セクシャルハラスメント

セクシャルハラスメント

●2013年10月18日
つらぬきたい!わたしの針で存在で!
あなたの内にしるしを刻む
#ピアス
●2014年8月22日
キス騒動の高橋大輔「はしゃぎすぎた」(デイリースポーツ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140821-00000087-dal-spo(記事は現在読めない)

うわー、この行為に対する部外者の反応が気持ち悪い。本人がセクハラじゃないというのであれば、それはなんの問題もないものだ。仮にこれが浅田真央とおっさんであったとしても、本人が了解したことなのであればなんの問題もない。された側が「嫌だった」「口にされるのはちょっとね・・」というのであれば問題なんだろうけど、「まあ、ちょいと情熱的でしたね」だとか、「ウェルカムですよ」だとかなのであればなんの問題もないし、そもそも第三者がどうこういう話ではない。それを他人がわざわざ取り上げて問題視してることのほうが気持ち悪い。それはたんなるやっかみじゃないのか。「本当は、高橋選手は嫌なんだろうけど、お偉いさんである橋本聖子さんには逆らえないから仕方なく受け入れていて、それはパワハラに相当する」とか、勝手に思ってるんやろなあ。「口へのキスはやりすぎ」って意見はわからんこともないけど、それくらい応援してくれた人ってことやったとしたら? という想像力がないんやろなあ。
補足:だから、スポーツをもっとしっかり見たほうがいいのよ。たとえばサッカーで、ゴールを決めた選手の額に同僚の選手がキスしたりすることがあるねんけど、あれは普通の状況では起こりえない行為なんよ。でも、チームが勝つかもしれない得点をあげた選手に対する「お前は最高だ!」という表現としてキスをする。口へのキスには少し問題もあるけど、それは些細な問題。なんらかの結果を勝ち取った相手に対して、それを応援してくれた相手の喜びを受け入れることは他人が口をはさめるものではない。真剣勝負を知ってる人であればあるほどそれは強くなる。他人の入る余地はない。
●2015年3月31日
せくはら
もらはら
ぱわはら
またはら
しりはら
あしはら
くびはら
ゆびはら
うではら
はらはら
●2015年3月31日
「男らしくてかっこいいね」と言うと、「ジェンダーフリーを目指してるんで、その言葉は差別的です」と言われた。
(ジェンダーフリーってなんだろう?)と訊きたかったんだけど、新たなハラスメントになりそうなので止めた。帰りにカタカナ言葉辞典を買いにいこう。
●2015年4月13日
AERA@AERAnetjp
「子ども=幸せ」の公式が息苦しい 少子化が進み、子育てをする人を礼賛する「子育て至上主義」が 広がっている。国や企業はこぞって子育てと仕事の両立を推進。空気のような「子なしハラスメント」が女性にも男性にものしかかる。
https://x.com/AERAnetjp/status/587517417338773504

これはギャグなんやろか?
子なしハラスメント
独身ハラスメント
結婚ハラスメント
離婚ハラスメント
ハラスメントハラスメント
就活ハラスメント
散髪屋で髪の毛切られすぎハラスメント
その姿を見て笑うハラスメント
こんなの気にする必要があるのか、気に触ったのなら言い返せばいいのに、私には理解できない。
●2018年4月17日
若松 英輔@yomutokaku
いまの政権を眺めていると、いざというとき、国はあなたがた市民を守ることはありません、と語り続けているようにしか感じられないのは、私だけだろうか。今回のセクハラ問題だけでなく、年金、「学園」問題、さらには憲法改正に至るまで、これほど堂々と「国民」を忘れた政府はなかったように思う。
https://t.co/3ck6PZu4uM

この文章で「セクハラ問題」を挙げてるけど、昨日今日とセクハラを起したとされて問題化したのは野党推薦(社会民主党・自由党・日本共産党)の米山隆一県知事と、財務官僚の福田淳一事務次官のことだ。前者は野党推薦、後者は官僚(公務員)。なので、いまの政権与党(自民党)とは関係ないねんけど、批評家のくせにこれをごっちゃにして批判してるんや。すごいなあ。そら、天下りの斡旋問題で前川前事務次官が辞任したとたんにヒーローになるわけや。彼は出会い系バーで貧困調査をしていたという発言をしたあとで、「調査と言う言葉使いは適切ではなかった」って言ってるんやけどね。

http://ksl-live.com/blog9763(記事は現在読めない)

一応書いておこう。上述した中に「セクハラを起したとされて問題化した」ものとして米山さんと福田さんの名を挙げたけど、どちらもまだ、違法性や倫理的な問題(というのも難しい話だが)があったと証明されたわけではない。米山さんに関しては、彼は独身なのでどこの誰と性行為をしても問題ないわけだが、それが売春だったかどうか(18歳未満だと倫理的にアウトか?)が問われることになるだろう。福田さんの方は、とりあえず、セクハラを受けたという側の女性が名乗りを上げるなり訴えるなりしなければ問題になりようがない話である。被害者のいないセクハラ問題などありえないのだから。
●2018年4月19日
どっちも辞めちゃったということは、自ら非を認めたわけなんだろうけど、この二つの出来事はそれぞれになんかイラつくところがあるなあ。米山氏の方は、県知事が売買春したらアウトだとは思うんだけど、この記事にあるような発言を見ると、なんか腹立つなあ。

女子大生が告白 新潟県知事・米山氏「買春」辞任へ(文春オンライン)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180418-00007064-bunshun-pol (記事は現在読めない)
▼(記事引用)
「最初からお互い援助交際が目的。彼はお金を持っていそうな雰囲気だったし、『こういうこと(援助交際)に慣れているんだろうな』と感じました」(A子さん)

ってことは、お互い納得してやってるんやから、それを第三者にしゃべるっていうのはどうやねん? しかも金もらって売春してる側はなんらおとがめなしっていうのはなあ。売買春があかんことなんやったら売るほうも悪いわけで、それが一般人なのか学生なのかは関係ないわなあ。女は身体を売らないと生活できないんですって時代じゃないんやから、この問題で男の側だけをたたくのはなんか納得できんなあ。

テレ朝女性社員、週刊新潮へのリーク理由は「セクハラが黙認される危機感」(ハフポスト日本版)
https://t.co/jCjIJLujGs(記事は現在読めない)

福田氏の方はどこに視点をもっていけばいいのか難しい問題になってきた。福田さんがセクハラしたのはダメやとしても、それを承知でネタを取ってこいというマスコミ側の問題(パワハラになるのかな?)があり、そこには美人局やハニートラップの問題もあるやろうしね。これに対する古市さんの意見は同意する。

テレ朝女性記者のセクハラ被害巡り緊迫の「とくダネ!」…古市憲寿氏に伊藤アナが反論「古市さんがおっしゃったニュアンスは違う」(スポーツ報知)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180419-00000081-sph-soci(記事は現在読めない)

この二人に前川さんを足して、彼らのした行為について意見している記事を発見した。

米山知事、福田次官、前川喜平氏、誰が最も「悪質」か
http://agora-web.jp/archives/2032179.html

比較するためのものとしては面白いけど、文章による偏見フィルターをかけているのが分かるのはマイナスやなあ。
▼記事引用
①既婚者の文科事務次官が出会い系バーに入り浸っていた、のと
②独身の新潟県知事が少しお遊びしていた、のと
③財務事務次官が酒の場で品の悪いトークをした、のと

「入り浸っていた」「少しお遊びしていた」とかはダメやろ。複数回いったのなら回数(分かっているものでいい)を書くべきやわね。「少し」も同じく。この記事をフィルターなしに書くとこんな感じやろか。
①既婚者の文科事務次官が出会い系バーを利用して、会った女性に金銭を渡していた。
②独身の新潟県知事が出会い系サイトを利用して、会った女性に金銭を渡し性行為をしていた。
③財務事務次官が(酒の場で)女性記者にセクハラ発言をしていた。
できるだけ簡潔に書くことは大事やね。
●2018年5月3日
毎日やりたくて仕方がない若い頃ならまだしも、いい年をしたおっさんのセクハラ事件はなさけなくなるものではあるんだけど、これに対する反応で、他のセクハラ事件には文句を言うくせに、なぜかTOKIO山口達也氏のことだけには腹を立てたツイートをしない人がいるのが面白い。以前取り上げたこの比較話に山口達也氏を入れると、断然、山口氏が「悪質」のトップに躍り出る。前川さんと米山さんはどちらも女性にセクハラをしたわけではない。福田さんも否定はしているので疑惑段階ではあるんだけど、もし黒だったとしても、単に言葉によるセクハラをしたに過ぎない。しかも相手は何度も誘いに乗った相手であり、自己判断もできる大人の女性が相手だ。対して山口氏のほうは、相手はまだ未熟な女子高生であり、その相手に無理やりキスをした(しようとした?)わけだ。ということは身体に触れるセクハラであり、状況によっては強姦未遂として扱われる事件だろう。どんなにいやらしい発言であったとしても、言葉で言っただけでしかない問題で、片方は財務次官を辞めさせられて、片方は実力行使による暴力といえる行為を行ったにもかかわらず、なにかアルコール中毒による事故(?)のような扱いをされつつある。なんやろね? もし私が真面目にMeTooの運動に取り組んでるのなら、山口氏の事件こそぼろくそに言うと思うんやけど、日本の似非フェミニストの方らはなんか言うてるのやろか? これまた、かつて詩のサイトで衝突したことのある、作品(事件)と作者(人)を別にみられへん人らの典型やわね。セクハラ事件ついでに、山口氏以上に悪い行為をしたと言えるのがアベガーさんたちの話の中にでてくることのある菅野完氏やね。これは自身が認めてるから、完全な黒。

