ
整備工場の屋根を突き破って降りてきた巨大なトライポッド兵器の足が国連の装甲ブルドーザーを踏み潰す。火星軍の熱線が国連の兵士を焼き払う
火星人が日本人に誘拐された挙句に国連軍に射殺されるという前代未聞の事態にどうやら指令系統が混乱しているようだ
おれは振り返り、息子に向かって声を張り上げる
おい、帰るぞ!
ぼくは帰らない
寿司をとってあるのは本当なんだ、食わないのか?
父さんひとりで食べて。ぼくはもう、食べられないと思う
息子は火星人への変態を始めていた。下顎が崩れて溶け落ち、口腔があったところから口吻が伸び、頬の下から触手が生え始めていた
息子は火星式の愛し方を受け入れたのだろう
息子は
帰る必要はない
どこにも帰る必要はない
一人前の男だ
そうか、向こうで落ち着いたら連絡しろ
いつか火星に招待するよ
楽しみにしてる、身体に気をつけてな
コメント
久しぶりにゼッケン作品を読めて満足しました。でもまたすぐにお腹がへるのでよろしくです。
@たかぼ
腹ペコだったたかぼさん、ほらほらあまり急いで食べると喉に詰まらせますよ、ゼッケンです。こんにちは。
20世紀にSF少年少女だった人々に捧ぐ。
今回はというか今回も、オヤジ×SF×ポエムの三種盛りなんですが、HGウェルズからラブクラフトへの接続にパンスペルミア説をまぶしたのはけっこういいんじゃないかなと自画自賛です。
いや本当に「オヤジ×SF×ポエム」を書かせたら天下一品ですな。
SFは好きですが読んでいてもっと虚構船団みたいに理解不能の
純文学のような読後感があったのでSFの仮面を被ったなにかか
なんだろう?と感じてたのは説明解説を読んで理解出来ました。
オヤジとポエムの要素もあったのですね。クセになる文ですわ。
@足立らどみ
>虚構船団みたいに理解不能の純文学のような読後感
筒井康隆の? それは畏れ多い。いや、もちろん、ゼッケン作品がその域にあるとはらどみさんはひとことも言ってない。言ってないけどさ、例えであったとしてもあまりにも偉大な名前が出てきたのでちょっと引くというか、、、あ、だめだ、ほんとはうれしいっす。超。