感受性を詩人に捧げる
感受性を詩人に捧げる
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本屋では詩集を開かない
頁を開いたとたん
良い作品は
否応なしに
脳裏に直撃するから
理由のない涙が溢れ
店員が心配して近寄ってくるでしょ
恥ずかしいでしょ
**
どうして横書きの詩は
左から右に読むのでしょう
どうして縦書きの詩は
上から下に読むのでしょう
詩は
絵と音楽がミックスされて
距離も時間も圧縮されて
全ての兵器よりも速くて、凄くて
イチコロニコロ
サンコロ
シコロ
そういう類(たぐい)の詩もある
***
宇宙は正常です
コメント
2年6ヶ月前のログ改稿。
元のタイトルは、「感受性/谷川俊太郎に捧げる」でした。
シコロに漢字をあてるなら「詩殺」なのかな。詩で人を泣かせたり、笑わせたりできるなら、時に詩で人を殺すこともあるかもしれない。まあ、そこまでいかなくとも、腹立たせたり嫌な気分にさせたりはできる。オレは割とそういうの書きがちで、たまにそれで罵倒のような批評をされることもあるが、ざまあみろ、と思っちゃう。
電車で岳という漫画を読んでいる時
あまりに感動して号泣してしまいました
恥ずかしかったです
正常な宇宙があるからこそ
詩に自由があるのか
と、考えました
好きな詩です
「罵倒のような批評」という表現から創作ネットの世界で苦労してきたのだな
と、深読みかもですが、伝わってくるものがありました。私だったら、普通に、
「深い思考に基づき且つ論理的な文章も書けない能力の方の感情的な一方的な
垂れ流しのコメント」と書くのかな。と
那津na2さんの恥がしかった経験、私もあります。
欠伸してみたり、目にゴミが入ったという感じで
目をこすって涙を拭いでみたり、そりゃもう大変^^
昔、詩の合評会に参加した時、ある参加者が、自作品を、いきなり最終行から前へ遡るように読み始めて、たまげたことがありました。でも、後ろから読んでも、ちゃんと詩として読めるんです。足立さんの、このお作品を読み、その時のことを思い出しました。
詩の合評会。全くご無沙汰してますね。
私の場合は当日は、一言でいうと「昂揚感」にどっぷりでした。
作品の最後から読む人は何人か心当たりあるけど、誰でしょうね。
合評会もそうでしたが、その後のお茶会タイムや、私の場合は、
有志で新宿のお店にお酒飲みに行ったりとか、良い経験でした。