さようなら。
さようなら。が言えた人は
幸せなのかもしれない。
と、あなたはいった
さようなら。
学校へ通っていた時は
毎日言っていた
さようなら、またね。
と次の日も、また次の日も
あたりまえの言葉だったのに
働き始めたら
おつかれさま。
に変わっていた
さようなら。
一人では意味を持たない言葉
二人の間に句読点を打つ言葉
齢を重ねるとともに
恐れるようになっていた言葉
さようなら。
疎遠になったまま
訃報で途絶える友情があって
実らないままに
行方不明になった恋があって
区切りをつけられないまま
燻る感情があって
さようなら。が言えたなら
それは確かに幸せなのかもしれない
さようなら。で記憶は止まり
時とともに美化されたり
風化したりするけど
新たに加わることはない
ここにいる あなたとわたし
まだ句読点はいらない
と 手をつないで
コメント
題名「さようなら」の後の句点。が不思議だなーと思いながら読みましたけど、最終連で句点が取れたのですねー僕は詩を書く際にけっこう句読点に頼ったりしてますよねー
さようなら。が言えたなら、幸せなのかもしれない。それはそう思います。
でも、三明さんも言ってる通り、最終連で次につながるような感じになってて、この詩から希望も感じられます。そこが好きです。
句読点、好きです。
線は細くて、暖かいイメージでした。
繰り返される
さようなら
何度も何度も
少し跳躍してしまいますが
私がいなくなるまで、さようならは
なくなりはしないのでしょうね
お邪魔しました。
@三明十種
さん、コメントありがとうございます。
私は句読点のうつ位置で迷ってしまいます。無しで済ませれるといいなぁと思う時もしばしば。
@こしごえ
さん、コメントありがとうございます。
次につながる希望と読んでいただけて幸いです。
@wc.
さん、コメントありがとうございます。
暖かいイメージと読んでいただけてうれしいです。
さよならは学生時代のように毎日繰り返されるくらいがいいのかもしれないなと、今は思います。
@re汀尋
あ、ですよね。
そっか。
あったかいなあ。
明日からまた頑張れますわ。
ありがとうございます。