作家の菅野完氏、二審も敗訴 女性への不法行為を高裁が認定
https://huffingtonpost.jp/2018/02/08/tamotsu-sugano_a_23356093/

もうひとつ、これまたアベガーさんたちの話にでてくる伊藤詩織さんの起こした訴訟については「不起訴相当」の議決が下されているので、山口敬之さんは無罪(というか、不起訴なので、そもそも罪に問われるような行為はしていないということ)になる。
このツイートを読んで「キー!」ってなる人がいるかもしれないけど、これは私が裁決したわけでも判定したわけでもなく、東京地検が不起訴と判断したことだ。その人の言ったこと/やったこと/それが犯罪だと断定されたもの/まだ疑惑でしかないもの。これらの詳細を見ることなく、自分の好き嫌いでしか物事を見ようとしない人の意見を読むとげんなりしてしまう。まあ、「私は自分の好き嫌いでしか物事を判断しません」ってはっきり言ってくれる人なら好感を持てるんだけどね。でも、その好き嫌いも果して自分が本当に思うことなのか? あちょー
●2018年7月18日
テレ朝社長「記者の処分しない」 財務次官セクハラ問題:朝日新聞デジタル
https://asahi.com/articles/ASL7353B7L73UCLV00M.html(記事は現在読めない)

セクハラの方はどうなったんやろね? これはその後の情報がでてないから分からんけど、パワハラの方は出てる。セクハラを受けたとされる側の記者が情報を他者に流したことの罪は問わない、というのは納得できるけど、自社でセクハラ被害を報告したにもかかわらず、被害女性に取材させていたというパワハラ問題はうやむやなわけだ。これで終わらせるってことやろか? 褒められた行為じゃないとはいえ、言葉だけ(しかも密かに録音された)のセクハラ行為で片方は首になり、他方のパワハラはなんの責任も取らずに終わる。なんやろね、口だけなのは詩人の特権にしといてほしいなあ。
●2022年4月5日
園子温監督、反安倍に震災映画…“社会派” のウラで報じられた性加害に落胆のコメント続々(SmartFLASH)
https://t.co/B5Dc6dDL9L(記事は現在読めない)

あれまあ…まだ疑惑の段階ではあるけど、これがもし事実だとすると、またもや「言と動」「作品と人物」を考えないといけなくなるなあ。
園子温監督の映画は『自殺サークル』だけ観た記憶がある。手をつないだ女子高生たちが一斉に線路に飛び込むシーンしか覚えてないけど。
作品だけを見て評価するのこと。
作者のひととなりを知ってから評価をすること。
作者を知っても評価は変わらないけれど、印象は変わってしまうということ。
作品を絶賛していたけれど、作者の悪行を知ってしまい印象が最悪になること。
その作者が生きているかどうかでも評価・印象は変わる。
死者に唾吐く行為をタブー視する日本社会では、作者がどれほどデタラメなクズだったとしても作者が故人の場合は作品の評価に影響を与えることはほとんどない。対して、まだ生きている作者がクズな行為をした場合は、作者の作った作品がいくら優れていようが評価は下がるし、昨今の状況を見ると、作品を発表もできなくなる。まだ疑惑だから、記事内容から受けた悪印象から文章を書くべきじゃないのかもしれないけど、この手の人物が「政府がー」「アベガー」って言ってたっていうのもなんだかなあ……
●2022年4月7日
園子温監督がコメント「配慮のなさ自覚、記事は事実と異なる点多い」…性的関係で週刊誌報道(読売新聞オンライン)
https://news.yahoo.co.jp/articles/2f4cbbd5aeb01c55e1e0b39b9dc1f69d660d58fb(記事は現在読めない)

いかんね。まだ疑惑段階なのだからこっちの印象で白黒を判断するのは。嫌なニュースだけど、取り上げたからには追いかけるとしようか。
●2022年4月15日
文月悠光|Yumi Fuzuki@luna_yumi
20代前半の頃、出演したイベントの客として来ていた詩人に「あなたの朗読にはエロスが感じられないね。最近セックスしてる?」「男と濃い恋愛をして、その経験を詩に注ぎ込まないと!」と詰められたことを思い出した。「恋をしないと詩は深まらない」など、似たようなことを言われたのは一度ならず…。
https://x.com/luna_yumi/status/1514894030915600384

なるほどなあ。やっぱりこういうのはじゃんじゃん言ったり書いたりしたほうがいいのやろね。これは過去の話だから名指しの必要はないけど、リアルタイムなら誰が言ったのかも書く。その人物を晒し者にするという意味ではなくて、「そういう助言(?)は恥ずかしいことですよ」と相手に教えるためにも。
一番よいのは、その場で「じゃあ処女や童貞で素晴らしい作品を書いた人はいないということですか?」くらいの返しをすればいい。あるいは「プライベートと作品内容とは関係ないでしょう」と答えるとか。しっかりと言い返すこと。それをする勇気は必要。それと、こういった台詞は相手が悪意なく言ってる場合がある。これは世代だったり環境だったりで違いの生じるものだから、言ってくれないと分からない。若い娘さんに対して「恋人は?」とか、結婚した男女に「子供は?」と聞くことは私もあるのだけど、そういった質問が嫌な場合はそういってくれれば、以降はその人物に対してそういう質問はしないことを心がけることができる。これはプライベートの話に限らず、仕事(収入)の話は嫌とか、政治と野球の話は嫌とか、相手によって、その話はしたくないということには違いがあるから、それをはっきり言うこと。
察してほしい、周りに助けてほしいは、自分がやるべきことをやってから求めることだ。まあ、大抵の場合、そうすると孤立するけど、それはそれでしかたがない。

蒼龍(脱原発・脱被曝に一票)@souryu_nonukes
僭越ながら「はっきり言ってほしい」とのご希望なので申し上げます。
若い女性に限らず、他者に結婚(恋人も含む)や子どもの有無を聞くのはセクハラに相当すると愚考します。相手が嫌がるかどうか以前に、そういう質問はお控えになった方がいいと思います。
https://x.com/souryu_nonukes/status/1515461683329712129

他者に結婚や子供の有無を聞くことをセクハラとは思わない人々も多くいるでしょう。だから、言うことは言う。でも強制はしませんよ。そうしないと相手には伝わらないことがあるということです。
●2022年4月17日
周りが勝手に変わってくれると思っているのか、それとも私を凹ませられたら満足なのか。だからレイプという言葉の意味を考えもなく使える。実際の暴力である強姦と、言葉でのハラスメントを同じように考える。この件の場合だと、被害者と加害者という関係ではなくて、相手に失礼なことを言われて言い返せたか言い返せなくて腹が立ったか、という違いだと私は見ている。言葉の達人になりたい詩人が、その言葉を使って相手にやり返せないということ。そこには男女差・年齢差・権力の差がたしかにあるだろうけれど、それを「察して変化してくれ」とつぶやいたところで何も変わりはしないだろう(一応、これは文月さん個人にあててのコメントではない)。
●2022年4月19日
実話として、170cmを越える身長の姪(19歳)に対して「太った?/おお、しゅっとして痩せたなあ!/大きなったなあ/スタイルえーやん/脚ながいやん」と言ったことがあるので、私はセクハラおじさんになるのかな。
日曜日、海外留学している甥姪が日本に帰ってきてたので、兄家族が揃って我が家にやってきて、私と母とみんなで焼き肉を食べた。身長が伸びたのかどうなのかは分からないが、姪がなにかワンサイズ大きくなった(肥ったという意味ではない)ように感じたので、「大きなったか?」と私は聞く。18歳を過ぎた女性がさらに大きくなるというのは見たことがないので、これは驚きながらいう台詞だ。姪は「そうやねん。なんか身長伸びたかなあ?」と返事する。普通に、笑いあいながら。さらに私はうしろから姪の胴体部分をハグして持ち上げて彼女の重みもはかる。これは体重を知りたいというようなことではない。私と兄家族の関係はとても良好なものなので、小さなころの甥姪と風呂に入り洗ったり、一緒に買物に行く時に肩車したりということを普通にしている。その延長として、娘さんにはなったけど、まだまだ子供っぽい姪を抱えて重みを知る。姪も義姉もそのことを嫌がったりしない。もし嫌なのなら、姪は「それは嫌!」とちゃんと言う性格だから、以降しないようにするだろうけど、そんなぎすぎすした関係ではないから、私は平気で甥や姪と会話や接触をする。
甥も姪もじゃんじゃん行動するのがすごい。彼らにとっては飛行機に乗って外国に行くことは、私の若者時代に東京に行くことよりも手軽な感じに見える。それで向こうで友達を作って過ごし、でも帰って来たら集まって一緒に飯を食ってくれる。遠慮のない関係。でも「恋人はおらんのか?」と聞くと、「ああ、セクハラやあ」と騒がれた時期は一瞬だったけどあった。いまも聞くけど、いまは「おる/おらん」で応えてくれる。「恋人はどんな人?」というところまでは踏み込まない。話してくれるのなら嬉しく聞く。おりょ、何の話をしたいのかの流れが見えなくなって、ちと混乱してる。個人の線引きのことを言おうとしてるのかな。踏み込まないでいるほうは簡単だ。触らなければいい。アンタッチャブル。なにも言わず、黙って飯を食う。でも私と家族との付き合いはそうではない。甥も姪も、一緒に飯を食べてしゃべっているときはスマホを見たりしない。でも、食事中に甥・姪のスマホになんらかの連絡があったのなら電話に出ても誰も失礼だとは思わない。
良好な関係の親族とのコミュニケーション
良好な関係の他者とのコミュニケーション
不良な関係の親族とのコミュニケーション
不良な関係の他者とのコミュニケーション
険悪な関係の親族とのコミュニケーション
険悪な関係の他者とのコミュニケーション
●2022年5月2日
セクハラオヤジ的発言をすると、顔出しをしている若い娘さんの写真を見ていて、「笑顔撮影をしてほしいなあ」とよく思う。自撮りではまず無理だし、誰かに撮影されるとしても難しいからだ。俳優ならできるのかもしれないが、自然体の笑顔を捉えることはなかなか難しい。
作られた笑顔の見方にもいくつかの側面があるね。自分自身でいうと、その写真を撮られたときに意識して笑顔を作ったのか、無意識に笑っているときに撮られたのかという違いがある。自分のことをよく知っている友人が、笑顔の写真を見て、作り笑いかどうかを判断するのもある。
●2022年5月19日
園子温監督が出版社を提訴 性加害記事「事実と異なる点」(共同通信)
https://news.yahoo.co.jp/articles/56b6c2c66e8fa20061c131547233c002613dc706(記事は現在読めない)

