エルクエルムヘルフ

暴言家が冒険家に言いました。
二度と聞きたくないようなことを………得る苦。

放言家も冒険家に言いました。
三度聞いても覚えられない覚えても仕方ないようなことを…….得る無。

得る苦、得る無、経る歩重ね、考える。
禅問答の中にいて言葉だけが溢れ続け、そこから溢れ出てくる詩より
どこかへ行って、なにかに向かい、なにかを掴んだ喜びを形にしたい。

冒険家の残した言葉は常に足跡として残り続けるであろう。
それは勇気ある言葉。野蛮なる言葉と対を成す言葉であるから。

投稿者

静岡県

コメント

  1. 「実体験」スゲーだいじよねー「実体験」ふまえてのーだからねー(いつもオバーフローしてる自分であります)

  2. @三明十種
    体験主義が詩を世俗的にしてつまらなくする面もあると思うけれど、ベタだけどこれは抑えておかないとという基本みたいのを無視して面白第一主義みたいな方向に行く軽さは自分にはないし、頭の中のぐるぐるだけで書きたくない。自分の肉体と人生が前進していないのに戯言を述べ続けるのは違うと思うし。発想やアイデア頭の中身の面白さで勝負すること自体は格好いいと思いますけどね。

  3. まず、言葉遊びが面白いと思いました
    ですが、〜屋で来たなら〜屋で
    〜家なら〜家で通してもらったほうが
    統一感があるかな、と

    それから、荒川さんの詩作に対する向き合い方
    いろいろと実験されてて、いつも面白いなと感じています

    色んな詩描きの人がいて
    色んな描き方があっていいと思いますが
    そうですね、なんていうんでしょう
    その一文、そのフレーズ、その文字ひとつに
    描き手の想いというか
    どうしてもこれが描きたかったんだ!
    っていうのが伝わってくる詩が
    わたし個人的には好きですね

    まぁ、あまり好きじゃないなって思う詩も
    何故に好きになれないのかっていうのを
    自分の中に問うようにはしてますけども(^^)

  4. @雨音陽炎
    ご指摘受け内容修正致しました。
    均一化された価値観や既存のものにない、常に脳裏の中に新しく生まれる遊びのアイデアを年をとっても追い求め続けております。僕は『バカボン』とか『こち亀』とか好きなので、こう言う遊び面白くないって言うのを共有することにもう少し徹せられたらもっとファンも出来やすくなる気もするのですけれど、遊びの中身のうちに怒りとか、それをぶつけると言った、たけしさんとかああ言ったものも入ってしまいますので、とっつきににくくなってしまうかも知れませんし。

    面白味とか、そう言うものを感じて頂けているようで、嬉しいです。ありがとうございます!

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