これはどのへんまで情報が出るのだろうね。私は「言った/言ってない」というセクハラ的な言の問題と、権力を使い枕営業させたという動の問題には明確な線引きが必要だと思っている。痴漢や強姦は言うに及ばずだが、身体的な実害を受けたことと、嫌なこと・失礼なことを言われたこととを同じにしてはいけない。それを一緒にしてしまうと、お客に嫌なことを言われたから訴えるということも可能になってしまう。セクハラやらパワハラがなくなるような世の中にすることと、言い返せばいいだけのことをいちいち訴えて加害者にすることとは違う。
なんでもかんでもすぐに〇〇ハラスメントとして過度に攻撃する世の中になったとき、そのぶり返しが起こることのほうが怖いと思っている。良し悪し関係なく、挑発された側の最終手段は暴力になることは事実としてあるからだ。いまのロシア・ウクライナ戦争もそういう側面があるだろう。で、その暴力的手段に段階が進んでしまったとき、言葉や主張はどれだけ立派であったとしてもなんの役にも立たなくなる。だから最初にちゃんと主張する。人見知りだとかなんだとかは子供の言い訳でしかないことをしっかりと知ること。あれまあ、また説教だ。
●2022年6月6日
近頃の政治ニュースで、年齢が上の男性議員が、同党の女性議員に「美人」や「可愛い」と言ったことを批判的に捉えている記事を読んだ。その何が問題なのか私にはさっぱり分からないものの、見た目の美(醜)に関わることを当人に伝えることがセクハラになりつつあるようだ。
晩飯中にそのことを姪に聞いてみた。顔に関しては友人同士では自分のことも含めて「美人」「可愛い」「そこそこいけてる」「普通」と評価を言い合うことはあるようだが、おっさんから言われるとセクハラに該当するそうだ。しかし私は姪に「おお、きれいになったなあ」「上等やん」などと言ったことがあり、そのことを聞くと「友おじはいいけど」と親族であるからOKのようだった。さらに踏み込んで、じゃあ「ボインちゃん」「グラマー」などはどうかと聞くと、「ボインちゃんはあかんやろ!」と姪にも義姉にも即答された。グラマーも、あまり言っていい言葉ではないようだ。女性がセクハラと感じるということはセクハラ発言になる時代なのだろう。
では逆に、女性が男性に対して「イケメン」「背が高い」「マッチョマン」というのはセクハラに該当しないのか? さらに言えば「ブサメン」「陰キャ」「オタク」など、相手を批判的に捉える言葉を自分は言っていないのか? 私は詩人を自称しているので、言葉狩りは大嫌いである。とはいえ失礼にあたる発言というのを肯定はしない。しかし自分が失礼な言葉を言ったことを理解したのなら相手に謝ればいいし、自分が言われたのなら言い返せばいいと思っている。
先の踏み込んだことを姪に聞いたとき、顔よりかは身体・体型に関する発言のほうが他者とはしないと答えていた(親しい友人や親族は別)。
私が他人に訊いたことのある内容で最もセクハラ的な質問は、子を産んだ母親に対して、「我が子に授乳するときはどんな気持ちがするのか?(他人の子にあげたことがあればそれも)」というものがある。もちろんこれは相手を選んで聞いていることだが、これまでに十数人には訊いたことがある。この質問はエロ・快楽を知りたくて訊いているのか、動物(授乳する母)としてどう感じるのかを知りたくて訊いているのかで、相手が質問者をどう感じるかが変わるだろう。私は後者として知りたいということを最初に説明するようにしている。
言葉自体を狩るのか
発言内容を批判するのか
言った人物を非難するのか
とにもかくにもその人物を拒絶していないか
美醜(特に褒め言葉である美)を当人に言っても問題になることはほとんどないだろうけれど、公の場で「〇〇さんという美人(女性)議員がいる」とかっていうと問題とされるのか。誰かに対して言った言葉を当人ではない人物が「それはセクハラだ」という不思議。著作権侵害とちょっと似てるね。著作権の侵害は親告罪だから、自分の作品を盗まれたりコピーされて実害を受けた当人が告発しなければ問題にはならない。「あなたの絵や構図がパクられてましたよ」と他者に言われても、「ああそうなんや、じゃんじゃん真似てねー」って作者が言えばなんら問題にならない。だから気にしなくていいって話ではないけどね。でも、あんたらが新聞記事を写真にとって挙げてるのも著作権的にはグレーなんやで。でもそれを言い出したらネットに写真を挙げようとするたびに気にしなければならなくなる。そんな世の中になるのはいややから「テキトーでええこと」を覚える。
かちんときたら言い返すこと。
間違ってたと思ったら謝ること。
自分にとって「それはどうでもええわ」という判断をできるようになること。
どうでもええことには口をはさまんこと。
うーぬ・・・
まあ、あんまり考えすぎると、沈黙するしかなくなりそうになる。
●2022年7月13日
とがし ゆみこ@yumicomachi
Wordの「置換」機能をはじめて使ったけれど便利すぎる。何十枚も書いたあとで登場人物の名前を変更するときとか、、、。
https://x.com/yumicomachi/status/1547019005579657216

痴漢昨日を知ったころ、ある単語を他の単語と置き換えて遊んでみたりしてました。
#セクハラといわれそう
●2022年9月27日
戦後七十年間、徴兵制などなく、だれも戦場で殺し殺されたりしていない国としてやってきた政治家に対して「戦争に向かっている」と、根拠なく喚く。で、そんな文化人や大学者やらが自分はセクハラして不倫して子を捨ててという人物だったとしてもそれらは問題にしない。ふーむ、こんなにも変わるものなのかと自分のことに驚くが、本多勝一や筑紫哲也が日本の平和を守ってきたわけではないだろう。守ってきたのは、頑張ってるのに文句ばっかり言われる側にいた人たちであって、えらそうに政治家批判をすることが正義だと嘯いている人たちではなかったということ。
●2022年10月23日
自分の嫌う政治家には何を言ってもいいというカルト
自分の嫌いな人のすることはすべてセクハラだというカルト
詩を書くカルト
四角いカルト
オカルトがあるのだからアカルトがあってもいいじゃないかというカルト
レッツカルト
ゴーゴーカルト
ちょっとそこのカルト取って
そこのカルトってどこのカルトよ?
そこのカルトっていったらそこのカルトよってカルト
出カルト
しゅつりょくると?
脱出カルト
ダツデカルト
逃げるデカルト
追うカルト
そこのデをつかまえろー!
そこのカルトじゃなくて?
デモカルトモつかまえろ!
モモモつかまえるの?
モデルモカトモ
やっとここまでたどり着いたよ

カルト
モモ
カルト
デデ
カルト

カルト
文字が記号化していくね。
●2022年11月10日
園子温 12月公開映画に「脚本・山本孝之」でステルス復帰!妻・神楽坂恵も“偽名”は「事実」と認める(SmartFLASH)
https://news.yahoo.co.jp/articles/15d95ddae83496560d834378ffbd7cf02698d941(記事は現在読めない)

いやなニュースだけど、過去に取り上げたので追いかけておく。推定無罪が原則なので、「裁判の中で、記事の内容が事実でないことを明らかにしてまいりたい」というその内容がどういうものなのかが明らかになった後に、セクハラ加害者だったのか冤罪だったのかを判断することにする。
●2022年11月18日
もう一冊、向坂くじら『とても小さな理解のための』しろねこ社も注文した。これはまだ届いておらず。向坂さんは朗読姿を一度見たことがある。で、文月さんと向坂さんとが気になったことのキーワードは「セクハラ」だろうと考えている。文月さんとは、過去に彼女がされたというセクハラ発言に対して、私がおっさんのいらぬおせっかいツイートをしてしまった経験がある。同時期に向坂さんも、彼女が受けたセクハラのことをブログに書いていて、それを読んだ記憶がある。そのことが自分のどこかで気になっていたのだろう。
●2023年4月6日
弁護士ドットコムニュース@bengo4topics
早稲田大学の元教授で、文芸評論家の渡部直己氏から「俺の女にしてやる」と言われるセクハラなどを受けたとして、元学生の女性が訴えていた裁判の判決が言い渡されました。
東京地裁は渡部氏だけでなく、早稲田大学にも賠償命令を下しました。
https://t.co/oCqmWGNFqT
▼2023年4月15日
あれまあ、あんまり触れたくない出来事だけど、園子温のセクハラも追ってるから、なんか書いてみようか。
2016年の話だから、64歳の男である渡辺直己が24歳の女である深沢レナに対して「卒業したら俺の女にしてやる」とかって言うのか……まあ、集団の仲の良さ次第では冗談になる発言ではあるけど、教える側が教え子に言うってのがダサいよなあ。私は今50歳だから20代の子と話ができる状況というのはそうそうないことだ。実際に、姪か親戚や友人の子供以外の若者と接する機会なんてほとんどない。なので50代のおっさんが20代の娘さんを口説くこと自体がめちゃくちゃ限られた場所にしかないことを理解している。ほんでも口説く自由はあるわけだけど、この人の場合は教える場において教え子を口説くという問題がある。その状況は、自分がいる場所(大学)と上下関係(教師と生徒)に頼ってるからできるのであって、そうじゃなければ、「うわ! きもいおっさん」と言われておしまいだろう。
次にされた側について。こういうことはできるだけその場所で直接抗議したほうがいいというのが私の考えだ。なんらかのセクハラを受けた時に直接「迷惑です」と言っておけば、それで済む場合が多いからだ。この出来事は過去のことに対して訴えて勝ったわけだからそれでいいけど、いま、これからの対処として、その時その場所で言うってことをしないと、世の中(周りの環境)は変わらない。
次にこの出来事に対してした伊藤比呂美のツイートに対して文句を言ってる人たちについて。これはやめた方がいい。彼女には彼女側の理由があるのだし、彼女が何かをいう自由はある。伊藤比呂美もセクハラをしていたというのならともかく、セクハラをしたのは渡辺直己なんだから、彼を非難すればそれでおしまいでいいはずだ。何らかの意見をいった伊藤比呂美に対してがっかりしたとあなたが思うのは自由だけど、彼女を攻撃するのはちがうだろう。
ちょっとよく分からないのは、なぜ透明性を見せようとしないのかだね。「早稲田の件」という書き方も、「実名攻撃」も、なぜ書かないのか私には理解できない。はっきりさせるものははっきりさせたほうがいい。この件では被害者自身が顔と名前・深沢レナ(筆名だが彼女が活動するときに使っている名前なので実名と違いはない)を出しているのだから、隠すために考慮しないといけないものはないだろう。じゃんじゃん言う、じゃんじゃん書く。でも間違っていたら謝る。わざわざ複雑にしないこと。

伊藤比呂美@itoseisakusho
もともとの渡部氏のセクハラについては、何も反論はない。絶対にやってはいけないこととわたしは考えている。
https://x.com/itoseisakusho/status/1645816677895127041

なるほど。伊藤比呂美が「助太刀いたす」と書いた(ツイートは削除されている)のは渡辺直己のことではなくて、他の人に対してということか。どうやらこれは、渡辺直己がセクハラしていることを知っていたのに非難しなかった相手を巻き込んでいることに対する助太刀のようだ。

kazuy1929 はに丸@kazuy1929
「助太刀いたす」とは、詩人の伊藤比呂美氏が、深沢レナさんからセクハラ行為により告発された元同僚である早稲田大学教授だった渡部直己氏に対しての擁護発言。(以下略)
https://sankei.com/article/20230406-YHBI6SVQUNKHVIWUCYLYYNOO2Y/
訂正
伊藤比呂美氏が「助太刀いたす」としているのは、渡部直己氏に対してではなく、深沢レナさんがセクハラ当事者とし実名をあげている他の人物に対してのもの。渡部氏のセクハラについては反論はないとし、この人物への告発は事実でないと擁護するものであった。二次加害であることに変わりはないが深沢氏勝訴。長い闘いご苦労様でした
https://x.com/kazuy1929/status/1647140352619601921
早稲田大学大学院教授だった文芸評論家の渡部直己氏から在学中にセクハラを受けたとし、元大学院生の深沢レナさんが渡部氏と早大に計660万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で東京高裁は22日、渡部氏と早大に計99万円の支払を命じた。
https://mainichi.jp/articles/20240222/k00/00m/040/313000c

二次被害どころじゃなくて、三次被害四次被害になってるんやろなあ。ほんで、ここからは私の持論を書いてみる。
セクハラやパワハラをされたとき、非難されるべきはセクハラ加害者で、それと戦うのは被害者当人であって、同じ場所にいた人たちは関係ない。どんなことでも程度の問題はあるが、特に口で言われたというセクハラ・パワハラの場合は、そこにいた外野がその発言を非難しなかったから同罪だ、なんてことにはなってはいけない。なぜなら、言い返す自由は当人にあるからだ。立場として弱い側にいるので守ってほしいという意見もあるだろう。それはそれで構わないが、その場合にはあなたは子供だということになる。そして子供(庇護者)は保護者のいうことを訊く必要があるということになる。日本では20歳(いまは18か?)で大人になるわけなので、その大人を他人が保護したりはしない。一応、これは手を出さない・助太刀しないという意味ではないが、外野が助太刀する必要はないし、しなかったからといって非難されるいわれもないということだ。相手を大人の個人として接する人であればあるほど、いらないお世話は焼かない。誰かに対してされたセクハラ発言を聞いて私がうんざりしたとしても、「自分に言われたわけではない」と思うだけだ。いわれた側を「可哀そうに」と思うことはあったとしても、言い返すかどうかの判断はいわれた人がすればいい。
この出来事を追いかけていて、どうやらいろんなことが分かってきた。この「伊藤比呂美への要望書」に書かれていることを読むと、深沢レナと支援者は、彼女がセクハラ被害を受けていたときにいた人物・知っていた人物を名指しで攻撃することをよしとするのやね。


さらに、伊藤比呂美が「わたしもあのとき早稲田にいた一人だ。なぜ攻撃しない?」と自分がその名指しメンバーの中にいなかったことを問うていることを読めていないということか(ただし、名指しされた元ツイートは削除されているので、伊藤比呂美が書かれていなかったかどうかは追えず)。
▼記事引用
伊藤氏が、何に「助太刀」をなさりたかったのかは、明確には記されていないため不明ですが、実名を挙げられた早稲田の教員の仲間が「被害」を受けていることを憂慮して、教員側への「助太刀」をなさったことは明確です。
ただし、この行為は当然、彼らを(さまざまな濃淡はあれ)加害者側の一部と認識するわたしたちにとって、明確な二次加害の意味をもちえます。
この二次加害が、この国の文学界を代表する一人のベテランの、フェミニストの女性詩人による行為であることを、わたしたちはきわめて深刻な事態であると考えています。

これは違うだろう。なら、ウクライナで行われている戦争を知ってるわれわれは、その行為に対してなにがしかの意見をいわなければ加害者側の一部となる。それは社会に甘えすぎだ。
▼記事引用
そして、「彼女の言い分はすべてが事実ではない」という一文も、あまりにも不可解でした。
この日本語文が、もしも「全否定」を意味するのだとしたら、伊藤氏は、今回深沢が勝訴した裁判が認定した事実内容そのものを否定することになりますから、「法治国家」に従うべしというご自身の発言を、みずから裏切っていることになります。
あるいは、この日本語文が、「部分否定」を意味するのだとしたら、深沢のどの部分が「事実でない」のかを、具体的に指摘していただかないかぎり、たんに深沢の名誉を損ない、社会的信頼度を貶めるためだけの暴力的な発言になってしまいます。(もとより、それを第一に意図したツイートだったのでしょうか。)

ここは難しいね。文面通りであれば全否定になる文章だけど、伊藤比呂美はセクハラ加害者である渡辺直己は否定しているわけだから、ここは「彼女の言い分のすべてが事実というわけではない」と私は解釈した。その後の記事に書いているとおり、何が事実で何が事実じゃないかは伊藤氏と話し合えばいい。名指しされた佐々木敦と深沢レナのやりとりは以下の通り。
▼記事引用
実名のなかのもう一人、佐々木敦氏(同じくかつての教員)には、今後の裁判において協力していただく可能性を含めて、交渉を試みました。でも残念ながら、「これまでずっと深沢を全面的に支持してきた」と表明される反面、大学や関係者に対するご自身の距離を繰り返し強調されるとともに、「できることとできないことがある」という当たり前のスタンスを崩されることはなく、実質的には、とくに手を差し伸べていただけないことがわかりました。
▼佐々木敦氏の4ツイート(現在は削除されている)
メールの末尾をコピペします。
「●●様も、ご自身の健康にはくれぐれも気をつけてお過ごしください。
今後またなにかありましたら遠慮なくご連絡ください。
陰ながら、最良の決着を心より祈っております。」
以上です。

もちろん自分の理解と判断が完全にい正しいとは思っていません。しかし時間が経てば見え方も少し変わってくるのではないかと思っています。
でも、ご期待に添えず申し訳ありません。。」

僕はたまたま、おそらく世間の人から思われている以上に今回の出来事の経緯と細部を知っているので(「関わっている」ではなく「知っている」ですが)、それらを踏まえた上で、ひとつひとつ判断するしかないと思っているからです。

このメールに返信はなく、その後の「要望書」で言及が為されました。
以上が「出来ることと出来ないこと」のコンテクストです。
これを読んでもわかってもらえない人はいるだろうと思いますが、いちおう補足しておきます。

あれまあ、この出来事を調べていたら「大学のハラスメントを看過しない会」にブロックされていた。これじゃあ「敵認定した側の意見はきかない会」と私は認識するよ。ほんでこれは誰かを攻撃するためにしているわけではなくて、ある出来事を私の知れる範囲で見て意見しただけなことを強調しておく。
●2023年4月21日
セクハラの件もそうだったよなあ。広河隆一や渡部直己のことは取り上げない。でも、たとえば元首相の森さんのしたちょっとした失言には噛みついて非難する。そういうものの見方に疑問を持たない人が詩を書いている。まあ、書くのは誰でも自由だけど。世の中が悪い、それは政治家が悪いからだ、だから非難するし攻撃する、私は何も悪くない弱者だ、働いても豊かにならない、それは政治家が悪いからだ、でも投票したくなる候補者がいないから選挙にはいかない。
ほんなら政治家になったらえーやん。でも三百万を用意できず、仮にできたところで立候補なんかせんやろ。でも非難はする。毎日飯を食いながら、布団の中で眠りながら、世の中は悪くなっているとスマホを見ながら。
●2023年4月28日
河野聡子(TOLTA)『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』重版出来@toltaroppo
伊藤さん、これはあまりに卑怯なやり口で、ありえないですね。本当にありえないです。稲川方人氏のインタビューの件も心底がっかりしましたが、メディアを使える立場の人間がこんな風に書くなんて。
https://t.co/uybQ9vPkFP

これもそうだよなあ。この出来事で伊藤比呂美に対して文句を言ってる人たちは、出来事を追いかけているのやろか? 彼女が書いた「助太刀いたす」(ツイートは削除されている)はセクハラした渡部直己のことではなくて、その出来事で実名を書かれた同僚に対して言ってたのを分かってるのかなあ?
●2023年5月11日
早稲田大と渡部直己氏に賠償命令、元院生に対する「俺の女にする」発言をセクハラ認定…東京地裁(弁護士ドットコムニュース)
https://news.yahoo.co.jp/articles/abe97f8610c21f53a7cc87a06d8a19f4dad89a1a(記事は現在読めない)

まだ続いていたのか。この出来事のセクハラ問題は損害賠償(60万5千円)で終わってる。そこから起きた伊藤比呂美のツイートに対する問題は、伊藤氏がツイッターを使わなくなったので追うのを止めた。伊藤氏の方は何も問題ないしね。

時折みぞれ (Sleet Sometimes) @山ぷろ@hydropunk_2019
スレッドでこちらも再掲します。わたしが川上氏について書いたことが伊藤比呂美氏のファンの方に届けばよいなと思う(わたしにそんな影響力ないけど)。信仰や尊敬は人間が生きていくうえでとても大切なことだと思うけど、状況次第ではとんでもない暴力の原動力となってしまう。
https://x.com/hydropunk_2019/status/1656631560005910528

こっちが許さない側の意見。なぜ伊藤比呂美をこんなに攻撃するのかは私には理解不能。ちなみに「大学のハラスメントを看過しない会」に私はブロックされている。攻撃してるつもりはないんだけどね。そういや、この出来事のツイートで自著を宣伝することを非難している人たちもいたことには驚いた。炎上は好きで寄ってきて悪口言うのに、宣伝はあかんねやね。どんな基準なんやろ?
●2023年4月30日
関係しているように見えて
実は遠いところにある
仲間集めて批判して
身近なものには目を向けない

関心ある物事のはずなのに
厄介なことになりそうだと
騒ぎを横目に見ぬふりして
頭の中で反論する

前者は政治
後者はセクハラ
詩人は何を取り上げるのか
●2023年5月12日
にしても…… まあ、これが現実ってやつやけど、世の中の問題や政治家への非難や差別がどうのこうのと普段は言ってる詩人たちが、自分たちの身の回り(自分の近くという意味ではなく、関連しているという意味)で起きたセクハラ事件には沈黙しているのってなんなのやろね。根本的に興味がないのなら関係ないけど、興味があって、ほかの人たち(たとえば芸能人とか)が起こしたセクハラ問題には大騒ぎしたりたかっていくのに、ほんまに言わなあかん近場の出来事となると口を閉ざす。それでなんで世直しができるねん。世直しするつもりなんかありませんというのはもちろんアリやけどね、なら普段問題提起してるのはなんでやねん?
自分には一切火の粉が降りかからないであろう問題には口を出すし、なんなら悪しざまに攻撃するけど、ほんまに言わんならん近場には言わん。そのくせ、ほかの人たちが見て見ぬふりをすることには攻撃する。逆やろ。近場の問題であればあるほど、それで関係がまずくなったとしてもちゃんと言う。遠くにあることを批判してもええけど、それは遠くのおはなしであって、いちいち取り上げる必要なんてないねん。これは人づきあいでもそうなんよね。見ず知らずの人や、ツイッターでちょいとやり取りした相手なんかに丁寧に接する必要はない。これはわざわざ喧嘩腰になったり邪険にあつかうという意味ではなくて、遠い相手にはどう思われてもええという意味で。千だの万だのいいねがついてるツイートをリツイートしたりいいねしたりもそうなんよね。一件もいいねがついてないけど、このツイートは素敵・いいツイートだ・納得する意見だ、とか自分が思ったのならいいねを押すべきやろう。マイノリティ(少数派)を気取ってるくせに、同じマイノリティで頑張ってるものにいいねを押したり、なんらかの働きかけはせず、でもマイノリティの自分の意見は聞いてほしいし作品も見てほしいそして評価してほしいって、なんじゃそりゃ。
●2023年5月12日
あれまあ……
深沢レナが受けた渡部直己から受けたセクハラ被害をいま調べてみると、ここから生じたツイッターでの二次被害は伊藤比呂美がめちゃくちゃ被ってんじゃん。ねないこわめがやし、ちょいと指摘していこうか。
●2023年5月12日
アタック終わり。これだけ言葉を費やしてコミュニケーションを取ろうとしている私を説得するような意見がいえないのに、もっと性質の悪いおっさんたちに「セクハラ! セクハラ!」って騒いでたら世の中が変わると思ってるのやろか。
●2023年5月12日
あれまあ、なんか通知が来たと思って返事しようとしたらブロックされて書けなくなった。なにがしたいんやろ? 意見する相手を断絶することがセクハラをなくす方法ということやろか。その沈黙(断絶)をいま伊藤比呂美はツイッターでしてるわけやけど、それは「返答すべき」と非難する。意見をじゃんじゃん書く奴はブロックして、黙ってる人には「返事しろ!」というのがこの手の人たちのユートピアのようだ。
●2023年5月15日
セカンドハラスメントについて。私自身も文月悠光さんのしたツイートを引用して意見したときに、この行為が「セカンドハラスメント」「マンスプレイニング」だと指摘され非難された。

青井ケイ@審神者六年生@kei9744
お手本のようなマンスプとセカンドハラスメントの悪魔合体。
https://x.com/kei9744/status/1515520689146834949?s=20

私自身はいまもこのツイートを悪いこととは思っていないものの、同じ詩人界隈なので、いつか文月さんに会うことがあれば、このときのことを謝罪しようと思っている。謝罪する理由は、悪意から発した言葉のつもりはなかったのだけど、彼女が気を悪くしたのであれば、それは申し訳なかったと思うからだ。ツイッターであやまればいいじゃないかという意見もあるだろうが、それは違うと私は考える。謝罪は直接本人にするものだからだ。
次に深沢レナが渡部直己から受けたセクハラ問題について。加害者は渡部直己、被害者は深沢レナで、民事訴訟により賠償(渡部が55万円、早稲田大学が5万5千円)を命じる判決が出た。この賠償金が支払われた時点でこの問題は終わる。
このセクハラ被害からは、伊藤比呂美のツイートがセカンドハラスメントだと騒いだ人たちがいるが、法律としてはなにも問題がないし、そもそも被害者を攻撃する内容ではない。伊藤比呂美のツイートを誤読した者たちが伊藤比呂美に失望するのは個人の勝手だが、彼女を攻撃するのは間違っているし、そもそも誤読している自分を見直せと私は主張する。
自分の誤りを知ったとき、その人はそれから何を行うのか? 何もしない何も言わないでももちろんいい。誰もそのことを責めたりしないし、私も意見は言うけど誰かを責めているわけではない。ただし、沈黙した反省は他人には見えないし、場を改善するための運動にもつながらない。その言動はあなたをつくりあげていくというだけだ。ツイッターやネットを見て、その情報を知って何らかの反応や意見をする。それだけで変わることもたくさんある。直接会ったり話したりはしていないけど、琴線を揺さぶるということ。
●2023年5月18日
歌舞伎俳優・市川猿之助さんと両親が倒れているのを発見 両親は死亡(日テレNEWS)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f9529f4e14df13092c2b6f094078100f28610d04(記事は現在読めない)

ああ、この手の話はもう取り上げたくないものなんやけど、死んだらあかんのよなあ。
私は、自殺は殺人やと思ってる。我々人類は自分も含めて人間なんやから、自分という人間を殺す殺人なわけや。昨今書き換えられることの多い「自死」という言葉は嫌いだ。行為として自死と呼べるのは自ら餓死するくらいのものだろう。ほんで、こういう意見に対して「それを自殺した家族や友人にも言えますか?」とかって反論するものがあるけど、それは大きな間違いや。そんなん自殺した家族や友人に言えるわけないし、私は絶対に言わない。自殺された家族や友人は被害者やねん。事故や病気で自分の大切な人が亡くなった状況と同じやねんから、その相手に「どう思いますか?」とかも聞くわけがない。その被害者と対面したときに「あなたのせいではないよ」くらいのことは言うかもしれへんけど、それ以外のことなんかなんも言えんのよ。だから死んだらあかんねん。犯罪者に対する死刑の問題は置いといて、心中や、酒飲みや無謀な運転で同乗者を殺してしまったとき、自分だけが助かり、そのあと生きなあかんのも地獄やで。だからそういうことはしないように心がける。そうじゃない事故で、同じように同乗者が死んでしまった場合もつらくはあるけど、事故はしょうがないと踏ん切りがつくことはあるからね。でも自殺や自分の無謀な行いで起きた殺人は違う。なにがどうしてこうなったのかはまだわからんけど、セクハラやパワハラ問題を騒がれるのがいやで自殺・心中したのやとするとなあ……死ぬ・殺すのと、セクハラ・パワハラと、それを知って誰かを攻撃・炎上することと、なんか、重さが違いすぎるなあ……
●2023年5月25日
だから鏡なわけです
言葉を見たあなたがどう思うのか
発言者は関係ない
複数アカウントや覆面プレイをすること
他人の作品をちっとも紹介しないこと
自分じゃない人のセクハラ問題には触れないこと

言葉を書いたからといって
私が特定の誰かを攻撃しているわけではない
しかし責められているとあなたは感じる
なぜ?
うしろめたいことがないのなら
気にしなければいいだけの話
言葉には力がある?
言葉で他人を変えることなどできやしない
けれど見たあなたは何かを思う
鏡として
●2023年5月29日
言葉のやり取りでいくら腹を立てようがそいつを嫌いになろうが、それは各人の自由にすればいい。でも、言葉のやり取りでは互いに無傷だ。ナイフや銃は違う。これは言葉のセクハラ・パワハラと痴漢・体罰・強姦との違いにも言えることだ。ちょうど、今月のココア共和国に載った詩(私なりの引用・コラージュ詩)を作っているときも、そのことは考えた。
▼言動――2023年の叙事詩――こひもともひこ
・山上徹也
母と子と自立の問題を統一教会のせいにして、そこに挨拶文を送っただけの安倍晋三を射殺した。
・木村隆二
岸田文雄の演説中に爆発物を投げつけ殺害を失敗し、周りにいた人たちに怪我を負わせた。
・落合恵子(本人の発言より)
「安倍元首相に生きててほしかったんです。(略)疑惑を晴らしてから死ねよって、私は思います。たくさんの疑惑があったじゃないですか。知らんぷりですか?」
・石坂啓(本人の発言より)
「(事件を)知ったときは思わず、でかした! と叫びました」
「夫は山上様と呼んでいます」
・島田雅彦(本人の発言より)
「いままで何ら一矢報いることができなかったリベラル市民として言えばね、せめて『暗殺が成功して良かったな』と。まあそれしか言えない」
・宮尾節子(「明日戦争がはじまる」より一部引用)
じゅんび

ばっちりだ

明日戦争がはじまる

落合恵子の発言(YouTubeより)
・安倍「国葬」やめろ! 緊急市民集会&デモ @新宿 2022.8.16 落合恵子

石坂啓の発言(YouTubeより。45分ごろ)
・2022.9.26_安倍元総理銃撃事件の映画を「国葬」前日に公開!足立正生監督作品「REVOLUTION+1」上映後のトークイベント

島田雅彦の発言(えとせとら氏のTwitterより)
・島田氏が発言している動画

夕刊フジの記事より
・さらに驚愕、島田雅彦氏〝回答の矛盾〟 安倍元首相の「暗殺成功して良かった」発言を安全保障に話をすり替える姑息さ 反面教師にふさわしい
https://news.yahoo.co.jp/articles/a2fd40773a9fc35af3672ac766f276c84e24886b(記事は現在読めない)

この詩で意見の主張はしていないが、やったことの悪に序列を付けるのなら山上>木村>落合・石坂・島田であり、木村と三人の発言者の間にはとてつもなく大きな差がある。何かを言われて傷つくことと、暴力を振るわれて傷つくことは違う。自分はどちらが嫌だったではなく、ここの線引きは絶対にしないといけない。そのうえで、言論の自由を考える。
●2023年6月6日
櫻井翔が性加害〝真相究明〟発言 ひろゆき氏「番組で調査すれば良くない?」(東スポWEB)
https://news.yahoo.co.jp/articles/42ecec5c5b236dd8e708130a62c90f0e56eafcd4(記事は現在読めない)

この意見に同意する。けれど、やらないことも分かっているのがしんどいけどね。自分に関係する物事になんらかの問題があるとき、人は口を閉ざす。そこに損得があればあるほど沈黙する。セクハラしかり、パワハラしかり、けれど政治家のスキャンダルには大声で騒ぎ立てる。詩人界隈にも多いね。10万円もらったことも、マイナンバーカードでもらったポイントのことも言わないくせに、マスクはいらないだの、個人情報を紐づけするなだのいってる輩が。天からマナを降らせても、それに食い飽きた人は文句を言う。感謝のない愚者たち。
●2023年7月9日
山下達郎、音楽プロデューサー・松尾潔氏との騒動について初言及「社長に契約終了を促してもない」(スポーツ報知)
https://t.co/qG0H5mQ7Gy(記事は現在読めない)

出来事の発端はジャニー喜多川のセクハラ(というか枕営業)なんだけど、それ以外の人たちの問題は難しいなあ。ジャニー喜多川がやっていた自分の育てているアイドルグループの少年に対するセクハラ(があったとして)を山下達郎はどれくらい知っていたのか? 通常、SEXに関する行為は個室で行われるので、どれだけ親交の深い関係でも、その人のSEX事情を他人が知ることは難しい。そして、仮にこのセクハラや枕営業を知っていたとしても、ジャニー喜多川と親交を持つ山下達郎が同じ罪・セクハラを犯しているわけではないということ。
1:セクハラしていたことを知らない
2:ある程度知ってるけどそれはキャバクラで女の子に触るようなものと判断している
3:枕営業を知ってるけど、芸能界というのはそういうことがあるものだと理解している
4:性奴隷のような扱いをしているのを知っているけど、この人物との親交には利があるから問題にしない
セクハラをしていない人物がセクハラを追及されている人物と親交があったとき、この順番でその人の印象が変わるだろう。いまの時代は3・4はダメだと判定されるだろうが、といっても山下達郎本人がセクハラしたわけではないので個人としてはなんら問題にされることではない。セクハラをした当人を叩くのではなくて、セクハラ者と親交のある人や、その出来事の近くにいた人までも叩くというのは間違いだ。しかし場としての問題はある。
ジャニー喜多川は亡くなったのでセクハラの罪を誰か・何かに負わせることはできない。となると、場をよくするためにはどうすればいいのか? を考えるしかない。ほんでもまあ、自分に利害が発生しそうな距離の出来事となると、人は口をつぐむなあ。
●2023年8月20日
そこから、「触る」ということを考えるようになった。自分の大切なものには多く触ったほうがいい。おもちゃも道具も街路樹の草木花も、犬と目が合ったら犬も触る。セクハラや痴漢はダメだけど、そうじゃない相手なら人にも触る。子に触り父母に触り祖父母に触る。
すると当然、この詩が頭に浮かぶ。

さわる。
木目の汁にさわる。
女のはるかな曲線にさわる。
ビルディングの砂に住む乾きにさわる。
色情的な音楽ののどもとにさわる。
さわる。
さわることは見ることか おとこよ。

さわる。
咽喉の乾きにさわるレモンの汁。
デモンの咽喉にさわって動かぬ憂欝な智恵
熱い女の厚い部分にさわる冷えた指。
花 このわめいている 花。
さわる。

さわることは知ることか おとこよ。

青年の初夏の夜の
星を破裂させる性欲。
窓辺に消えぬあの幻影
遠い浜の濡れた新聞 それを
やわらかく踏んで通るやわらかい足。
その足に眼のなかでさわる。

さわることは存在を認めることか。

名前にさわる。
名前ともののばからしい隙間にさわる。
さわることの不安にさわる。
さわることの不安からくる興奮にさわる。
興奮がけっして知覚のたしかさを
保証しない不安にさわる。

さわることはさわることの確かさをたしかめることか。

さわることでは保証されない
さわることの確かさはどこにあるのか。
さわることをおぼえたとき
いのちにめざめたことを知った。
めざめなんて自然にすぎぬと知ったとき
自然から落っこちたのだ。

さわる。
時のなかで現象はすべて虚構。
そのときさわる すべてにさわる。
そのときさわることだけに確かさをさぐり
そのときさわるものは虚構。
さわることはさらに虚構。

どこへゆく。
さわることの不安にさわる。
不安が震えるとがった爪で
心臓をつかむ。
だがさわる。さわることからやり直す。
飛躍はない。
(大岡信「さわる」)

若しも女を摑んだら
丸ビルの屋上や煙突のてつぺんのやうな高い位置によぢのぼつて
大声を張りあげたいのである

つかんだ
つかんだ

つかんだあ と張りあげたいのである

摑んだ女がくたばるまで打ち振つて
街の横づらめがけて投げつけたいのである
僕にも女が摑めるのであるといふ
たつたそれだけの
人並のことではあるのだが。
(山之口獏「若しも女を摑んだら」)
▼自作
あなたにさわる
なたにさわる
あなさわる

あまたにさわる
あまにさわる
またさわる

たがやすりずむに
こえがでる
●2023年8月21日
スペイン連盟会長、女子W杯表彰式中の“強引キス”で性暴力の指摘も…当該女子代表MFが声明「お互いに自然としたこと」
https://web.gekisaka.jp/news/worldcup/detail/?390515-390515-fl

欧米人のやるキスも、昨今のジェンダー問題を考えるきっかけにはなるのか。
個人的な意見としては「喜びの行為なんだから、これくらいは許してあげなよ」と思う。けれど、女性が嫌がっているのであればやらないほうがいい行為なのだろう。ほんでこれ、男女差がありそう。以前、高橋大輔に橋本聖子が同じことをして多少の問題になった。こっちは「ええやん、別に」と私は感じた。同じ男性として、何かの喜びごとに興奮して女性にキスされる。これはぜんぜん構わない行為だ。そして仮に、キスされた男性が「嫌だった」と言ったとしても、男やねんからそれぐらいゆるしーやと思ってしまう。しかし男女を変えて、女性が「嫌だった」とするのならした男性は謝るべきだと思ってしまう。性への差別的見解。あんまりそれを厳しく追及しすぎると、「他人に対しては何もするな」ということになるか、一部のイスラム圏にいまもある「女は夫以外に顔を見せてはいけない」ということにもなりかねない。
寛容をなくした社会はしんどいことが多くなる。それと、最後は人物の”ひととなり”なんだよなあ、と思う。女性のスカートをめくったりおっぱいをもんでも許されるタイプの男(の子)はいる。信頼関係もあるが、その行為を許されやすい人と許されない人という線引きはある。こういうのは理屈ではないし男女差でもない。
独身者であるベッキーが既婚者との不倫を非難されたとき、私の考え方では「ベッキーはええやん」だった。結婚という契約を結んでいない個人が誰と付き合おうと自由じゃないかと。この自由は男女関係なくある。しかし世の中のバッシングは強かった。逆に、結婚契約者である渡部健が不倫したニュースのときは、結婚相手の佐々木希がそれを許しているのなら他人がどうこういうことではないと思った。「浮気・不倫してもいいよ」という嫁・旦那も世の中にはいるだろう。おりょ、キスから脱線してるなあ。「自分がされたらいやな行為は他の人もされたらいやだろう」という考え方はあっていいものだが、だからその行為をした相手を攻撃するというのは違う。それは「互いがどうであるか」ということでしかない。他人は一切関係ない。
自分はしない、けど他人は自由にすればいい。
自分はしない、から他人もするべきではない。
自分はしたい、から他人もするべきである。
自分はしたい、けど他人はするべきではない。
個人として独立するということ。
他人も独立したものだと認識すること。
●2023年8月25日
若木康輔@koyan_waka
暴力をふるった作家と作品の評価は別か問題。
僕の場合でいうと井上ひさしです。妻へのことが世間に出た以降、1行も読んでいない。
これはもう読まない、読みたくない、ではなく、パッと視界から消えたに近いです。脳みそのほうが、最初から存在しなかったことにしている。
https://x.com/koyan_waka/status/1694998581047140442

難しい問題だなあ。結局は個人の線引きになることではあるけど、作品の評価とその作者がどういう人物だったのかということを分けて考えるべきなのか否なのか。
私は、自殺した作者の作品に対しては残念な見方をするようになった。なので日本で有名な文豪の多くがダメになる。太宰、川端、芥川、三島と、自殺のやり方関係なく、残念な人なのかと思う。これは海外作家も同じだし、ミュージシャンに対しても同じだ。ヘミングウェイもカートコバーンもダメな評価となる。ただしダメといっても「評価するに値しない」ということではない。「良い小説である、良い詩である、良い音楽である、でも作者は自殺したのかー、がっかり」という感じ。自殺ではないけど、暴力を振るったり、セクハラしたり、不倫して子供を捨てたりした人も同じような評価をするようになった。
●2023年9月19日
キス問題を受け選手が召集ボイコットのスペイン女子代表、メンバー発表も応じない姿勢を改めて示す「法的な影響を検討する」(超サッカー)
https://x.com/kohimon/status/1703974880709083366

これはちといきすぎのような……日本には挨拶としてのハグやキスをする習慣がないから「口にキスをする」という行為が大騒ぎになるのは分からなくもないけど、スペインでのこの騒ぎはルビアレス氏を追い落とすためという理由が含まれていそうなんよね。まあ、ルビアレス氏が嫌われていたということなのかもしれないけど、なんかすっきりしない。
優勝への喜びをあらわすためのちょっと行き過ぎた行為という程度のことなのだから、相手が「嫌だった」と言われたら謝罪すればいいだけの出来事だと私は思う。ほんでこれがいきすぎると、挨拶としての頬のキスやハグもセクハラとなっていって、やがて他人には触らないということになるかもしれないのよね。「それでいいじゃん」と思う人もいるかもしれないけど、相手に心を許すために触れ合うことって結構大事だと思うのよね。
で、出来事としての判断や好みは置いといて、相手に物申すという意味では見習うところはある。権力を持つ当人に対して言うということ。ジャニーズの問題は当事者がいないのでどこをどう騒いでもなんかむなしい。セクハラ問題の難しいところだね。

杉村太蔵氏が芸能リポーターに同情「言えないじゃん」長谷川まさ子氏は「本当に知らなくて」(東スポWEB)
https://news.yahoo.co.jp/articles/5c69dc05295d2360772eb7bd3c6994494552bc8f?(記事は現在読めない)

自分には被害・セクハラはなかったけど、セクハラ加害者に対して何ができるのか。そこには権力による黙殺・黙認もあるだろう。個としてどう振舞うのか。群れの社会に流れは当然ある、あるのだけれど、自分はどうするのか。
●2023年10月9日
落合博満氏、「スポーツ界から体罰をなくすには?」に真剣回答!
https://t.co/NYd5Uv7ZJ9 (記事は現在読めない)
https://t.co/5RTBHoStii

はっきり言い切るすごさやなあ。行為としての体罰・暴力はなくせるけど、言葉の暴力となると受け手の問題になるからむずかしい。これはセクハラ・パワハラやアジテーションにもいえることだ。

TaRanChi@AboutUyghurs
先日、中国のある地域の高校生が全校集会で安倍晋三暗殺を演じた。
彼らは「2発の銃声、冷たい死体、海に流される汚水」と書かれた横断幕を掲げ、観客は歓声を上げた。
https://x.com/AboutUyghurs/status/1710686567239655639

こういうのをブラックユーモアとして許容するのか? あるいは、なんらかのメッセージを発信したからといって自分は何ら罰せられるわけでもない世の中にいながら政府や政治への批判を声高に叫ぶことが自由な表現なのか?
人が殺されたことを嘲笑しているという意味では上の映像とこれは同じ意味合いをもつものだ。
▼(映像は前出と同じもの)
安倍「国葬」やめろ! 緊急市民集会&デモ @新宿 2022.8.16 落合恵子

こういうアジテーションに気持ち良くなる時期っていうのは誰しもあるものかもしれんけど、多種多様な情報を見知ることによって「それは違うだろう」あるいは「こういうことはしないようにしよう」と私は思うようになった。これはスポーツを見てても思う。ブーイング自体の良し悪しは置いといて、応援する自国チームを有利にするためにする行為だったはずのものが、国歌斉唱のときにも行われるようになる不思議。いや、不思議とかって言ってたらダメなのだろう、これは失礼な行為だ。
相手に危険を知らせることや、それは間違っているよと言うことと、自分の思い通りにならないことを見つけて攻撃・口撃することの違い。ほんで、後者に溺れる人たちは、思い通りにならないことをわざわざ見つけてきて非難するようになる。わざわざ見つけにいくことと、もっと見たい・知りたいから見つけにいくこととの違い。これが理解できていない人はどんな世の中になったとしても、そこに自分の思い通りにいかない物事を見つけることだろう。自分の思い通りにいかないことはスポーツの中にものすごくたくさんある。相手に勝つ/負けることをはじめとして、もっと早く走れない、高く跳べない、押せない、回れない、演じれないなどなど。ほんでも選手たちはもっと見たい・知りたい・上手くなりたい・強くなりたいから練習する。練習すれば上手くなる。自分の思い通りのことができるようになるかどうかは分からないけど、コントロールすることができるようにはなる。モノを書くのも基本は同じ。書けば書いただけ上手くコントロールできるようになる。でも、多種多彩にはならない。それは自分の外にあるものだから。だから他人の書いたものを読む。
●2023年12月2日
二回目を見ながら言葉を拾うつもりがそのまま見入ってしまい、三回目を見ながら気になる言葉を抜き出そうとしたらほとんど全文抜き出しそうになってた。ほんで、これは詩じゃんってなった。

『ウーマン・トーキング 私たちの選択』の台詞を抜粋
https://x.com/kohimon/status/1730846859009405197
画像3からは、セクハラ・パワハラ被害にあった人の外側にいた人たちについて考えた。
▼映画『ウーマントーキング』台詞引用
男が要求を拒否したら?

殺す

自分が暴行しなくても
止めないのはどうなの?
知ってて何もしないのは
罪では?

暴行がまかり通る状態を
作ったのは男たちよ
村の成り立ちが
それを可能にした
その成り立ちを定めたのも
男たちだわ

でも暴行した人も
された人同様――
犠牲者と言えるんじゃない?
私たち全員 男も女も
村の成り立ちの犠牲者だわ

男に出てってもらおう

“出てって”と頼むの?

今まで男に
頼み事なんてしたことないわ
お塩を取ってとも
1セント貸してとも
洗濯物を取り込んでとも
子馬に優しくしてとも
お産の時に
背中を軽くさすってとも
そんな頼み事
ただの一度だって
そして女から男への
最初で最後のお願いが――
“出てって”?

人は時々
泣きたい分激しく笑う

当人はセクハラ被害者でも加害者でもないけれど、それが集団内や場にあることは知っている。ではそれを知っている人たちに罪はあるのか? あるとするのであれば、集団全体が被害者(加害者)といえるのではないのか? 集団に属する個人が何らかの問題を起こしたとき、日本社会は集団に責任を取らせようとする傾向があるが、どこまでを集団とするのかという線引きはあいまいだ。これは島国・日本語という自分で線引きする必要のない区切りがあるからかもしれない。どこかにちゃんと線引きするということ。
ユーモアについて。「今まで男に/頼み事なんてしたことないわ~」の台詞のあと、女たちは笑ってしまう。こういうのは文字だけで伝わるのか? おそらく伝わらないように思うが、映像を見れば笑う理由が分かるだろう。こういうのも、言葉(だけ)では説明できない物事なんだろう。
●2024年1月14日
昨今あったセクハラ・パワハラ問題をいくつか取り上げてきたけど、冤罪が起こりえることを考えると、自分が実害を被ったこと以外は取り上げないほうがいいと感じるようになった。
いまはスクショを撮るようにしてるけど、新聞記事でありながら、一定期間経つと読めなくなる記事っていうのもどうなんやろね。
言葉狩りは嫌いな性格だけど「セカンドレイプ」という言葉は使わないほうがいいと思っている。レイプは暴力による強姦であり、言葉による攻撃とは違う。そしてそれが冤罪(無実の人物を有罪として裁判にかけていたとき)だった場合の言葉の印象に違いがありすぎる。「冤罪」というのはあってはいけない行為だが、レイプ・殺人・暴行・盗み等、どの犯罪者に対しても使われ得る言葉なので強い印象を持ちづらい。対してレイプという言葉は強い印象を残す。しかし無実の人を裁判にかけているという行為は間違った行為の中でも特にひどいものである。「セカンドレイプ」を調べると、「性的二次被害」、カタカナを使いたいのであれば「セカンドハラスメント」という言葉あたりが無難なように私は感じる。争う場合は「性的二次被害を受けた者」対「名誉棄損した者」だとしっくりくる。
●2024年1月29日
村田諒太氏「批判して潰すことが文化となってしまった」日本社会の風潮を疑問視「こんな社会でいいの?」(デイリースポーツ)
https://news.yahoo.co.jp/articles/33551829114101d6b7ef5ace36fa6ab1c1ecfaa9?(記事は現在読めない)

「それは間違っている」と指摘することと、「だから間違っているそいつを追い落とせ」がセットになってるんよね。そこに騒ぐ当人も気づいていない相手への好悪という感情が入る。好はええけど、悪(嫌悪)の方に入る相手だと容赦がなくなる。与党の政治家は悪人やから殺されてもそない問題にせず、でも政治家が言ったセクハラ言葉を大問題にする。なんや聖人君子しか政治家や有名人になったらあかんような感じというのやろか、ほんなら物書きなんかろくでなしの集まりやのにね。
「ろくでなしだと!
「ではなななのかとかはなしだぞ
「おおおう……わかりづらい、では、ごなのか?
「いや、しだ!
「いやしなのか?
「いやされたいのか?
「たぶらかすな!
「たぶらかのすなとはどんなすなだ?
「ちょっとまて、せいりしよう
「せいりになったりならなかったりできるのか?
「せきはんをたこうかたくまいか
「せきのはんぶんはせかきか?
「なんのはなしだ?
「ろくでもないはなしだ
「ろでもくでもなくせときははんぶんなのか?
「しだ、ろくでな、しということだ
「うーぬ、わからぬ……
●2024年2月2日
伊東純也の一件で思い出されるメンディのこと、そしてデパイの悲痛な叫び「それで、この責任を一体誰が負う?」(theWORLD(ザ・ワールドWeb))
https://t.co/Tdx9NWOcu8 https://t.co/ezKQVUIqg0(記事は現在読めない)
https://x.com/kohimon/status/1753263730471932078

サッカー選手だからとかじゃなくて、これと松本人志の件は訴えた側にうさん臭さを感じるなあ。
美人局・ハニートラップをして示談金を取ろうとする輩は実在する。妻子持ちが女遊びするなって意見はあるやろうけど、なら伊藤選手が既婚者かどうかを一般人は知ってる(仮にしらなくてもすぐに検索できる)わけやからね。そもそも大人が「酔いつぶれされて」っていうのも変な話やわな。飲むのは自分なんやから。
既婚者・妻子持ちと分かってる人と飲み会してたらなんか口説かれる雰囲気になったから帰ることにした。って、なんでならへんのか? それと、SEXを「やる」のは男の側で「やられる」のは女の側って意識は変なんとちゃうんか? コンドームにしろピルにしろ、妊娠回避の方法がある現代では、女も一晩の恋を楽しむ側におれるんとちゃうんか? なんでそこだけ男女に違いを見ようとするねん?
●2024年2月12日
ハラスメントに対しては、まず自分がどう思うのかを相手に伝えることからしかはじまらないと思っている。「ドントタッチミー」「やめてください」「なんでそんなこと言われなくちゃいけないのですか」「失礼ですね」「迷惑です」。「給料上げろ」もそうだけど、それを国に言ってどうすんねん。
●2024年3月29日
過去にⅩ上で他人のセクハラ問題に触れたとき、「それはマンスプです」とプチ炎上した時にも思ったことだが、自由を謳歌している私の行為が相手のとんがった自意識に触れてしまったということなのだろう。対処としては「これからあなた(たち)のことには触れない(撮らない)ようにします」でことは終わるのだが、それは味気ない世の中でもある。
●4月19日
枕営業とかは論外として、「それは嫌です」「それはおかしいです」をしっかりということ。そしてそれを言ったからといって仕事を外されたり干されるようなことのない世の中になるといいね。まずは自分自身がタフになること。自分のやってきたことが間違っていると解ったのなら訂正し、それを正すこと。相手がいるのであれば謝ること。しかし、昨今のセクハラ・パワハラに関する騒動で怖さを感じるのは「言った」ことと、「やった」ことを同じように攻めるところだ。嫌悪を感じるのは同じであっても、言葉で「言われた」だけのこととなんらかの行為を「された」ことは全く違う。これは著作権にも関係するのだけど、実害があったかどうかをしっかりと見ないといけない。
当人たちが気にしないのなら外野が騒ぐことではない。
誉め言葉であるはずのものが、自分の嫌いな相手から言われた言葉だから気持ち悪いとなっていないか。
あからさまなセクハラ発言であったとしても、その周りにいた人たちまで巻き込んで攻撃するのは間違いだ。
誰対誰の問題なのか?
しっかり、その時その場所でその相手に伝えること。

年月日は私がX(Twitter)でつぶやいた日ですが、つぶやいた文章の手直しはしています。

投稿者

大阪府

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